第42話 雪花月9
月が慌てて集会所を飛び出すと、集まっていた輩がばらけていくところだった。マリカがやってきて事態の収拾を図ったのだ。
――さて、どうする?
先ほどまでの熱狂は冷め、完全に空気は変わってしまっていた。月はあたりを、マリカを、冒険者を見る。
この場で話をするのはまずいのか。それともこのチャンスを逃せば後がないのか。
冒険者たちが集会所の宿屋に泊まるかはわからない。混乱を避けるため、マリカが冒険者たちを教会に連れて行く可能性は高いだろう。そうなれば、彼らと話をする機会などもうないかもしれないのだ。
――いけるか?
この場で考えるべきは、冒険者がどう対応するかだろう。交渉の余地があるのか。あるとしてどう押せば望みの結果を得られるのか。
月は、こいつらは善人だと判断した。
月のような姑息な人間は、善人の匂いを嗅ぎ取る嗅覚が発達している。利用できる相手か、不利益を押し付けられる相手かがなんとなくわかるのだ。
全員がお人好しというわけでもなさそうだが、このあたりにたむろしているようなやつらに比べれば秩序とモラルを重んじるだろうし、話も通じやすいだろう。
だが、ターゲットは絞ったほうがいい。全員に訴えかけても狙いがぼやける。
まず、胸元の開いたドレスを着た派手な女。これは無視したほうがいいと月は判断した。悪人ではないのだろうが、合理的思考を優先するタイプのようで、月がこれからしようと思っている情に訴えかけた泣き落としが潰される可能性が高い。もちろん、ぱっと見た第一印象による判断でしかないのだが、のんびりと性格を吟味している時間もないので直感に従うしかないだろう。
中央聖教の神官服を着た男は頼りない印象なのでこれも除外だ。宗教関係者なら一般人に優しいかとも思うが所詮はマリカの仲間だろうし、おそらく大した発言力を持っていない。善良さにつけこめたとしても、派手な女に何か言われればすぐに意見を翻すだろう。
女戦士は粗野で何も考えていないタイプに見えるので、やりようはあるのかもしれないが取り入るのは難しいかもしれない。
やはり、狙うのは鎧を着込んだリーダーらしき男だろう。正義の味方面が鼻につくが、泣き落としが一番通用しそうに思える。
月は一瞬でこれらを判断した。頭の回転はそこそこに早い方ではあるのだ。
――よし! とりあえずあいつに話を――
「そう。だからってそんなやけっぱちを許してると沽券に関わるんだよね」
マリカが掌を近くにいたならず者へと向ける。掌の先に光が灯り、弾けた。
男が盾で光を払いのけたのだ。
――なんだあいつ! 今、なんちゃら波うとうとしてなかったか!?
月は戦慄した。わけのわからない世界だ。人権を文字通りに奪われたり、投げた石が爆発したり、巨大なひよこがいたりもする。だが、掌から光線を放つ人間がいるとは思っていなかったのだ。
この一瞬で、月はマリカの強さを確信した。この無法地帯で自由に振る舞えるだけの実力があったのだ。
そして、冒険者も相応に強い。いくら福良が強いといっても彼らに敵うほどではないだろう。月は、この冒険者たちにすがりついた方がよほど生き残れる可能性があると考えた。
――だったら、早い者勝ちか!?
逃げていかなかったならず者たちが少数ながらいる。だが、マリカの殺気に当てられたのか、覚悟を決めて残ったはずなのに動けなくなっていた。
「こんなやつらよりー、私を助けてくださーい!」
まずは動く。覚悟を決めた月はリーダーの前へと駆けた。勢いよく滑り込み、土下座になりながら頭を下げる。土下座がこの世界で通用するかはわからないが、他に下手に出る方法も思いつかなかった。
――あ……初手を間違った気がする……自分勝手な言い草なような……。
勢いで言ってしまったことを後悔するが、今さらどうしようもなかった。
「えーと、君は?」
「その前にひとつ。あなた達に指図できる立場じゃないですけど、こいつはよくないやつですよ?」
「うっ」
マリカに釘をさされてしまい、月は小さく呻いた。先入観を与えられてしまうのはあまりよろしくない。
月は、恐る恐る頭を上げた。
「私は雪花月と言います! 突然こんなところに来てしまってわけがわからないんです! どうかお助けください!」
男の目を見つめて勢いよく言った。後は流れで押し切るしかない。
男が狼狽したように見えた。何かまずかったのか、どうリカバリーすればいいのかと月が焦っていると、答えは隣の女戦士から返ってきた。
「アルビン、こーゆーのが好きなのか?」
「ち、ちがう! そうじゃなくて! この子の身なりを見ろ。高貴な身分なのは明らかだろう? どういった事情なのかと考えていただけだ!」
その反応で、月は今さらながらに気づいた。今の自分は類い希な美少女になっているということを。
これまではこの美貌を活かすことはできていなかった。このあたりにいる男は、女にうつつを抜かしていられるほどの余裕がないのだ。だが、十分な強さがあり、文化的な男ならば話が変わってくる。
――つまり、色仕掛けが通用する? ってそんなことしたことねぇんだけど!
