第10話 7月23日
”この廃墟には、哀しい記憶がある気がする。”
あのむしちゃんの言葉が、グルグルと渦を巻いて胸の奥で鎮座している。
…朝鮮人飯場。それがあの廃墟の正体だった。
きっと何人もの人が、あの廃墟で最悪の労働環境の中、死んでいったのだろう。
……どれほど苦しかったことだろうか。
憶測の域を出ないが、地図に”アパート”と表記されていた理由が分かった。
この町の負の歴史を隠すためだ。事実、この真実を知っているのは長くこの町に住んでいる老人だけだ。あと数年もすれば、この歴史は闇に葬られることだろう。
………僕はこれでいいのだろうか。
今、この歴史を知っている若者は、この町、いや、この国で僕だけかもしれない。
この歴史を、絶やさず残すべきなのではないだろうか。
…………いや、待て。ちょっと待て。何か、重大なことを忘れていないか。
そうだ、そうだよ、むしちゃんだ!
その時、また新たな疑問符が、僕の背中にズシンとのしかかった。
”あの廃墟の歴史が、むしちゃんと何の関係があるんだ?”
……振り出しに戻った感覚だ。
そうだ、あの廃墟の歴史は大変なことだが、今のところそれとむしちゃんとの間に因果関係が見出せない。
………まずい。ここまでが限界かもしれない。
はたしてあの子は何者なんだ。本人に聞いても分からないの一点張りだろう。
とりあえず、廃墟のときのように、今度はあの子について今分かっていることをまとめてみた。
・自らのことを「むし」と名乗る
・廃墟からは出られない
・虫に関心を示す
・眠らない、お腹もすかない
・僕の過去の記憶に現れた
……こんなものか。こう見ると、全く謎だらけであることが分かる。
正直言って、今まで大した疑問を持たずに接してこれた自分が、正気とは思えない程だ。
これら以外は不明といっていいだろう。なにしろ自分の名前すら分かっていないのだから、ぶっちゃけ調べようがない。
………けれど、僕には知る義務がある。なぜなら、あの子は僕しか知らないからだ。
伊藤信二という、頼りないこの男を、あの子は愛してくれているのだ。
そんな一心に愛を注いでくれる彼女のことを、知らないままでいい訳がない。
……思えばあの子に出会ってから、毎日が色づいているように感じる。
モノクロームだった僕の人生に、彼女は色をつけてくれたのだ。
あの子を、もっと知りたい。今は、ただそれだけだった。
……しかし、どうすればいいのだろう。もう、自分の力で突き止めるのは無理なように思う。
人の過去、正体を探る、調査……。……あっ。あっ!!待てよ、そうだ、もしかしたら!!
おもむろにスマホを取り、検索エンジンを開く。
そうだ、あるじゃないか!人の過去を探ってくれる絶好の職業が!!
素早くフリック入力をし、
――――――探偵事務所のホームページを探すのだった。
むし sid @haru201953
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