第19話 二宮諒太1

 異様な事に巻き込まれている。

 そう判断した二宮諒太は、同様の状況にある十人ほどの新入生から離れて単独行動を開始した。何やら説明するという女が現れたが、悠長に話を聞いている場合ではないと思ったのだ。

 人気のない建物の陰に移動し、諒太は足元へ呼びかけた。


「風牙」


 すると、諒太の影から黒い子犬が這い出てきた。正直なところ、諒太はこれがなんなのかよくわかっていない。そもそも使い捨てとのことだったので呼び出すのも今日が初めてだ。


「俺様を呼んだってことは何かしらしくじったってこと……ん? ここどこだ?」


 偉そうな口調ではあるが、見た目が可愛らしい子犬なのでそれほど迫力はなかった。


「知らねーよ。仕事だ。お嬢の居場所を探れ」


 二宮家は忍者の一族で、権力者やら金持ちやらに便利に使われている。それは要人の暗殺だったり、妖怪退治だったり、世界を滅ぼしかねない少年の監視だったりと様々で、諒太が任されているのはそんな裏稼業よりはかなり楽であろう極楽天福良の護衛だった。

 より詳しく言えば、福良が学校にいる間だけの護衛を専門に担当している。


「いや、ちょっと待てよ! 本当にここどこなんだよ! お前契約内容わかってんのか!?」

「そりゃわかってるよ。お前はお嬢の匂いだか霊圧だかを覚えていて、場所を知ることができて、それを俺に教えるんだろ?」


 諒太は妖しげな存在を使役するような術を使えたりはしない。条件に応じて勝手に事が成されるだけのことだった。


「そりゃ半分だろ! 一回教えれば俺の仕事は終わり。自由になれるって契約だ」

「だったらいいじゃねーか。無事お役御免だな」

「ここは明らかに匂いが違う! ここで自由になってどーしろってんだ!」

「知らねーよ。別にどこだっていいだろ」

「よくねーよ! いや、マジでどうなってんだ? そこんところはっきりするまで何もしねーからな!」

「そー言われても俺もほぼ何もわかってないんだけど」


 諒太は簡単に経緯を伝えた。


「異世界……ってマジで言ってんのか?」

「あるらしいぞ。姉ちゃんも行ったことあるらしいし」


 異世界など眉唾ものだが、諒太にとっては当たり前の事実だった。

 なにせ姉の諒子が行って帰ってきたと言っているのだ。ならば弟の諒太はそれを信じるだけだった。


「いや……ほんと待ってくれ。ここで解放されても意味ねーんだよ」


 さきほどまでの勢いが嘘のように、風牙が懇願してきた。このままでは埒があかないとでも思ったのかもしれない。


「そう言われても仕事は仕事だろ。そもそも断れんのか?」

「……無理だな。そういう契約だ……なあ? 仕事はしてもいい。だが、契約はそのままってのはありか?」

「お前、無理矢理捕まえられて、縛られてんだろ? そのままでいいってどういうことだよ」

「さっきから言ってんだろ? ここで自由になってどうすんだよ!」

「変わってんな。異世界に来たら喜ぶもんなんじゃないのか?」

「お前はどうなんだよ?」

「俺は帰るよ。異世界なんてまっぴらご免だ」

「だったら言うなよ!」

「自由になったら、勝手に帰ればいいだろ?」

「どうやってだよ! お前帰り方知ってんのかよ!」

「知らねーよ。でも勝手に付いてきたらいいんじゃないのか?」


 そこは疑問に思うところだった。とりあえず自由になったほうがいいのではないかと思ったのだ。


「まず。お前らの一族は信用できねぇ。だが、契約状態ならお互いに攻撃できねぇからな。お前を警戒する必要がなくなるってわけだ」

「攻撃しないけどなぁ」

「それと帰り方を見つけたお前が勝手に帰っちまうかもしれねぇだろ。契約状態ならお前が帰ったら自動的に帰れるわけだ。そうなるとわざわざ契約を解除するメリットなんかねぇよな?」