月は色恋沙汰に縁がなさすぎた。男に媚びを売る方法などろくに知らないのだ。
――けどまぁ、か弱そうにしとけば庇護欲そそられたりすんだろ。実際、か弱いのは間違いないしな!
「なんにもわからないんです! 怖い人たちばかりでどうしたらいいのか。安全な国まで連れていってもらえないですか」
月はとりあえず上目遣いで、怯えている顔をしてみた。うまくいっているかはわからないが、できる限り哀れでか弱い存在であることをアピールをしてみる。
「確かにここに住んでるにしちゃ綺麗すぎるな。どっかのお嬢様って感じだけどよぉ。助ける義理はあるか?」
九法宮学園の制服。高級感のある作りではあるが、現代日本においてはそれほど珍しいものではない。だが、この世界においては貴族もかくやという代物なのだろう。それに、埃や汚れがまったくないというのも高級感に拍車をかけている。攻撃を防ぐフィールドによって多少の汚れはよせつけないのだ。
「彼女は明らかに周りにいるやつらとは異なるだろう? 放っておけば死ぬかもしれないのに見捨てるというのか?」
「確かに見捨てるにはしのびないですが……現実問題として一般人を連れて魔界を踏破できるでしょうか?」
もう一人、神官らしき男も月を助ける方向で考えたようだ。どうやらこの男も月には甘くなるらしい。
「ねぇ。あなた戦う手段は何か持ってるの? 魔法が使えるとか?」
「い、いえ。特に何ができるわけでもないです」
派手なドレスの女が訊いてきたので、月はとりあえずそう答えた。システムとやらで常人にはない力を持ってはいるが、戦う手段がないのは本当なので嘘を付いたわけではない。
「まあ大丈夫じゃない? この子一人ぐらいなら」
意外にも、派手なドレスの女は賛成らしき意見を口にした。
「いや、俺も別に反対ってわけじゃないぞ。リーダーに従うよ」
女戦士はどうでもいいようだった。
――よしっ! なんかいい流れになってきた!
「これも差し出がましいですけど、こいつみたいなのが同時に何人かやってきましたよ。死にそうだから助けるってことだとそいつらも考慮した方がいいんじゃないですかね」
――こ、こいつ余計なことを!
本当に差し出がましいと月は思った。
「ふむ……確かに何人もということになると難しいな。彼女一人ならと思ったけど……」
代表の男、アルビンは案外冷静だった。
魔界の横断は命がけだろうし、無謀な行いをするつもりはないのだろう。余力で助けられればと考えているに過ぎないのだ。
「その……一緒にやってきた人たちもいたんですけど……見捨てられておいていかれてしまったんです。もう他に頼る人もいなくて……」
一瞬、福良のことが頭に浮かんだ。だが、二人いると知られれば断られるかもしれない。ここは自分一人だけでも連れていってもらえるようにさっさと話をつけてしまうべきだと月は考えた。
「それは大変だったね。だけどもう安心していいよ。僕たちが助けてあげるから」
――よっしゃぁ! どうにかなった!!
だがあからさまに喜んでもいられない。哀れでか弱い女が一安心した、という程度に留めておくべきなのだ。
「まあそのあたりは好きにしてください。ですが、しばらく滞在するなら教会に来てもらいますよ。こんなのばっかりやってくることになりますから」
マリカがアルビンたちを教会へと連れて行く。月もその後に続いたが、少し迷ってもいた。
福良は放っておいてもいいのか。考えるので待ってくれと言ったのだ。ここで別れるにしても一言ぐらいは言うべきなのではないか。
だが、そんなことをしていては置いていかれてしまう。今一緒にいかなければ教会に入れてもらえないかもしれないのだ。話がうまくまとまったというのに些細な失敗で台無しにしてしまうわけにもいかない。
――まあ……仕方ない、よね? だってマリカのことだから後から行っても門前払いかもしんないし。
月が不誠実なのは事実だが、多少は申し訳ないという気持ちもある。とりあえずは心の中で謝りながら、福良のいる集会所へと振り向いた。
目が合った。
月からすれば全く意味がわからないのだが、なぜか福良が集会所の二階あたりの壁にへばりついているのだ。
ものすごく、気まずかった。
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