第12話 壇ノ浦知千佳1
壇ノ浦流弓術は平安時代に創始されたとされている武術である。
創始者は那須与一。と、いうことになってはいるがこれは完全に詐称である。対外的なハッタリのために子孫が曖昧であることにつけこんで勝手に利用していた。
本当の創始者は壇ノ浦ひえひえ。ただ強さだけを求めた武人であり、今でいうならバトルマニアだ。ただその強さだけで地方豪族としての地位を確立したが、その後は世俗とはあまり関わらずただ己の見いだした戦闘理論を子孫へと伝えることだけに注力した。
流派名に弓術とはあるのだが、弓にこだわっているわけではない。創始当初の時代では弓が有力な武器だったから弓術の研究をしていただけであり、その名残があるだけだ。
壇ノ浦流は家伝であり、広く一般には伝えていない。壇ノ浦に限らず、古武術の類いは基本的にはそのようなものだった。いわゆる初見殺しの技が多くあるため、知られてしまうことで優位性がなくなってしまうからだ。
もっとも、門弟を募ったとして壇ノ浦の技を伝授することはほぼ不可能だっただろう。壇ノ浦の技は、壇ノ浦一族の強靱な体を前提として作りあげられているからだ。
ひえひえは化物じみた肉体を持っていたとされている。そこにさらに強力な力を持つ人物たちの血を取り入れて、さらなる超人を作りあげようとした。
そうした歴史の上で誕生したのが壇ノ浦知千佳、極楽天福良の師匠である。
壇ノ浦流の成立過程を考えれば、壇ノ浦一族ではない福良が壇ノ浦流を完全にマスターするのはおよそ不可能な話だ。
では、なぜ福良は壇ノ浦流を習っているのか。それは壇ノ浦知千佳の祖父、道真がFXで資金を溶かしてしまったからだった。
*****
大学三年生になってすぐの休日の朝。
知千佳は、いつものように自宅に併設されている道場に向かった。休みの日には極楽天福良が朝からやってくるからだ。
母屋から渡り廊下を通って道場へと向かう。だが、道場に足を踏み入れた知千佳はうっかりしていた事に気づいた。
彼女は先日、全寮制の高校に入学したので、そう頻繁に道場にはこれなくなったのだ。
「そうだった……割のいい小遣い稼ぎが……」
知千佳は、福良の指導をすることでかなりの収入を得ていた。今さら時給千円程度のアルバイトなどする気がまったく起きないのだ。贅沢に慣れてしまうのもそれはそれで問題だった。
「まぁ……庭の掃除でもしとこうか……」
ここまで来て部屋に引き返すのも時間を無駄にした気分になる。
庭は散った桜の花びらで埋め尽くされているので、そろそろ一気に片付けてしまう頃合いだろう。
知千佳は道場の縁側へと出た。
彼氏の高遠夜霧が、犬と遊んでいた。
「来るなら言ってくれないかな!」
知千佳はジャージ姿だった。気が置けない仲ではあるが、さすがに可愛げゼロの格好で会うのには抵抗があった。
「犬と遊びに来ただけだからいいかなって」
「犬より彼女をかまえよ! 庭に出たらいきなり彼氏がいるって軽く恐怖だよ!」
「犬と張り合うのはどうなのだ?」
別の犬を連れて姉、壇ノ浦千春があらわれた。
「もこもこさ……じゃなくてお姉ちゃん」
「お主、たまにそれ言うよな?」
「出てこなくなってから結構経つのにな」
壇ノ浦もこもこは知千佳の守護霊だ。
高校生の頃、知千佳と夜霧は異世界転移事件に巻き込まれた。その際に手助けしてくれていたのがもこもこなのだが、帰ってきてからは姿を見せなくなったのだ。
手助けは異世界という特殊な事情でのみするという線引きがあったのかもしれない。
千春ともこもこの見た目はかなり似ているので今でも知千佳はうっかり間違える。もこもこのインパクトが未だに抜けきってないのかもしれなかった。
「着替えてくるから! とりあえず道場で休んでて」
知千佳は慌てて部屋へと戻り、着替えた。
再び道場にやってくると、夜霧と千春は向かい合って座り、携帯ゲーム機を操作していた。
「お姉ちゃん、暇なの?」
「うむ? AVでありそうな彼女の姉が大胆誘惑して寝取られみたいなことを心配しておるのか?」
「ミリも心配してないけど?」
「しかし暇だと思われるのは心外だな! 出かけてくるが、道場でおっぱじめるなよ?」
千春がゲーム機を置いて立ち上がった。
「誰がこんなとこでするか!」
知千佳は夜霧の向かいに座り、なんとなくゲーム機を手に取った。
画面に映し出されているのは狩りゲーの最新作だった。
「暇だったら手伝ってよ」
「暇……は私もそうか。師匠のバイトはなくなっちゃったし」
知千佳は夜霧がやっているクエストに参加した。最近のゲームは便利になっていて、マルチプレイの途中参加、離脱が自由にできるようになっているのだ。
「そうなの?」
「ねぇ。なにかいいバイト知らない?」
「まったく何もしてない俺に聞かれてもな……」
「だよね……」
高校卒業後、夜霧は進学も就職もせずにだらだらと暮らしているのだった。
人としてどうなのかとは思うが、特になにもせずとも生活はできるらしいし、問題はないのだろう。
「そういや、壇ノ浦流って一子相伝みたいなやつじゃなかったの?」
「別にそういうわけじゃないんだけどさ。そこら辺の人に教えようとしても無理だったらしくて」
