第3話 神の御子

 人里から遠く離れた場所に、神々が住まう山がある。

 今そこに、四人の男女に向けて頭を下げるひとりの少年がいた。


「今まで育てて頂き、ありがとうございました」


 柔らかそうな物腰、されど意志の強そうな瞳。

 どんな優れた彫刻家でも、彼から溢れ出る厳かな雰囲気は再現できないだろう。


 四人の男女のうち、後光のさしている、威厳溢れる男が口を開いた。


「フィールや」


「はい、なんですかゼラス父さん」


「これからお前は人間の世界に戻る。

 人間たちは、お前が思う以上に弱く、狡猾で、理不尽。

 だけど絶望してはいけないよ。

 安易な力の行使は控え、理不尽に屈せず、常に人々へ道理を説きなさい。

 お前には悪を正し、人々を正しい道へと導く力があるのだから」


「はい、わかりました。四人の父母の名を汚さぬよう、努力致します」


 フィールは改めて、自分の門出を見送ってくれる四人を見る。


 武の神ジョーグン。

 豊穣と生命の女神ナーテス。

 知と魔術の神リーグルール。

 そして全能神ゼラス。


 幼い頃より、捨て子だった彼を育ててくれた父母。


「なーに、気に入らない奴はぶっ飛ばしちまえ! 俺も今までそうしてきたし、お前ならできるさ!」


 ジョーグンらしい豪快な物言いに、フィールは思わずクスリとする。


「もー、ジョーグンったら! フィールは優しい子なの!

 でもその優しさに付け込んでくる変な女に騙されないようにねっ!

