第11章 松石の徳 その1

 「明智様、奥書院の詰め所で皆様と今後の段取りを話し合って下さいませんか。栄雪様は掛かりの総額を試算して、瑞覚大師にご報告できるよう、書付けを用意しておいて下さい。私は、松石様と共に、西院の興仁大師に今回の報告をして、小半時(30分)ほどで戻って参ります」

 西院と東院の分かれ道にある大楠の下で別れたが、この木は待ち合わせや別れの時に使われ、天安寺では象徴的な木だった。

 釈迦堂しゃかどうに着くまで、饒舌な松石が押し黙って、心なしか沈んでいるように見えた。興仁大師の部屋に招かれ、2人が中に入ったのは間もなくのことだった。素空は、松石の同行を許してもらった礼を言った後、3日間のことを掻い摘んで語った。

 興仁大師は、にこやかな顔で素空に質問した。

 「志賀孝衛門殿はたいそう徳の高いお方と聞いているが、どのようなお方かな?」

 素空は、すぐさま答えた。「はい、一口ひとくちに申しましたら大変信心深いお方です。ご夫婦ともに、観音菩薩が金色に輝くのをご覧になり、家族や奉公人にはもとより、村人にも優しく皆に慕われているようでした」

 興仁大師は、なおもにこやかな顔を崩さず素空を労った。

 暫らくして、素空は報告すべきことをすべて伝えると、興仁大師の息災を願いつつ忍仁堂に帰って行った。

 素空が去った後、興仁大師が、松石に質問した。

 「松石、素空と行動を共にしてどうであったかな?その…素空は?」

 松石は、かしこまって答えた。「素空様は噂通りのお方でした。若くして僧が求めるすべてのものを備えているように思いました」

 松石は、ここで少し口籠って1番大切なことを口にした。

 「お大師様、鞍馬谷で未明に素空様は沢の中の大岩で経を唱えておられました。私が用足しに外に出た時、金色の光に誘われて歩みを進めると、素空様が金色に輝いていました。それは、まるで御仏そのもののようだと思いました。私は怖くなり小屋に戻り、やがて夜が明けて皆が目を覚ました頃、素空様がいつもと同じような表情で戻って来ました。あのお方は、一体どのようなお方でしょうか?」

 興仁大師は暫らく考えていたが、意を決したように口を開いた。

 「素空は紛れもない、ヒトである。但し、御仏に誰よりも愛されたヒトである。良いか松石よ、御仏はヒトに似せて姿を現され、僧とは御仏に近付くために修行をするものじゃ。先ほど、そなたは答えた筈じゃ。素空は、僧が求めるものをすべて備えていると…素空が金色に輝いた時、御仏に限りなく近付いた証なのじゃ。素空はもはや天安寺での修行などいらぬほどの高みに上がったようじゃ」

 「では、守護神の落成後は寺を下りられるのですか?」

 興仁大師は、再び笑みを浮かべて答えた。

 「いいや、3年の間、天安寺でなければできない修行を行うことになっているのじゃよ。このことは、御仏の御言葉じゃよ。素空は思うがままに修行をするであろうが、肝心なのは、他の者が素空と直に接することなのじゃ。そなた達は、3年の間に素空から多くのことを学ぶことじゃ」

 松石は、もう1つ気になっていることを尋ねた。

 「お大師様、素空様は何故人の心を捉えて離さないのでしょうか?」

 「素空には、御仏の御慈悲が身に付いているからであろうよ。人を包み込むように慈悲の心を持って、人と向かい合っているのじゃよ。わしも、この年になってそうなり得たように思うよ」松石は、興仁大師の言葉に深く頷いた。しかし、興仁大師は更に言葉を繋いだ。

 「松石よ、大切なことじゃ、よく聴くのじゃよ。素空は確かに立派だが、それを認められるそなたも立派なものなのだよ。御仏を認めぬ者には、素空とて、ただの僧にしか見えないのかも知れないのじゃ。素空の気高さ、神聖さを認める者は皆、御仏に近くあることを心得ておくことだよ。自信を持って修行をしなされ」

