第7話 7月20日
7月20日
…あれ、雨の音って、こんなに大きいものだっけ。この廃墟に、何度目かの静寂が訪れた。
むしは何も話さない。…この子は何も知らない。そんなことは分かっていた。それでもなお、僕は問いを投げかけた。
それほどまでに、自分の中で渦巻く謎や、わだかまりが、膨張し、限界まで溜まっていたのだ。…しかし、それは単なる好奇心や興味本位といった、自分勝手な感情ではない。
僕は、……僕は、この子が……そうだ、伝えなくては。この気持ちを、ちゃんと伝えなくては。
「……ごめん。また、僕……。」
「…ううん、いいの。……だって、偶然とは思えないもの。こんなこと……。」
そうだ、偶然ではありえない。僕とむしとの間には、なにかしら繋がりがあるのは明らかだった。けれど、今はまだ何も分かっちゃいない。今、確かなことは……。
「でも…ごめんなさい。私、……やっぱり何も覚えていないの。信二くんが、こんなに考えてくれているのに…。」
「……むしちゃん。」
突然名前をはっきりと呼ばれ、少し驚いたように僕の方を見た。……綺麗な眼だ。今までちゃんと見たことがなかったが、深い夜の海のような、暗く、それでいて美しい、吸い込まれそうな眼をしていた。
「……僕は、君のことをもっと知りたい。けど、それは、ただ面白そうだからとか、興味本位ってことじゃない。僕は……。」
こんなにも、言葉を発するのに苦労したことがあっただろうか。気づけば喉が渇いている。…けれど、この行き場のない気持ちを解放してやらねば。そして、…伝えなければ。
「………君が好きだ。出会ってからずっと、君のことばかり想っていた。…好きだよ。だから、……だから、知りたいんだ。君を、もっと知りたい。」
むしはバッと顔を下げ、力を込め膝を震わせている。白い髪の間から見える肌は、固い日差しにぶつかったように、赤く染まっていた。
…むしはしばらく何も話さず、ただ身を縮めていた。そして、恐る恐る顔を上げ、僕の方を見て、かすれた小さな声でこう言った。
「……ありがとう。…私も、………私も、…好き、です。」
その眼には、涙がいっぱいに溢れている。……時間が止まればいいのに。本気で、心の底からそう思った。
あくびが出そうなほど、ゆっくりと時間が流れる。雨は一向に止む気配がなく、廃墟の中に少し侵食してきて寒かった。
僕はむしの肩を抱き、ぽつんと呟く。
「……有田川町っていうんだ。僕と君の、…夏の風景の舞台。」
「……そうなんだ。…行ってみたいな。」
「うん、行こうよ。この夏休み…きっと行こう。」
「……うん、約束。……雨、止まないね。」
「ね、…ちょっと外出てみない?」
「……!うん、出てみる!」
この反応からして、今までこの廃墟から出たことがなかったのだろう。むしの手を引き、2人でシャッターをくぐる。
「……うわ、やっぱりすごく降ってる。これはもうしばらく止みそうにないね。」
「………信二、くん……。」
ない。それに気づくのに時間は掛からなかった。手の温もりがない。バッと後ろを確認し、……どこまでも非情な現実を目の当たりにした。
むしは、廃墟の冷たい床に、ペタリと倒れこんでいた。
「……出られない。……出られないよぉ。信二くん……。」
現実を受け止められていない表情で、僕を見上げ泣いている。体が勝手に動いて、できる限り優しく、そして強く抱きしめた。
なんてことだ。なんてことだ!どうして……どうしてこの廃墟は、この子を閉じ込めるんだ。
この子の夏が、見えない壁によって閉ざされてしまった。
「大丈夫、大丈夫だよ。……愛してる。愛してるよ。……むしちゃん……。」
「信二くん……わたし、…わたし、なんで……。」
雨の匂いが辺りを包み、悲しみに満ちた2人を慰める。
廃墟の中、僕らは抱き合って………
夏の前日が終わった。
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