第39話 二宮諒太5

 マキノが一際大きな建物に入っていき、しばらくして景色が一変した。

 森の中にぽっかりと開いた、広間のような場所になったのだ。石畳はないが、諒太たちがダンジョンに入ってしまう前にいた場所のようだった。

 そして夜になっているようだった。マキノの術で周囲は明るいのだが、森の奥は闇に沈んでいる。

 建物に入っていったマキノや、少し離れた場所にいたマキノの仲間たちもいつのまにか諒太の側にいるので、浸蝕領域とやらが消えると元の場所に戻されるらしい。


「なにをしたんだ?」

「浸蝕の宝玉を壊しただけです。所詮はレプリカですので、焼け石に水なんですけどね」


 周囲に漂っていた瘴気は明らかに減っていた。やはり浸蝕領域が瘴気の源だったのだろう。


「そんなに中に入ってたつもりはないんだけど」


 見上げると、闇夜に星が輝いていた。

 ダンジョンに入る前は昼間だったので、結構な時間が経ってしまっているらしい。


「浸蝕領域はそんなものですね。適当に作り変えられた世界は時間も適当なのです」

「明らかに空間がおかしかったし、時間がおかしくなっても不思議ではないわね」


 綾香が補足する。この世界でも当てはまることかはわからないが、時間と空間には密接な関係があり、空間への影響は時間にも影響があるらしい。


「てかさ、あれなんだ?」


 闇夜に輝く巨大な光源。一瞬は月かと思ったが、よく見るまでもなく鶏だった。


「雄鶏ね。鶏冠があるから」

「月ですね。異世界の方には珍しいのでしょうか。月ごとに動物が変わるのですが」

「……まぁ……だからなんだって話だな」


 空で鶏が輝いているからといって不都合があるわけでもない。そういうものだと諒太は思うことにした。


「では行きましょうか。期限に余裕があるとはいえ、あまりのんびりもしていられませんし」

「塔ってのは森を出た先の荒野にある街みたいなとこだよな?」


 諒太たちが出現したのがその街のはずだった。大したもののない殺風景な街なので、とにかく塔だけが目立っていたのだ。


「どうするの? なんとかさんを探すのは?」


 綾香が訊いてきた。マキノが手伝ってくれたのはダンジョンを脱出するまでだ。余裕があれば人捜しも手伝ってくれるかもしれないが、街に向かうのが当面の目的のようだから今すぐには無理な話だろう。


「闇雲に探してもどうにもならん気がするし一旦は街に戻ってみようと思う」


 魂の気配を追うという手段は手詰まりになっている。それならば一度街を捜してみてもいいかと諒太は考えていた。


「街に行くのならついてきていただくのがいいかもしれません。ただ、優先護衛対象は彼らですのでそのあたりはご了承ください」

「自分の身は自分で守るからそれでいいよ。そういや街の方向とかってお前わかるんだっけ?」


 諒太は、足元にいる子犬の風牙に話しかけた。


「こんだけうろうろした後だともう無理だな」

「役にたたねぇなぁ」

「仕方ねぇだろ。こんな環境想定してねーんだから!」


 風牙は福良の位置を特定するための一度限りの切り札だ。本来は福良を見つけて契約は終了となり去って行くはずだが、今は微妙な関係になっていた。

 マキノが先頭を行き、貴人らしき三名、従者たち、荷物持ちの大男と続く。諒太たちはその更に後ろの最後尾についていた。

 しばらく木々の間を進んで行くと道が見えた。等間隔に明りが埋め込まれている道だが、明りからはマキノの力と同じものを感じた。この道はマキノたち中央聖教が整備しているもののようだ。

 道に入り、それからは道を通っていく。道は分岐しているところもあるが、マキノは進むべき方向をわかっているようだ。


「後どれだけかかるんだ?」


 少々態度の悪い男、リオンがマキノに訊いた。


「何事もなければもう少しですね」

「何事もか。魔界というからどれだけ危険なのかと思ったが、大したことはなかったな」


 リオンが馬鹿にしたように言った。あまりにも何事もなさすぎて、だからこそリオンは浸蝕領域を覗いてみたくなったのかもしれなかった。


「私はスピリチュアルなことは疎いのだけど、彼らの道中が安全だったのは彼女のおかげなのよね?」

「そうだな。結界みたいなもんか。半径50メートルぐらいは清浄な状態になってるから生半可なやつは入っただけで死ぬだろうな。多少強くたってわざわざ近づいてこないだろ」


 綾香に訊かれ、諒太は空を見上げた。

 相変わらず明りが浮いてついてきていた。この明りがあれば、近寄ってくる魔物や怪異などはまずいないだろう。一応は殿のつもりで背後に気を配ってはいるが、おそらくは何事もおこらないはずだ。


