第24話 壇ノ浦知千佳2
極楽天福良が壇ノ浦流弓術の修行を始めてから、おおよそ二年。あるいは、壇ノ浦知千佳が高校の修学旅行から帰ってきてしばらく経った頃。師匠である知千佳は弟子の育成計画について悩んでいた。
福良は優秀で、壇ノ浦流をベースとした護身術をほぼマスターできていた。普通の女子中学生としては十分すぎるほどの技術を習得していて、もう教えることはない状況だ。
だが、これ以上を望むなら、壇ノ浦流の闇に踏み込む必要がある。別に一子相伝だとか、家伝だとか、御留流だとかではないので、外部の人間に教えること自体に問題はないのだが、果たしてそこまでの技術が福良に必要なのか。
福良の才能が並であったなら、知千佳もそれほど悩まずにここで終わりとしたことだろう。しかし、福良の才能はずば抜けていた。教えたことを片っ端から習得していくその様は、ありきたりではあるが乾いた砂が水を吸う如しだ。知千佳は、この先どこまでいけるのかを見てみたくもあったのだ。
「というわけで! これからどうするかは福良ちゃんに聞いてみることにしました!」
夕方。知千佳は、練習にやってきた福良に聞いた。
「いきなりなんなのでしょう?」
ジャージ姿の福良が礼儀正しく正座している。対面の知千佳もジャージ姿で、こちらは片膝を立てた雑な座り方だ。
「無理のない範囲で教えられる普通の護身術としてはもう大体やりきったかなって思うんだよ」
「無理のない普通……の護身術ですか?」
福良は首を傾げていた。異議がありそうだが、ここまでの修行は一般人でもどうにかなる範疇だと知千佳は思っていた。
「ここまでで終わりにするなら、後は身体が鈍らないように体操的にやるとかでいいんだけど」
「なるほど。確かに護身術としてはそれなりにやれている気はします。ナイフを持った暴漢ぐらいなら対処はできますし」
「それは、はじめて一ヶ月でできるようになってたけどね!」
「ですが、たとえば武術の達人が襲ってきた場合はどうでしょう? いまの私では対応できないかと思うのですが」
それは一般的な護身術の限界でもあった。
背後から抱きしめられたら、腕を取られたらこう返しましょう。そんな付け焼き刃が通用するのは相手が素人の場合に限られるのだ。
「それはその通りだと思う。そこらへんにいるイキったチンピラぐらいが対処できる限界ってところかな。でもさ、ボディーガードとかいるわけでしょ? 福良ちゃんが何もかも対処できなくていいと思うんだけど」
自宅は完璧なセキュリティに守られているし、外出時はボディーガードが周囲を警戒している。守られる者も護身術の心構えぐらいはあったほうがいいが、武術の達人にまでなる必要はないだろう。
「それを言い出すと、家から一歩も外に出ないのが究極の護身ということになってしまいます。諒太くんにしても、常にそばにいられると鬱陶しいですし」
「そーいや、二宮さんとこの弟さんがボディガードやってるんだっけ?」
二宮諒太は、知千佳の同級生である二宮諒子の弟だ。二宮は忍者の家系らしく、諜報や警護活動を家族ぐるみでやっているらしい。
「はい。ちょろちょろしてて目障りです」
「おう……」
「つまり私が言いたいのは、身を守るために自由を制限されるのでは不本意ですし、守ってもらうために私の意思が蔑ろにされる可能性があります。やはり自分の身は自分で守らねばならないと思うのです」
「なるほど……福良ちゃんにはやる気があると……まあだからって、さっそくやろう! とはならないんだけど」
知千佳としては福良の才能に惚れ込んでいるので、できれば壇ノ浦流を教えたいとは思っている。ただ、ここから先はかなりの危険がともなうことになるのだ。
「それはどうしてですか?」
「壇ノ浦流弓術は、普通の人間を想定してないから」
「師匠は普通の人間……いや、どうなんでしょう?」
「そこは疑問に思わないでほしかったな!」
「言われてみれば、ちょくちょくおかしな光景を見ていた気もしますし……」
「たとえばだけど、前に壁を蹴って、天井の梁を掴むってやったでしょ?」
「はい、入門初日のことですね。びっくりしました」
「けど、こんなこともできる」
知千佳は、しゃがんだ姿勢から跳び上がり梁を掴んだ。壁を蹴るなどというまわりくどい事はせず、一気に最短距離で天井に到達したのだ。
「これは……いくら師匠のむちむち太ももでもありえないのでは?」
「むちむちゆーなや!」
軽く怒りながら知千佳は着地した。
「むちむちかはともかく、競輪選手みたいな筋肉をしているわけではないのは確かですし、ムキムキだからってできることとも思えません」
「簡単に言うと、壇ノ浦の一族はこんな身体を作りあげてきたわけで、壇ノ浦流はこの身体能力を前提としてるんだよ」
「なるほど。ですが、古流武術といえば達人のお爺ちゃんが力に頼らずに技で若者を翻弄するといったようなイメージがあるのですが?」
「単純に考えて技術も力もある方が強いよね?」
「確かにそうですが……そうなると私が壇ノ浦流をやるのはそもそも無理なのでは?」
「それなんだけどね。今の私たちは先天的に強くするってやり方の結果なんだけど、後天的に強くするって研究もやってるんだよ」
知千佳は、懐から小瓶を取り出した。
「なんだかうさんくさくなってきましたけど、それは?」
「これは研究開発部門が設計した薬、チョウツヨクナール!」
「うさんくささのレベルが飛躍的に増大しましたが?」
「大丈夫大丈夫! 健康ドリンクみたいなもんだから! 常習性とかないし、薬事法的にも問題ないし、ドーピング検査にもひっかからない……らしいよ!?」
「伝聞なのが甚だ不安ですが、師匠は飲んだことあるんですか?」
「むっちゃ不味くて一滴でも無理だった」
福良が半目になって、実に疑わしげに知千佳を見つめている。
さすがに知千佳も、ちょっと無理があるかと思いはじめた。
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