第47話 壇ノ浦知千佳3

 極楽天福良は、一般的な護身術に相当することはほぼ習得してしまった。

 良家のお嬢様が万が一を想定しての稽古であれば十分すぎるほどだ。後は日々鍛錬を継続していればいい。

 だが、知千佳としては少しばかり困ったことになった。福良が稽古にこなくなると、授業料をもらえなくなってしまうのだ。適当に通わせてほどほどに基礎練習でもさせていればいい話ではあるのだが、妙に真面目な知千佳はそれを良しとできなかった。報酬を貰うのなら、それ相応の稽古をするべきだと思っているのだ。

 もちろん知千佳の懐事情だけで修行を勝手に続行するわけにもいかず、これからどうしたいのかを福良に聞いてみた。

 福良は修行を続行するとのことだった。

 そういうわけなので、知千佳はこれからも高校生としては貰いすぎなほどのお小遣いをもらい続けることになったのだ。


「はい! そーゆーわけなので! 福良ちゃんの修行は今日からセカンドステージに入ります!」


 いつものように壇ノ浦家の道場に福良がやってきていた。

 お互いにジャージ姿で向かい合って座っているのだ。


「はい! ひとつよろしいですか?」

「なんでしょう!」

「お小遣いが目的と聞いたのですが」

「誰から聞いたの!?」

「お姉さんです」

「あの野郎!」

「お小遣いが欲しいだけのことでしたら、無理に続行していただかなくても融通することは可能ですが」

「福良ちゃん! そんな……札束で頬をひっぱたくようなことを今から覚えちゃだめだよ!」

「いえ、誰にでもこんなことを言うわけではありませんのでご安心ください。ただ、無理をさせているのなら申し訳ないと思いまして」

「あー、そのあたりは全然大丈夫。私も楽しくやってるので」


 もともと教えるのが嫌だったわけではないが、福良の成長ぶりを見ているうちに面白くなってきてしまったのだ。今ではどこまでいけるかとあれこれと考えている始末だった。


「で、興味本位で聞くだけなんだけど、いかほどならいただけるので?」


 知千佳は、下卑た顔になっている自覚があった。


「毎月車を買えるぐらいでしょうか? すみません、私は中学生ですのでいくらでもというわけにはいかないんです」

「お、おう……」


 聞いておいて知千佳は引いていた。


「まあ、そういうのは置いといて、これからのことについて軽く説明します! 出鼻を挫くようだけど、強い女などというのはフィクションの中にしかいません。女の子がどれだけ頑張っても、男より強くはなれないんです」


 福良がこれまでやっていたのは護身術の延長だ。それ以上を望むのだから、当然より強くなりたいということになる。だが、普通にやっていてはどうにもならないということをまずは伝えておく必要があった。


「もちろん男には必ず負けるといった話じゃないけどね。ただ男女には肉体的な強さの上限に違いがあります。女が限界まで鍛えたとして、限界まで鍛えた男の力には及ばないということです」

「はい! 以前、全身を連動して威力を生み出すといった技術について聞いたことがあります。その時には女の子の力でも人は殺せるという話でした。であれば、相手にどれほどの筋力があろうとその防御を打ち抜けると思うのですが、そのような技術で対抗することはできないのでしょうか?」

「理論上はありえるけど現実的じゃない、が答えかな。たとえばこれ」


 知千佳は立ち上がり、軽く突きを打った。


「足の力とかを腰の回転で上半身に伝える感じのパンチね。うちでは逆突き。ボクシングで言うところのストレート、空手で言うところの正拳突きって感じのやつで、うまいことやればこれだけで人は死にます。だけど最大限の威力を出すには見た目以上に繊細な身体操作が要求されます。それに加えて理想的な足場で、理想的な距離で、理想的なタイミングが必要で、実戦でそうはうまいこといかんよねってことです」

「確かにお互いに動き続けるような状況だと難しそうです」

「なんか知らんけどたまたま奇跡的にうまくいった! じゃ駄目なわけです。実戦において要求されるのは繊細でピーキーなテクニックよりも、単純なパワーによる安定的なパフォーマンスというわけですよ!」

