栄信の涙 その2
鍛冶場では仕事の合間に様々なことを語り合っていた。淡戒はよくしゃべる僧だったが、栄至と胡仁は輪を掛けて話し好きだった。当時、僧の修行場は『無言の行』が当然だったが、天安寺では僧達の繋がりを重んじ、『無言の個の行より、互恵、互助の修行』を常としていた。
さすがに、ここぞと言う時には無言で仕事に打ち込んだが、それ以外は宿坊や大部屋での噂話や、老僧達の言葉を又聞きして披露した。
特に、胡仁の人脈は広く、さしずめ天安寺の裏事情通と言ったところだ。
「これは
「それはまことですか?これから忙しくなると、皆この小屋に寝泊まりせねばならないのですよね!」栄至は何とも心細い顔付で唾を飲み込んだ。
「今でも火を落とせない時は明け方までここに泊まっているのに、薄気味悪いことです」胡仁は、自分が語った言葉で恐怖に固まった。
淡戒が言った。「本当に薄気味悪いことですね。素空様に相談してみましょうか?私達が安心してお役目を果たせるよう、ご祈祷をしてもらうのです」
淡戒は、暫らく考えて言った。
「ご祈祷と言えば、西院のどなたでしょう…?
栄至が言った。「こんな話をして、気味悪がっている私達は、小心者だと言うことでしょうか?見えないものに
「考えても見なさい。善なる人の魂が
淡戒が語り終えた時、仕事場の隅に掛けていた
「3人ともどうしたのですか?」栄信はにこやかに言葉を掛けたが、3人は言葉がでずに答えることができなかった。3人が良からぬ相談をしていたと思い、優しく微笑んで落ち着くまで待つことにした。
暫らくして淡戒が話し始めた。「栄信様、怨霊の話をしていたのです。すると突然あの隅の箒と鍬が土間に落ちてビックリしたところに、栄信様がおいでになったのです。
栄信は、3人の顔を交互に眺めながら言った。「これはこれは、まことに申し訳ありません。栄雪と話をしていたら、鍛冶方の3人を覗いてみたくなったのです。別に用があった訳ではないので、そっと覗いて帰るつもりだったのですが、怨霊の話とは…お暇なことですね」
3人は先ほどの話をすべて伝えた。栄信は少し思案して言った。
「怨霊ですか?確かに霊の存在はあるでしょうが、この辺りが戦場で怨霊がでるなどとは、にわかに信じがたいですね。
3人は不満げに栄信を見返した。
すると、栄信が笑みを消して真顔で語り始めた。
「僧がこのような話で恐怖心を持つのは良くありません。生きていればその人に対し、死んでいればその魂に対して祈り、願うのです。御仏にその人、その魂の癒しを願い、取次ぎ、祈るのです。霊を怖がることは恥ずべきことで、例え
栄信は更に言った。「
淡戒は天安寺に上がって以来、灯明番として栄信に付いていたがこのようなことはまったく知らなかったし、そもそも、そのようなことを伝授すると言うこと自体、怨霊や悪鬼悪霊の存在を肯定するものだと思うと、またさっきの薄気味悪さが蘇った。
栄信は、3人と別れて自分の部屋に戻るまで、ずっと考えていた。『私に悪鬼悪霊や怨霊が分かるのだろうか?御仏の真の御姿が見えない私に、
その時、素空が墓所で言った言葉を思い出していた。『あの時、素空様は何者かの気配に気付いていたのだ。素空様は不意を衝かれても敵に
栄信は不安になった。この時ほど神仏の真の姿に与りたいと思ったことはなかった。『ああ、私は何と未熟だったのか!』栄信は肩を落として自室に戻った。
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