 でもいい子がいたら連れてきなさい、あたしが審査してあげる!」


 少し過保護なナーテス。ハードルの高い彼女のお眼鏡に敵う女の子などいるのか、と苦笑いする。


「お前は既に多くの知識を得ている。

 だが常に真理の追求を。

 好奇心とそれを希求する不断の意志が、生命の原動力だ。

 どんな命題にも諦めることなく取り組め、いいな?」


 リーグルールは常にフィールへと課題を提示し、フィールはそれに応えてきた。


 何事にも諦めを許さないその姿勢こそ、得難い経験であった。


「はい、ではいって参ります!」


 フィールの旅が始まった。


___________


 山を下り始めてしばらくの頃。


「フィールぅ! まっれぇ!」


 フィールの背後から、舌足らずな喋り方で呼び掛ける少女が追い掛けてきた。

 しばし立ち止まり、彼は少女が追い付くのを待った。


「えっと……どちら様?」


 追い付いた少女に心あたりがなかったフィール。そんな彼の様子を見て、少女は憤ったように話し始めた。


「もー! いつも戦ってあげたあらしのことわかんないなんれ、フィールはほんとにおばかさんね!」


 少女の言葉に、フィールは暫し考え……


「まさか、エルドラード?」


 思いついた答えを口にした。

 フィールの言葉に、少女は満足そうな笑みを浮かべて頷いた。


「そうよ、あんたのライバル、エンシェンロロラゴンのエルロラーロよ! ああん、もう、人間の体って慣れないわ! 名前も言いにくいし、エルって呼んれ!」


 いつも戦っていたエンシェントドラゴンが牝なことを、フィールはこの時初めて知った。


 そんなフィールの戸惑いが伝わったのか、エルが聞いてくる。


「ん? ろうしたの?」


「いや、まさかエルドラード……エルが、こんな可愛い女の子だったなんて」


 そんなフィールの発言に、エルは顔を真っ赤にした。


「かかか、可愛いって!? もう、フィールたら何いってんの!? びっくりするじゃない!」


 エルは褒められた衝撃で、普通に話せるようになった。


「いや、僕は嘘は言わない、いや言えないんだ。知ってるでしょ?」


 笑顔とともに、さらに言葉で追撃してくるフィールの言葉に、エルはいっそう顔を赤くした。


「ふ、ふん! どうだか! どうせ人間の世界に行って、そうやって手当たり次第に女の子を口説く気なんでしょ! 心配だからアタシもついていってあげる!」


 そんなエルの言葉に、フィールは微笑みながら


「うん、実はひとりで心細かったんだ、一緒に行ってくれると嬉しいよ、ありがとう。エルは優しいね」


 そういってエルの頭を撫でた。


 ドラゴンの習性なのか、頭を撫でられて心地よくしながら、ちょっとヨダレを垂らしたエルは、しばらくしてハッと気がつき……


「あ、あ、頭撫でるの禁止!」


 彼女は勢いよくフィールの手を振り払った。

 フィールは振り払らわれた手をそのままに、少し残念そうにしながら


「禁止か……わかったよ」


 と、手を引っ込めた。

 フィールの様子に罪悪感を覚えたエルは、ぷいっと横を向き、


「たまになら……良いわよ」


 とボソッと言った。


 フィールはエルの発言に目を輝かせて


「ほんと? わーい」


 また頭を撫でる。

 再び恍惚、ヨダレ、覚醒のプロセスを経たエルが


「もう! たまにって言った!」


 と絶叫した。

 ともあれ、神々に育てられた少年と、ドラゴンの少女の旅が始まった。


──────





 石造りの建物が建ち並ぶ、武骨な街並みである王都。


 建物の前の道には、様々な出店が、所狭しと並んでいる。


 そんな出店での買い物を楽しむため集まった人の波を分けるように歩く、少年と少女がいた。


 そして二人を遠く離れた山から見つめる、四柱の神々。


 ゼラスの能力で、空間に投影された映像に、遠く離れた王都を元気に歩いている二人の姿と、周囲の喧騒を伝える音声が聞こえてくる。


 映し出されていたのはもちろん、その四柱に育てられたフィールと同行者のエルだ。


 フィールが彼らの元を旅立ってから約半年、こうしてその姿を見るのが、毎日の神々の楽しみだった。


「ほう、王都についたのか」


 興味なさげに武道の型稽古をしつつ、チラチラと横目で見ていたジョーグンが呟く。


「ええ。人が多いから、優しいあの子が変な奴に目を付けられないか心配だわー」


 ナーテスがお茶をズズズと飲みながら、二人の姿を優雅に眺める。


 少年フィールと竜少女のエルは、歩きながら物珍しげにキョロキョロと、周囲を見回しているところだった。


「凄い人だなぁ」


 フィールは感心したように呟く。


 到着してから知ったことだが、今日は建国の記念日にあたり、それを祝った祭りが行われているとのことだ。


「そうだね、人ってこんなに沢山いるんだね、あ、あれいい匂い!」


 店頭で串を焼いている店から漂ってきた香りに、エルが興味を示した。


「よし、食べてみよう」


 二人は串焼きを二本購入し、それぞれがムシャムシャと食べながら話していた。


「でもさー。下界ってレベル低いよねー、フィール」


「そんな言い方、良くないよ」