現代において古流武術というのは廃れていく一方だ。
今さら技を秘密にして優位に立ったところで、そもそも戦いが起らないのだから何の意味も無い。
壇ノ浦流を一族だけで伝えていてはいずれ失伝の危機にさらされるだろうし、それではこれまでに培った技術の蓄積が全て無駄になってしまう。
そこで、少しでも流派を広められないかと一般に門戸を開いたのだが、壇ノ浦一族の強靱な肉体を前提とした技を習得できるような者は皆無だったのだ。
「じゃあなんで、なんとか亭ほにゃららちゃんには教えてたの?」
「一文字も覚える気なかっただろ。極楽天福良ちゃんね」
「そう、そのおめでたい感じの名前の子」
「そういや、おめでたい感じはあえてらしいよ」
「そうなの?」
「極楽天の人は皆おめでたい感じの名前にしてるんだって。名字も江戸時代ぐらいにわざわざ変えたとか」
知千佳も詳しくはしらないが、おめでたかったり縁起がよかったりする名前を付けているらしい。
福良は、縁起のいいとされる福良雀から取られているとのことだった。
「なんで教えることになったのかだけど、おじいちゃんが極楽天の人に借金しててね。帳消しにする代わりに護身術を教えることになったの」
「お金持ち?」
「らしいよ」
「なんでやめたの?」
「全寮制の高校に入学したんだよ。九法宮学園ってとこ」
「九法宮?」
「あ、さすがに夜霧くんでも知ってるか。有名だし」
「……いや、何かで聞いたことあったんだけど……まあいいや」
「いや、気になるんだけど! 夜霧くん関係だとやばそうじゃない!」
夜霧は訝しげな顔をしていたが、結局思い出せなかったようだった。
「多分研究所関係だった気もするんだけど、今度聞いておくよ」
「まあ、あんな有名な学校で何があるとも思えないんだけどさ」
数々の有名人を輩出していることで有名な学校だ。おかしなことはないだろうと知千佳も気を取り直した。
「護身術ってことは壇ノ浦流を教えたわけじゃないのか」
「うーん。そのあたりは臨機応変っていうか。一族じゃなくても使える技はあるし、福良ちゃんでも使えるようにカスタマイズしてみたり、心構えを教えたりとか?」
「護身術って役に立つの?」
「立ってたね。お金持ちだから、狙われたりしてたみたいで」
「そんなお嬢様がちょっと習ったぐらいでどうにかなるもんなんだ」
「師匠が有能だからね!」
「そうなんだ」
「ごめん。小ボケだから素直に感心しないで」
「そう言われてもな」
「私が教えたからとかってよりはさ、福良ちゃんがもともと凄くて」
「才能あったの?」
「あったね。というか言い方は悪いけどバケモノの類いだった」
「バケモノ?」
「なんだろ、精神性? 壇ノ浦ではさ。自己暗示みたいな術があって、それで攻撃性を調整するわけなんだけど」
どれだけ強かろうが、暴力を振るうことに躊躇してしまってはその実力を発揮することができない。だが、基本的に人間は人間を攻撃することを忌避するものなのだ。
そのため、古来の武術では人を攻撃できるようになる精神訓練も修行に含まれているものだった。
「福良ちゃんには必要なかった」
「それは怖いな。サイコパスってやつ?」
「そうでもなかったはず。だって最初はお兄ちゃんの恫喝でびびってたし」
知千佳の兄、壇ノ浦与志元は強面だ。大柄で分厚くて目つきが悪く、何もしていなくとも狂暴な雰囲気を纏っている。
泣く子も黙るとはまさにこのことで、表社会に居場所がないほどだ。
そんな彼に脅された福良は最初こそ失禁したものの、すぐに慣れて平然と聞きながせるようになっていた。
「あぁ……お兄さん、怖いよな……」
初対面の時のことを思い出したのか、夜霧が若干引いていた。
「で、そのうち不審者とかをボコボコにして、あれだけやって死なないし、人って案外丈夫、とか言いだしてた」
「最初は普通に怖がってたんなら、壇ノ浦流のせいでそうなったんじゃないの?」
「え? そう……かな?」
そう言われるとそんな気もしてきた。壇ノ浦流に関わらなければ、福良はいまでも普通の女の子として日常を過ごしていたかもしれないのだ。
「それとちょっと気になったんだけど。簡単な護身術を教えるぐらいなら、何年もかからないんじゃないの?」
福良が道場にやってきたのは小学五年生の頃なので、五年ほど壇ノ浦流を教えていたことになる。夜霧の言うように、日常の危険から身を守る程度の護身術だけならもっと短期間で済むはずだった。
「……まぁ……現代日本だと使い道なさそうなのとかも教えてたしね……バイト代のために……」
もう教えることはない。
そんなことになると、知千佳の良質な収入源がなくなってしまう。
そこで、現代日本で使ってしまうと過剰防衛になってしまうような危険な技もあれこれと教え込んでいたのだ。
「それ、何か問題が起ったら、教えた側にも責任発生しない?」
「え!? いや、大丈夫だと思う……な!」
福良の実家は金持ちだから、やりすぎてもどうにかなる。
そんな無理矢理な理屈をひねり出していたことを知千佳は思い出していた。
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