「だとすると、あれは何かしら?」

「あれ?」


 綾香が指さす方、前方の道から少し外れた木々の隙間を諒太は見た。特に何も見えはしなかったので、明りが届いていない距離に何かがあると言いたいのかもしれない。


「暗視機能はないって言ってなかったか?」

「そんな大層な機能はないけど視力はいい方なの。認識機能は人並みでしかないしシュミラクラ効果みたいなもので誤認しているだけなのかもしれないけど」

「それって点が三つあると顔に見えるとか――」


 諒太は綾香を抱きよせ、横へ飛んだ。

 漠然とした嫌な予感。ここにいてはまずいという本能の警告に諒太は身を任せたのだ。

 大男の頭部が破裂し、腕が千切れ飛び、胸に穴が空き、背嚢から荷物がぶちまけられる。大男は倒れ、大量の荷物を血に染めた。


「はぁ?」


 背嚢の大きさから考えて、絶対に入りきらないほどの大量の荷物が道の上に散乱していた。

 そのまま立っていたら荷物に押し潰されていたことだろう。森の先を注視していたからこそ、わずかな違和感に気づくことができたのだ。


「うわぁああああ!」

「なんなんだよ! おい! どうなってるんだ!」


 少し遅れて、先頭でも騒ぎになっていた。

 被害は従者が二人と、大男、それとマキノの杖だった。貴人たちをかばうように差し出された杖は途中から折れ曲がっているので、それでなんらかの攻撃を逸らしたのだろう。


「なるほど。魔物が結界に入れないのだとしても、遠距離攻撃なら関係ないってこと?」


 抱き寄せられたままの綾香が冷静に言った。


「礼ぐらい言ったらどうだ?」

「女子高生抱きしめてるんだからそれでちゃらになってない?」

「どんだけ自己評価高いんだよ……」


 諒太は綾香を放した。


「何かの顔が見えた気がしただけだったんだけど、まさかいきなり攻撃してくるとは思わなかったわ」

「まだ……いるよな? 顔ってどんな感じ? 人間なのか?」


 闇の中にいる何かを視認することはできないし、この距離では気配などわからない。だが、攻撃の主がもういないと楽観することはできなかった。


「目らしきものが光ったように見えた。ぐらいだからそれが何かはさっぱりね。ただ、あれが目だとすれば体高は高そうに思えたけど」

「すみません、優先護衛順を気にするような事態になってしまいましたので、そちらはそちらでどうにかしてください」


 マキノが前方を見たまま言ってきた。


「なんなんだこれは! どうなっている!」

「魔界なんですからこういうこともありますよ」


 リオンがわめくが、マキノはてきとうにあしらっていた。


「ですが、このあたりはもう魔界の出口近くなんでしょう? これほど強力な魔物が出てくるのはおかしいのではないですか?」

「確かに瘴気の濃い中心部の方が魔物は強い傾向にあります。が、それは傾向にすぎませんので魔界はどこも油断はできないんですよ」


 リオンの兄の指摘には、マキノは真摯に返していた。


「さ、三人も死んだぞ! どうするつもりなんだ!」

「まあどうにでもなりますね。……第十の御使いが地を揺らす。汝信仰を示せ。イネレクの民は老騎士の腸を御使いに捧げた……」


 マキノの力ある言葉に大地が応える。最初はかすかな振動だった。それは次第に大きくなっていき、立っていられないほどの大きな揺れへと変化していく。

 諒太と綾香は膝を付き、姿勢を低くして揺れに耐えた。

 どこまでこの地震は大きくなっていくのか。このままでは大地が砕け散るかと思ったところで、揺れはぴたりと止まった。

 一拍おいて再びの激震。諒太たちの身体は簡単に跳ね飛ばされ、森が消えた。

 目前にあったはずの木々がなくなり、大小様々な穴と、不揃いで歪な刃が立ち並んでいるのだ。諒太が空を見上げると、根こそぎ吹き飛ばされた樹木が舞っていた。単純に考えれば、地面から生えた刃が木々を打ち上げたのだろう。

 大小様々な歪な刃はどこまでも連なっていて、数百メートル先までもが見通せるようになっている。

 諒太たちがどうにか着地してあたりを見回すと、周囲一帯が同様の状態になっていた。木々が根こそぎ抜けた跡と、そこに生える歪んだ刃の群れだ。落ち着いてよく見てみれば、刃はうねうねと生き物のように蠢いていた。今も虎視眈々と獲物を狙っているかのようだが、それらは次第に姿を消していった。地面へと潜っていったのだ。


「逃げましたね。これで諦めてくれればいいんですが」


 大地震の最中でも微動だにしていなかったマキノが面倒そうに言った。


「本当か! 本当にいないのか!」


 倒れたままのリオンが情けない声をあげた。


「有効範囲内にいれば腸が抉られますが、そんな様子はありませんでしたし」


 諒太はあらためてマキノに恐怖を感じていた。威力と範囲が大きすぎて何をどうしようと太刀打ちできる気がしなかったのだ。ならば何かを召喚する前にマキノ自身を倒せばいいとも思えるが、それが出来るとはとても思えなかった。その立ち居振る舞いからして、彼女自身も相当に強いはずだからだ。


「御使い様にはしばらくの警護をお願いしますので、皆さん立ち上がって出発しましょうか」

「な、なに!? いや、これはどうなっているんだ!?」


 立ち上がったリオンたちは変わり果てた森を見て驚愕していた。


「神の御心です」


 それ以上説明する気はなさそうだった。

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