すみれさん

 あれはまだ小学生に上がってすぐのころか。


 しして1年。当時とうじ僕には友達がいなかった。

 学校や近所の子と馴染なじめずにいる僕を両親はとても気にしていた。僕もそのことには何となく気づいていた。でも両親の悲しむ顔が見たくなくて、学校が終わるとすぐに公園に行って友達と遊んでいるをしていた。


 そんなときだった。すみれさんに出会ったのは。


 すみれさんを最初に見かけたのは、今と同じくらいの季節だった。


 公園にある木製もくせいのベンチに1人の女の子がぼんやりとすわっていた。

 実際には当時の僕よりもあきらかに年上だったから、“女の子”ではなく“お姉さん”だった。

 なぜ僕がそのお姉さんに目がいったかというと、公園でお姉さんと同じくらいのとしの子をあまり見かけなかったことと、春のはじめだというのに半袖はんそでの服を着ていたこと、そしてもう1つ。


 だれもお姉さんの存在そんざいに気づいていなかったことだ。


 お姉さんの頭上ずじょうにボールが飛んでこようが、隣に散歩中のおじいさんが座ってこようが、犬が近くを通ろうが声をかけたり、気にする様子は見られなかった。ましてやお姉さんの方から声をかけようとすることはあっても、なぜかみんな知らんぷりをするのだ。