 松石は、興仁大師の心遣いに感謝した。

 素空は西院から奥書院の仏師方詰め所に帰り、栄雪に頼んでおいた書付けをもらうと手早く改めて、瑞覚大師の部屋を訪ねた。折り良く、瑞覚大師は栄信と談笑していた。

 「おお素空か、帰ったのじゃな。で、首尾はどうであったかな?」瑞覚大師の問い掛けに、素空は間髪を入れず答えた。

 「はい、良材を用いた小屋が3戸見つかり、その小屋の持ち主との交渉も無事にすみました。お世話して頂いた庄屋の志賀孝衛門様の方で大工の手配をして頂くことにいたしました。梅雨に入る前に材料の搬入をいたしたいと思っていますので、万事早急な手当てを旨といたしました。掛かりの方はこの書付けをご覧下さい。興仁大師へのご報告は、志賀様からの見積もりが上がるまでは差し控えたいと思います」

 素空の説明に満足の笑みを浮かべて、瑞覚大師は大きく頷いた。

 「重畳ちょうじょう、重畳…」瑞覚大師は、栄信を見て更に微笑んだ。

 「素空様、いよいよ本格的に始まりますね」栄信がにこやかに語り掛けた。

 「栄信様、これから彫りに掛かるまでには、色々と難問もあるのです」

 「ほほう、それはどう言うことですか?」

 「はい、先ずは、搬入した楠材を梅雨前に屋根の下に納めるようにしなければなりません。次に、道具を少なくとも4組作らねばなりません。私は1揃い持っていますが、物によっては10や20の数を作る必要があるのです。道具を作る鍛冶場が仕事場の近くになければなりません。また、鍛冶職人として淡戒様を起用いたしたいと考えています。差し当たって、以上のことを解決しないことには始まりません」

 素空の言葉が終わると、暫らくの沈黙が流れた。

 「素空よ、仕事場と鍛冶場は興仁大師に頼んで、宇土屋喜兵衛殿に建ててもらおう。道具作りは淡戒で良いのかな?」

 「はい、淡戒様は鍛冶屋で奉公していらっしゃったそうです。淡戒様でしたら、きっと良い物が作れるでしょう。2、3日したらお願いするつもりです」

 素空は、栄信と一緒いっしょに瑞覚大師の部屋を出た。

 「栄信様、灯明のことを少しお訊きしてもよろしいですか?」

 栄信は、素空の唐突な申し出に驚いた。このようなことは嘗てないことだった。

 「素空様、何事でしょうか?」栄信は怪訝な顔をして言った。

 「灯明番の方々は灯明を決して絶やさぬよう、日々のお勤めをなさっていますが、万一のことはお考えでしょうか?」

 「私が灯明番のお勤めを始めた頃、素空様と同じような心配をいたしました。御本山が災害に遭ったとしましょう。その時、恐らく灯明は消え、忍仁大師の昔から営々と繋いで来た法灯は途絶えてしまうのです。瑞覚大師は『心配無用じゃよ』とおっしゃるばかりでした。後で知ったのですが、灯明を、美濃みの播磨はりまに分けているそうで、3か所同時に消えることは先ずないだろうと思います」

 「2重3重に安全策を講じていると言うことですね。大切なものだから…」

 素空はそれっきり押し黙って、何やら深く考え始めた。

 栄信は、素空の突然の質問が、守護神の建立に関わっていることを感じた。

 「素空様、新堂は大切なところですから、前門と後門にそれぞれ守護神を置いているのですね。しかも、前門の守護神は2体で1つの役目を担っているのですから、何とも念の入ったことですね…」

 「栄信は、何でもお見通しですね。初めに灯明のことで疑問を持ったのは、偽りではありません。おこたえを得て、守護神に置き換えて考えてしまいました。申し訳ありません」

 「いいえ、素空様が先ず以て考えなければいけないのは、守護神のことですから当然です」栄信はそう言った後、1つのことに思い当たった。『この時のことばかりではなく、これまでにも何度かあった…まるで御仏が、疑問から結論までを導いているかのようだ』素空が語り掛けた時、いつしか、求める方向の結論に至るのだった。

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