「ですが、鍛えたところで鍛えた男には勝てないといったお話なんですよね?」

「そこらへんは大丈夫です。鍛えたら誰にでも勝てるぞー、と無邪気に思われると困るので予め釘を刺しただけなんで。そーですね。鍛えた男の攻撃力をロケットランチャーだとしましょう。女の子が鍛えてもその域には達しません。けれど、拳銃ぐらいの威力にはなるわけで、人を殺すには拳銃で十分といったようなお話です。で、さらに例えると今の福良ちゃんは銀玉鉄砲ぐらいなので、もうちょっと頑張って、いつどんな状況でも発射できる拳銃を手に入れようといった感じです」

「なるほど。ということはこれからの修行は筋力トレーニングを重視するのでしょうか?」

「えーと、うちには筋トレのノウハウがほとんどありません。なぜなら生まれつき強いからです!」

「身も蓋もないですね。ゴリラですか?」

「オブラート、つつもうか」

「野生動物のようなものですか?」

「ですね! 野生動物とかは鍛えてなくても強いですからね! うちの家系は似たようなものです!」

「では、どうすればいいのでしょう? 一般的な筋力トレーニングをすればいいのでしょうか?」

「いや、結果的にパワーがつけばいいわけだから。苦行を延々続けるとかめんどくさいでしょ」

「まさか……あれって本気だったんですか?」

「じゃーん! チョウツヨクナール!」


 知千佳は、ジャージのポケットから小瓶を取り出した。

 以前にもその存在だけは福良に伝えていた薬だ。


「ドーピングですよね?」

「ぶっちゃけそうなんだけど、スポーツやるわけじゃないんだからお手軽にパワーアップする薬があるなら楽でいいんじゃないかなーと思うんだけど」

「そんなお気楽に謎の薬をおすすめしてくるとはさすがですね」

「前にも言ったけどむっちゃまずいです」

「じゃあください」


 福良が手を差し出してきた。


「え? 言っといてなんだけど、マジで飲むの?」

「じゃあどういうつもりで持ってきたんですか?」

「うーん……さすがに断られると思ってたよ」


 さすがにうさんくさすぎるので、知千佳としては強要するつもりはまるでなかった。断られるのが当然と思っていたのだ。

 

「飲まなくてもこれからの修行はできるんですか?」

「そりゃできる範囲でやるしかないし、こないだ話題に出したからこーゆーのもあるよって一応伝えただけでさ。てか、本当に今さらなんだけど、福良ちゃんがこれ以上壇ノ浦流に踏み込む必要ってないと思うんだけど、あ、お小遣いがどうのってのは本当に気にしないでね、本当に!」


 福良が習得した技は護身術であり強敵を倒すためのものではない。だが、それで十分なのだ。怯ませ隙を作り、逃げて、隠れる。そうやって時間を稼ぎ、護衛なりが到着するまで待てばよいからだ。


「そうですね……極楽天家の事情についてはご存じですか?」

「超大金持ちってぐらい? あと、実際に狙われることもあるとか」

「はい。実際、ほぼ毎日のように何者かが私を狙ってやってきているそうです。ですが、いくら資産家の子女だからといってそんなに狙われ続けることがあると思いますか?」

「うーん……身代金目的の誘拐ってそんなに頻繁に計画されるものでもなさそうだし、福良ちゃんが美少女だからってさすがに毎日はこないよねぇ……」


 言われてみると不可解な状況にも思えてきた。日本のような治安のいい国で狙われ続けるなどそうはないことだろう。世界一の資産家であっても毎日狙われることはないはずだ。


「身代金目的の犯罪者も、変質者もやってはくるんですが、そちらはそれほどでもないです。一番多いのは、極楽天家の者を殺そうとする者たちですね」

「なるほど? 福良ちゃんに限った話でもない?」

「はい、一族郎党全員が命を狙われています。ですので、ほとんどの家族は滅多に外出しません。学校に通うこともないです」

「何がどうなるとそんなことになるの?」

「それが極楽天家の事情ですね。まず、極楽天家の者はとても運がよく、独自の価値観を持っています。それは運を定量的に捉えるというものです。とはいえ、そう一般とかけ離れた感覚でもありません。悪いことが続いたなら、これからはいいことがある。そんな感覚は皆さんお持ちですよね」

