第5話 7月18日

7月18日


_____耐え難い沈黙だった。

昨日まで和気あいあいと映画鑑賞をしていたのが嘘のように、むしも、そして自分も、何一つ言葉を発することはなかった。

…怒っているのだろうか。この期に及んで‘‘おまえは何者だ‘‘などと問われるのは、不愉快だったかもしれない…。

気づけば、あんなに騒がしかった木々も鳴りを潜め、いよいよ無音の世界となってしまった。

…沈黙の中ふと思った。この子は、ずっとこの静寂の中にいたのだろうか。もしそうだとしたら、なんと不憫な話だろうか。自分ならとても耐えられそうにない。誰も知らない山奥の廃墟に、恐怖さえ覚えるような静寂に襲われながら生きていたのか。

「私にとっては」

…思わず、ビクッと体が跳ねてしまった。そんな唐突に話を切り出さなくても。

「……私にとっては、そんなこと、…どうだっていいの。私が誰かなんて、…言ってみれば、遊び終わったおもちゃのようなもの。もう、……どうでも、いいの。」

「ど、どうだっていいって…。」

それは、ないんじゃないか。一緒に、見つけようって……言ったじゃ、ないか。

怒りにも似た感情が込み上がって来る。どうでもいいだって?どうして…どうして、そんなこと言うんだよ!

自分の感情を吐き出したいがために、バッとむしの方へ顔を上げた。

そんなこと、言うもんじゃない!

そう口に出さんとした、…その時だった。

彼女の、もうすっかり見慣れてしまった、儚く、そして白い肌に、大粒の水滴が滴っている。

手のひらにぐっと力を込め、膝を抱えた小柄な体は、少し震えていた。

「……壊し、たいの。」

「…えっ?」

「……壊してしまいたいの。なぜだか分からないけど、もう…自分の昔を、覚えてもない昔を……全部壊したいの。」

……どれほど苦しめば、こんな言葉が出てくるのだろうか。僕は大馬鹿だ。何も分かっていないのは、僕の方じゃないか。

ずっと、ずーっと…この子は、自分が何も分からないまま、たった一人でここにいたんだ。その孤独、疎外感、…絶望。

気づけば考えるより先に、彼女をそっと、抱きしめていた。

「ごめん。ごめんよ。…むしちゃんは、なにも悪くないよ。壊そうとなんかしなくていい。君が……君が、どんな人であろうと……僕は、ずっと君のそばにいるから。」

むしは、僕の胸にすがって、泣いた。

一生分の悲しみを放出するように、声を上げて泣いた。


_____二人は、虚ろな目をして、何か話すこともなく寄り添っていた。

廃墟に無造作に置いてあるタイヤや、トタン板のように、ただ寄り添いあっていた。

……これじゃまるで不燃ごみだ。

僕はのそっと立ち上がり、シャッターの方へのそのそ歩き出した。心配そうに、むしはこちらを伺っている。

「……大丈夫。帰ったりしないよ。ちょっと…外を見たくなって。」

シャッターは内と外を隔てる境界線のようなものだった。なぜか、この境界をぶち壊してやりたくなったのだ。

ぐっと力を入れると、ギギギっと軋んだ音がした。埃が舞い、錆びた鉄が引っかかる。よほど長い間開かれていなかったようだ。

がっと一気に持ち上げると、大きな音と共に一番上まで上がった。

「……あっ。」

思わず声が漏れてしまった。

……なんて綺麗なんだ。

「…ほら、むしちゃん。…見てごらんよ。」

「…わぁ……すごい。」

外はすっかり夜の世界だった。そしてその空には、見たこともないような、満点の星空が広がっていた。

思えばこの町に来てから、空を見上げたことがあっただろうか。

この星々は、ずっとこの町の空にあったのか。

…僕たちはまた、身を寄せ合って、ただ星空を眺めていた。吸い込まれそうだ。この夜が、ずっと続けばいいのに。


水槽のような廃墟の中で、僕たちは夢を見ていた。

星空がこちらを見ているような……そんな気がした。

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