 なんだかちょっとかわいそうだな、と思った。でもどう話しかけていいか分からなくて、気づいたら3日がっていた。


 その日もお姉さんはベンチにいた。そしていつもと同じ半袖のワンピースを着ていた。


 僕は思いきって聞いた。

「ねぇ、どうしてお姉さんはいつもここにいるの?」

 そうするとお姉さんはおどろいた顔をして

「私に話しかけてる?」

 と聞いてきた。

 僕はその時、なんでそんなことを聞いてくるのか分からなかった。

「お姉さんにしかお話してないよ」

 と答えると、

「そう……。私、気づいたらここにいたの」

 とさびしそうに言った。


 いつからいるの、と聞いたけど、覚えてないと言われてしまった。


「私に声をかけてくれたのは君が初めて。どうして声をかけたの?」

「だって、なんかみんな知らんぷりしているから」

 そう言うとお姉さんは、

「ありがとう、やさしいんだね」

 とにっこりと笑った。


「お姉さんは寒くないの?」

 僕は半袖の服が気になって聞いた。

「うん、寒くないよ」

「もうちょっとあったかいところに行こうよ」

 僕は日なたを指差して言った。ベンチは日かげにあったのだ。

「ごめんね、私ここから動けないの」

「なんで?」

「……」


 少しの沈黙ちんもくが続いたあとお姉さんはしずかに言った。

「お姉さんね、もうこのにはいないかもしれないんだ」


 ***


「この世にはいないって?」

「あー、えと…、お姉さん死んじゃっているかもしれないんだ」

 苦笑にがわらいしながら言った。

「ゆーれいってこと?」

「うん、多分たぶん……」


こわく、ないの?」

「怖くないよ。だって怖いゆーれいはおどかしたり、ひどいことするもん!」

「あはは、そうだね。おどかすような幽霊は怖いよね」

「お姉さんはどうしてゆーれいになったの」

「それもよく分からないや、ごめんね。

 でも確か、どこかに出かけていたような気がするんだけど……」

 お姉さんは考え込んでしまった。


 僕は答えにくいことを質問してしまったとなんとなく気づいて別の質問をした。

「そのお洋服、これとおんなじ色だね」

 僕は近くに咲いていた花を指差した。

「それは、“すみれ”だね」

「すみれ?」

「その花の名前」

「すみれって言うんだ」

「そうだよ、きれいな花だよね」

「うん!」


「ねぇ」

「うん?」

「そういえばお姉さんの名前は?」

「名前……、なんだっけ。ごめん、思い出せない」

「じゃあ、すみれさん!」

「すみれさん?」

 僕はすみれの花とお姉さんの服を指した。

「あぁ、なるほど。うん、わるくない、すてきな名前だね」

 すみれさんは優しく微笑ほほえみながら言った。


 その日から僕はすみれさんと毎日話をした。


 すみれさんはなんでも知っていた。特に画家がかや絵にくわしかった。


「ピカソって知ってる?」

「ううん、知らない」

「有名な画家なんだけど、すっごい名前が長いの」

「え、そうなの?教えて教えて!」

 そう言うとコホンと一つ咳払せきばらいをして言った。

「…パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ!」


「すごーい!魔法まほう呪文じゅもんみたい!」

「へへ、そうだね。私覚えるの大変だったんだよ」

 すみれさんは得意とくいげな顔をして言った。


 すみれさんは学校で絵をいていると言っていた。

 一緒いっしょに描く友達もいると知ってうらやましいと僕は思った。

「海斗君も絵が好きになったら、美術部に入りなよ」

「びじゅつぶ?」

「友達と絵を描いたりできるんだよ」

「僕、すみれさんと描きたいな」

「あはは。うーん……、そうだね。いつか、ね」


 ある時すみれさんは言った。

「絵の具の秘密ひみつ知ってる?」

「ひみつ?」

「そう。違う絵の具をぜ合わせるとね、新しい色が生まれることがあるの」

「新しい色?」

「たとえば、青色と黄色を混ぜるとね」

「混ぜると…?」

「教えなーい。だって知っちゃったらつまらないでしょ?いつか絵の具を使う日がきたら、試してみて」

 すみれさんは少しからかうようにそう言った。


 僕はすみれさんが言ったことをためしたくって、帰ってから早速さっそく、絵の具がしいと両親に言った。両親は普段は物をねだらない僕が急にそんなことを言い出したから少し驚いていたけれど、翌日よくじつには12色の立派りっぱな絵の具を買ってくれた。


 僕はすみれさんが言ってたように青と黄色の絵の具を混ぜた。そうするとたちまち緑色に変わった。


 これが絵の具の秘密……!


 翌日よくじつそれを僕が興奮こうふんしながら伝えるとすみれさんはすごくうれしそうな顔をした。


 僕はすみれさんにたくさん話をした。


 お母さんの作るご飯のこと。

 お父さんの髪をととのえるときのへんなくせ

 好きなアニメのこと。

 おじいちゃんの誕生日をみんなでお祝いしたこと。


 そして、引っ越ししてまだ友達がうまく作れないこと。

 両親がそれを心配していること。


 すみれさんはいつも真剣しんけんに話を聞いてくれた。


「それまでなかが良かったお友達とははなれちゃったんだね」

「うん……」

「でも大丈夫。私は海斗君の友達だよ」

「ほんとう!?」


「あ、そうだ、この間ね――」

 そう言いかけて僕は、すみれさんの姿すがたがいないことに気づいた。

「すみれさん?」

 突然とつぜん消えたすみれさんは結局けっきょくその日、再び現れることはなかった。何度名前を呼んでも返事は返ってこなかった。


 翌日、すみれさんと会った僕は言った。

「どうして昨日いなくなっちゃったの?」

 そう聞くと

「分からない。海斗君を1人ぼっちにしてごめんね」

 すごく悲しそうに言うので、僕はそれ以上言えなかった。


 出会ってから1週間くらい過ぎた頃、すみれさんは僕に言った。

「海斗君、そろそろさよならみたい」

「え……」

「最近、わたし突然消えちゃうことが多くなったでしょ?きっとあれ、もうすぐ天国に行かないといけないってことなのかも」


 確かに、すみれさんは突然消えてしまうことが増えていた。そしてだんだん会える時間が短くなってきていた。


「いやだっ!」

「海斗君…」

「行かないで。僕を1人にしないでよ…」

「私もこのまま消えたくないよ。……でも、私は幽霊だから。きっとずっと一緒にはいられない」

「なんで……」


すみれさんは僕の目をぐ見つめながら言った。

「海斗君、私ね、海斗君と話せて、一緒に過ごせて楽しかった。本当だよ」


「私、この世からいなくなっても、海斗君のことずっと見守ってるから。ずっと」

 そう言うすみれさんは既に消えかかっていた。

「すみれさん……!」

「ねぇ、海斗君。時々でいいから私のこと思い出してくれる?」

「うん……。うんっ、うん‼︎」

「ありがとう。私…、私、海斗君のこと、大好きだよ!」


 そう言ってすみれさんは笑った。そして、消えた。


 はじめは無事ぶじに天国に行けたんだと思った。

 けれどその気持ちの後にとてつもない悲しみがやってきた。

 二度にどと会えないことをようやっと知った僕は泣いた。すごく泣いた。


 帰ってからずっと泣いている僕を見て、両親はひどく心配した。

 仲の良かった人とさよならしたのだと言ったら、なんだか少しホッとした表情ひょうじょうで僕をぎゅっと抱きしめてくれた。


 誰かがなくなって心のそこから悲しいと思えたのはそれが初めてだった。


 それからすみれの花が咲いているのを見るとなんだかむねおくがきゅっとめ付けられるような気がした。


『大好きだよ!』

 そう言うすみれさんの顔を思い出す。


 僕もすみれさんが大好きだった。


 その気持ちがではないことに気づいたのはもう少し大きくなってからだった。


 そして今も、僕はすみれさんが好きだ。

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