「でも、これまで会った人、全然フィールの足元にも及ばないじゃない」


 この半年で出会った、剣の勇者や、最強賢者を名乗る男、ほかにも猛者と呼ばれるものたち。


 全てが、正直フィールから見れば「え、それ本気でやってるの?」と言ったレベルだったのは確かだ。


 二人がそんな話をしていると……


「あー、処女のメスドラゴンくせぇ、苦手なんだよなあ、食欲が落ちちゃうんだよなぁ」


 唐突に、そんな声がして二人は振り向いた。


 そこにいたのは、どこかが特徴的、という感じもしない、どこにでもいそうな、普通の男だった。


 だが、男の発言は、それを否定していた。


 この半年、エルの正体に気がつくものなど、いなかったからだ。


 もっと言えば、フィールでさえ、人間の姿で現れたエルに、最初は馴染みのドラゴンとは気がつかなかった。


 しかし、そんなことよりも、フィールが看過できなかったのは、男のその発言だった。


「すみません、彼女を侮辱するような発言は、控えて頂けますか」


 フィールはあくまでも、静かに、男に依頼した。


 男は屋台で買った串を、クチャクチャと、職業クチャラーです! と自己紹介せんばかりに噛んだあと、飲み込んでから言った。


「ん? 何が?」


「わかりませんか?」


 フィールが念を押すように、少し語気を強めて聞くが……


 男は腕を組み、うーんと考えてから……


「スマン、さっぱりわからん!」


 と言い切った。


 フィールは「はぁっ」とため息をついてから、男に説明した。


「いいですか? 女性の体臭を公衆の面前で指摘したり、あまつさえ、その男女関係を示唆するような事を言うのは、失礼なんです!」


 フィールには珍しく、その口調には微かな怒りを含んでいた。

 

 そんなフィールの言葉を受けて、男は


「くせーもんくせーって言ってなにが悪いの? あ、お前が抱いてやれば?

 まぁドラゴンを満足させらそうなブツ、とても持ってるようにみえねーけどな」


 と、言って、男女の交わりを暗喩するような指のジェスチャーを行って、フィールに突きつけた。


 あまりの下品さに、フィールが卒倒しかけてると……


「ぐすっ、ぐすっ……」


 すすり泣く声がきこえ、フィールが振り向くと、エルは目を真っ赤にして、肩を震わせていた。


 それを見た瞬間、フィールは生まれて初めて、人に対して大きな怒りを感じた。


 そして、遠い山でも、興奮は最高潮だった。


「そんな奴、ぶっ殺しちまえ!」

 

 さっきまで、ちらちらとしか見ていなかったジョーグンが、映像に齧り付くように顔を寄せて叫んだ。


「そうよフィール! 私が許す! 百回殺しなさい!」


 とても生命を司る女神とは思えない、物騒な発言をするナーテス。


 リーグルールもまた、発言はしないが、相手の男に激しい憤りを感じていた。


 だがそんな中、ふと横を見たナーテスは、ゼラスが考え込むようにしているのを見て、少し冷静になり、疑問を口にする。


「……なによゼラス、あなたは怒ってないの?」


「いや、憤りは当然感じるのだが……」


 それでも、何か腑に落ちない様子だった。

 そんな中、映像では事態は進んでいた。

 

「謝りなさい! 彼女に!」


 フィールは男の胸倉をつかんで、叫んだ。

 男は、さすがに泣かしてしまったのは申し訳なかったと思ったのか……


「あーすまん、お嬢ちゃんドラゴンちゃん。あまりに臭くてさ、でも俺が特別な鼻ってだけだから、気にしなくていいぜ」


 と言った。


「それのどこが謝罪ですか! ちゃんとあやまりなさい!」


 フィールが言うと……


 急に男は、フィールがそばに来たのがきっかけなのか、どこか、落ち着きなく、空をきょろきょろと見始めた。


「どこを見てるんですか! ちゃんと彼女を見てあやまりなさい!

 もしそうしないなら、私が痛い目を見せますよ!」


 力の行使は控えろと注意されていたが、これは、度が過ぎている。


 そう考えたフィールが最後通牒をした。


 しかし、男は


「いや、戦いたいなら、別にかまわんけどさ、ちょっと待ってくれ」

 

 そう言って、きょろきょろしていた男は、一点を見た──瞬間。


 

 あ、マズいわ!

 こんなことできるのって……

 ──男の意図に、最初に気が付いたのは、ナーテスだった。

 それは、最悪の予感。


「ゼラス! 早く『神眼』を切ってぇぇええええ!」


 彼女は気が狂ったように、金切り声を上げた。

 しかし、ゼラスは静かに首を振り……


「……だめだ、もう逆探知された」


 と、絶望の一言を告げた。


「そ、そんな……」


 映像の男は、明らかに、こちらを見ていた。


「おーい早く来いよ」


 映像に映った男が語りかけてくる。


 ゼラスとナーテスだけでなく、他の二人も、いまの状況を、いやというほど理解してしまっていた。


「どうする……」


「どうするって……イヤよ」


「でもなぁ……これで行かなかったら」


「しかし……」


 神々が相談していると……


「なんだ、俺に、そっち、来いって事か?」


 映像の男が少し、ドスの効いた声で言った瞬間──


 