「契約続行ってどうやるんだよ?」

「それは俺が契約解除をしなきゃいいだけだ」


 条件を満たした時点で自動的に解約されるわけではないらしい。解約するかは風牙が決められるとのことだった。


「それ、俺に選択の余地なくない? 勝手にすればいいんじゃ?」

「そっちもなんか奥の手持ってるかもしれねーだろうが」


 風牙は疑心暗鬼のようだが、諒太は風牙との契約についてはろくに知らなかった。とはいえ、わざわざそれを伝える必要はなく、勝手に疑わせておけばいいだろう。


「もうそれでいいから、さっさとしてくれ」


 風牙が鼻を鳴らす。しばらくして、一方へと向き直った。


「あっちだな」

「くそ。やっぱりここにいるのか」


 いないでくれと思っていたが、やはり極楽天福良もここに来ているようだった。

 建物の陰から出て、風牙が示した方へと進む。石積みの壁があった。どうやらここは城壁に囲まれた町といった場所らしい。門から出入りするようだが、閉まっていて門番らしき男たちが控えている。見たところ出入りしている者はいないので、そう簡単に門が開くことはないようだ。

 交渉したり、門を無理矢理開けたりしている暇はない。諒太は壁に向かって駆け出した。壁を蹴り、そのまま駆け上る。壁の高さは3メートルほどだったので、忍者としての基本技能があればさほど苦労はしなかった。

 壁の上からあたりを観察する。外は荒野で、集落が点在していた。

 背後で何やら騒いでいる声が聞こえている。捕まると面倒なので、諒太はさっさと外へ飛び降りた。

 荒野を風牙が示した方へと駆けていく。その先には森があった。


「森の中か?」

「止まれ! やばいぞ!」


 そのまま森につっこもうとしていた諒太は急制動をかけた。


「どうした?」

「わかんねーのかよ!? なんかやべー!」

「言われてみりゃぁ、怪しい感じはあるか?」


 それは嫌な予感、といった程度のものであり具体的な危険を想像できるようなものではなかった。


「瘴気の類いだな。とにかく無策でつっこんでいい場所とは思えねー」

「つっても、そこにお嬢がいるとなるとつっこまざるを得ないんだが」


 護衛対象である福良が危険な場所にいるのなら、手をこまねいてはいられなかった。


「瘴気って毒っぽいやつだろ? ちょっとならいけるんじゃねーか?」

「こっちはお前に死なれると困るんだよ!」

「とりあえず入ってから考えるしか――」

「少しいいかしら?」


 ここで悩んでいても仕方がない。とりあえずは森に入ろうとしたところで背後から声が聞こえ、諒太はすぐさま振り返った。


「別に驚いてなんかいないんだが!?」

「第一声がそれなの?」


 九法宮学園の制服を着た少女が立っていた。

 髪が長く、美少女といっていい容貌ではあるが、目つきが鋭いためか可愛いという印象はない。先ほど一緒にいた新入生の一人だろう。


「情けねぇことに慣れっこなんだよ! 俺よりつえぇやつがいつの間にか背後に回ってるなんてのはな!」

「本当に情けないんだが?」


 足元の風牙が呆れたように言った。


「で、あんた見覚えがあるぞ。篠崎重工のブーステッドだか、フルアーマーだかの奴だよな?」


 詳しくは覚えていないが何かの仕事で会ったはずで、その際は敵対していなかったはずだ。


「何度か会ってると記録にはあるんだけど、初対面として対応させてもらうわ。私は篠崎綾香。さっきの二つ名で言うならサプライ綾香ってところかしら?」

「で、何の用だ? こっちは急いでるんだけど」

「元の世界に帰りたいんだけど、協力しない?」

「いいぜ」

「はやっ! もうちょっと考えろよ!」


 風牙が慌てていた。


「敵ってわけじゃないし、こんなわけのわからんところだと仲間はいた方がいいだろ」

「助かるわ。仲間にするにしても、話がわかる相手の方が楽だしね」

「けど、こっちにも事情があってな。協力するってんならそれには付き合ってもらうぜ」


 仲間にするしないで悩むよりも、さっさと福良のもとに辿り着きたいというのが諒太の本音だった。

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