「まあ、そうかな。自然とそう思ってるかも」


 いいことと悪いことはバランスが取れている。なんの根拠もないが、普通に人生を送っていればそのように考えることが多いはずだ。


「一般と違うのは運のバランスを個人の範囲で考えないことで、もっと大きく世界全体で捉えているんです。つまり、誰かがいい目にあえば、悪い目にあっている人もいる。つまり、極楽天家が運を得ているなら、どこかには失っている人もいると考えているのです」

「なるほどねぇ。でもそれで命を狙われるってのは?」

「極楽天家は異常なほどに、世界のバランスを崩すほどに運がいいんです。その前提に立ちますと、極楽天家を害しようという人たちの考え方がわかってきます。おおまかに分けると三つほどでしょうか。一つ目は義憤。極楽天家の者が死ねば、世界の運のバランスは是正されると考える者たちです。二つ目は怨恨。極楽天家に運が集中していることで自分たちが不幸な目にあったと思っている人たち。三つ目は強欲。極楽天家の者を殺せばその運を手に入れられると考える者たちです」

「そんな人たちがいるんだ……」


 にわかには信じがたかった。自分を一般人だと思っている知千佳では理解しがたい感覚だ。


「極楽天家は極端に運がいいと自負していて、それを信じる者たちもいるんです。さて、もう少しだけ運の話をさせてください。サイコロを振って有利な目が出る。これはわかりやすい運の例ですが、複数の選択肢から正解らしい答えを選べる直感、これも極楽天家では運のうちと解釈しています」

「これがよさそう。って選ぶのも運任せってこと?」

「はい、そのような理解で概ね正しいです。つまり私は直感で、今以上に強くなっておくべきだと、その怪しげな薬を飲んでしまっていいと感じたんです」

「じゃああげる」


 知千佳は福良に小瓶を手渡した。

 福良は己の運というものを信じ切っているようで、そこにはわずかの揺らぎも感じられなかったからだ。


「服用はどのようにすればいいでしょう」

「一口ぐらい飲めばいいんじゃない?」

「怪しい薬を飲むというのにこのアバウトさ。さすが師匠です」


 福良は瓶の蓋を開け、口をつけた。


「これぐらいでしょうか」

「おぉ! むっちゃまずいのに一気にいったね!」

「飲めないほどでもなかったです」

「じゃあ、さっそく修行をはじめよう! 壇ノ浦流の基本歩法、箭歩からやるね!」


 これまでは歩法については特に教えてこなかった。流派の肝であり、さすがにおいそれとは伝えられないからだ。


「はい!」


 福良が元気よく立ち上がり、そしてふらついた。

 チョウツヨクナールは即効性があるのだ。


「……ぐっ……あ、あの……なんだか身体が……い、いた……むちゃくちゃ痛いんですが!」

「全身が痛みに襲われるっていう薬をカスタマイズして作ったから、そりゃ痛いよ」

「その、楽に……ぐ……パワーア……ップするという話では……」


 福良がへたりこんだ。


「筋トレを延々と何ヶ月もやるよりは遥かに楽って話だよ。要は身体を騙すわけね。このままじゃ死ぬ、やばい! めっちゃパワーアップせな! と身体に思わせるって理論!」

「……あほ……なんですか? 先に言え……と師匠でなければ罵っているところです……」

「実質、言ってるよね」

「あの、さすがにこれで修行は……」

「頑張ろう! 痛いぐらいで動けなくなるようじゃピンチの時に困るからね! 痛いのには慣れてもらわないと!」

「これにです……か!?」

「大丈夫! 痛いだけだから! 死にそうなほど痛いけど実害はないから!」


 さすがにこの状況は想定していなかったのだろう。福良が信じられないという顔で知千佳を見つめていた。

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