 四柱の神々は、反射的に、男の元へと転移した。

 一瞬で男の前に現れた神々は、その前に立て膝で跪いた。

 突然姿を現した四柱に、フィールが驚いて声を上げる。


「と、父さんたち、母さん、突然、どっ、どうしたの!?」


 しかしそんなフィールの問いかけには答えず、四柱のうち、ゼラスが代表して発言した。


「ご無沙汰しております、パピリン様」


 ゼラスの挨拶に、男は


「今世は、ヨモギーダだ」


 と返した。


「失礼しました、ヨモギーダ様」


「懐かしいなぁ、変わらないな! で、お前ら、最近何やってんの?」


「はっ、まぁ、神を……」


「マジで!? すげーなぁ! 出世したじゃん!」


「は、はい、おかげさまで……」


 そんなゼラスの恭しさをはじめ、四柱の態度に疑問があったフィールが再度問いかけた。


「ど、どうしたんですか!? こんな男に!?」


 そんなフィールの質問に、ゼラスは振り向きもせずに答えた。


「……この方は、我々の師匠だ。

 この方の前世で、我々は弟子だった」


「えっ!」


 フィールが驚いているのを尻目に、ヨモギーダがゼラスの背後の光、後光を指差して


「……おいゼラス、それ、眩しいよ?」


 と指摘した。


「あっ、ス、スイマセン! バックライト・オフ!」


 ヨモギーダの指摘に対して、ゼラスは慌てたように叫んだ。

 すると、ゼラスを背後から照らす後光がふっと消える。




 えっ? あれってオンオフできる感じのやつなの!?



 フィールは驚いた。

 初めてみた、オフ状態のゼラスは、心なしか小さくみえた。


 フィールが衝撃を受けている間に、ヨモギーダはジョーグンへと近づき……


「おっ! 久し振りだな!」


 そう言って、右肩の辺りを拳で「ピシッ! ピシッ!」とパンチし始めた。


「ちょ、いたっ、やめてくださいよー」


「お前、何の神様なの?」


「あ、はい、一応、武の神です、いたっ」


「まじかよ、泣き虫だったお前が! はー、偉くなったなー! 何、俺今、武の神殴っちゃってんの!? うはー」


 気に入らない奴はぶっ飛ばせ、そう豪語していたジョーグンは、肩にパンチを受けながら、ヨモギーダのそんな言葉に、あごだけで頷きながら、卑屈な笑みを浮かべた。


 何発か叩くと満足したのか、ヨモギーダは今度はナーテスへと振り向いた。


「で、おまえ、何の神なの?」


 ヨモギーダの問いかけに、ナーテスは


「……生命と、豊穣です」


 と、言いにくそうに答えた。


「そっかそっか! 生命と豊穣! ピッタリだな! 産めよ増やせよってか! だってお前、俺に弟子入りする前は、男を毎晩取っ替え引っ替え……「やめてください! フィールの前で言わないで──!」


 育ての母の男女関係、それも結構ヤバい感じのを聞かされ、フィールは何か泣きたくなった。


 そんなカオスな状況の中、ヨモギーダはあっと気がついたような顔をして、リーグルールへと振り向いた。


「お前、俺が転生前に出した宿題は?」


「あんなの無理っす! 三日で投げ出しちゃいました!」


「そうやってすぐ投げ出すところ、オメーも変わんねーなぁ」


「ひひ、スミマセーン!」


 どんな命題も諦めるな、そう言ったリーグルールは、宿題を三日で諦めていた。


 そうやって一通り、四人の神と交流して、ヨモギーダはフィールの方を見て……


「よし、じゃあ戦うんだっけ? そろそろやるか?」


 と聞いた。


「いえ、いいです……」


 フィールに戦う気力など、もう無かった。

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