仏師方 その7

 やがて、良円、仁啓、法垂の3人が、2人を探しに遣って来た。

 「お2人ともこちらでしたか?」良円が、ホッとした顔付で話し掛けた。

 「暗くなりましたので、そろそろお戻り下さいませ」

 素空は、良円の勧めに応じて、小屋に向かって歩きだした。

 明智は、目に涙の後を残していた。

 「明智様、何事かあったのでしょうか?」良円が心配そうに尋ねた。

 明智は、この夜は素直に話すことができると思った。

 「私は今、御仏の降臨を見たのです。素空様の姿が金色こんじきに輝き、光背こうはいに包まれていました」明智は、自分が目にしたことを確認するように呟いた。

 「明智様、それでは素空様が御仏だとおっしゃるのですか?」法垂が驚きの眼差しで問い掛けた。

 「いいえ、私が、素空様の姿を借りた御仏を見たのです。私は、御仏の御慈悲で罪を赦されました。償いとしてあなた方を正しく導くよう素空様に勧められました」

 良円は不審に思ったことを素直に口にした。

 「では、素空様は一体いったいどのようなお方でしょうか?」

 明智は、素空が去った方を向いて言った。

 「あのお方は、御仏に愛されたお方です。私達が遠く及ばない、神聖なお方です」

 そう言うと、小屋に向かって歩きだした。後に従う3人は、明智が次第に変わって行くのを目の当たりにして、戸惑いを感じていた。

 その日の夜は、皆早々に寝込んでしまった。夜明けにはまだ早い早朝に、松石は用足しに外に出た。月明かりに夜露よつゆが白く光り、道ははっきりと見えた。その時、左の木陰で金色に輝く光を見た。松石は不審に思って光のもとを突き止めようと歩みを進めた。

 光は近いように見えて、かなり遠くで輝いていた。沢まで下りて身をひそめ、光の正体を確かめようとうかがったが、既に光は消え失せ、月明かりに沢が白く輝くのみだった。沢の中の大きな岩に座した素空が、低い声で経を唱えていた。素空は、3つ並んだ岩の下手しもてに座していた。素空の読経は、松石の胸底むなぞこ鼓動こどうのように響かせながら、染み込むように伝わった。

 松石は、これ以上覗き見ることははばかられたので、引き返すことにした。

 帰り道、素空のことを考えたが、松石には分からなかった。こんな時は、興仁大師に相談するしかなかった。松石は結論がでないと直感したことは、暫らくの間、そのことを忘れるようにしていた。

 小屋に戻ると全員を確認したが、やはり、素空だけが居なかった。『素空様は、夜も寝ることなく、御仏に語り掛けておいでなのだろうか?』松石は、忘れようとしても、すぐに素空のことを思い浮かべた。

 やがて、外が白み掛け、松石は眠れぬままに朝を迎えた。火が落ちてきになった囲炉裏いろりの中を掻き混ぜ、新しいまきに火を点けた。小屋が急に暖かくなり、丸まって寝ていた皆が、1人また1人と起き上がり全員が目覚めた頃に、素空が小屋に戻って来た。早速、仁啓が朝食の支度を始めた。囲炉裏に汁物の鍋を掛けて、多めに握っていた飯を入れて焚き上げれば、雑炊ぞうすいのでき上がりだが、炊き上がるまでの間、朝の勤めの経を上げた。初め松石が先上げたが、すぐに素空に渡して五郎の小屋におごそかな時間が流れた。仁啓は雑炊の加減を見ながら経を唱えたが、このようなことは、神仏に対して不敬とされることはなかった。

 「皆さん、朝餉あさげができました」仁啓が頃合いを見て声を掛けると、皆が朝食を摂った。食事の初めに素空が言った。

 「皆さん、今日は、昨日にもまして大切な日になると思います。さあ、仁啓様に感謝して、しっかり食して、力を蓄えましょう」

 栄雪が、仁啓に言った。「今日の具材は何ですか?」

 「煮干にぼしで出汁だしを取り、具材は大根、人参、芋などです。山鳥やまどりは入っていません」

 すると、栄雪も行信もひどく残念がって見せ、一同に笑いが生まれた。この様子を見て、松石は、皆が更に打解けて、守護神が立派に完成するだろうと思った。

 松石は、昨日の夕食のいさかいを治め、経を唱えれば聴く者の心に安息を与える素空の姿に目を止めた。『何故、このように人の心を捉えることができるのだろうか?』やはり、答えは興仁大師に聞くことにした。

 朝食が終わると、出発の支度を始めた。

 「今日は仁啓も一緒に行くのですよ。昼の弁当作りと、片付けは手伝いましょう」明智は、仁啓に思い遣りのある言葉を掛けた。

 仁啓は、思わず明智を見た。こんなことは嘗てないことだった。

 「仁啓、先ずは朝餉の片付けをしましょう。この鍋を先に洗わないことには弁当の飯炊きができませんね」そう言うと鍋を持って沢に下った。良円も、明智に倣って椀や箸を持って明智に続いた。仁啓は、日ごとに変わって行く明智に戸惑いながらも、その優しさに涙ぐんだ。

 素空達は支度がすむと、明智、良円、仁啓を残し、昨日改めた小屋の吟味と、幾つかの小屋の検分をした後、卯之助の炭焼き小屋に遣って来た。中に入ると目を疑うほどの、それこそ宝の山だった。松石が思わず口走った。「何と、この小屋さえ手に入れば、他は見るべくもありませんね」小屋は極太の楠材をふんだんに使っていた。棟木むなぎには丸太の楠材を使い、隅の4本の柱は4つ切りだったが太く、木取りの良し悪しが良く分かった。そして、棟木の下の3本の柱は取分け太かった。真ん中の柱は板の間と土間の間にあり、大黒柱だいこくばしらと言うにふさわしい太さだった。この小屋は、全部で丸太7本分の楠を使っていたので、松石が言ったように、この小屋だけで材料をまかなえそうだった。

 素空は、小屋をひと通り吟味し終えると、皆に声を掛けた。

 「皆様、ここは卯之助様の小屋です。相当多くの楠材がありましたので、後ほど里で払い下げの申しでをいたしたいと思います。一旦いったん五郎様の小屋に戻り、昼の弁当を持って、里に下りて下さい。私と栄雪様は縞蔵様しまぞうさまの小屋を検分します」一行いっこうは2手に別れることになった。松石は、素空の言葉で交渉が容易でないことを悟った。「松石様、志賀孝衛門様のお屋敷にお伺い頂き、卯之助様の炭焼き小屋と佐助様のキコリ小屋をお譲り頂くようお願い下さい」

 松石と法垂、行信と淡戒が五郎の小屋に向かい、素空と栄雪が縞蔵の小屋を改めることになった。縞蔵の小屋の良材は3本の柱だけだったので、吟味が終わるとすぐに志賀孝衛門の屋敷に向かった。栄雪は志賀孝衛門の屋敷までの道々、素空が更に大きな存在になったような気がした。近くて遠い存在が、今、目の前にあった。

 

 

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