仏師方 その6
猟師小屋を出て2時(4時間)ほど経ち、五郎の猟師小屋には、3組の僧達が次々と戻って来て、素空と淡戒が最後になった。明智が3戸、松石が3戸、栄雪が1戸の小屋を見付けたと報告した。素空は、里に下りて
素空は、明智と行信、良円に地図をだしてもらい、小屋の所在を書き入れた。一同が見守る中、約30の小屋と参道を描き込んだ。地図には、既に数戸の小屋が明智達によって描き込まれていた。素空は、それを活かして描き込んだ。志賀孝衛門に見せてもらった地図と、まったく同じ数の小屋が描き込まれ、道が描かれた。淡戒が思わず驚きを口にした。
「素空様、何とあの地図とまったく同じではありませんか!」
淡戒は、今更ながら素空の才を思い知らされたが、驚きはこれに留まらなかった。
明智が指を差して3戸の小屋を示し、松石が更に3戸を示した。栄雪の1戸が指し示されると、素空はすぐさま持ち主の名を書き込んだ。淡戒は更に驚き、素空の底知れぬ知力に敬服した。
「明日はここに記された小屋を改めましょう。また、この地図の中でまだ見ていないところはありませんか?」素空の問い掛けに、明智が答えた。
「これを見ると御本山に1番近いここと、ここと、ここがまだのようです。他の方々は如何ですか?」
松石と栄雪は、首を振り漏れたところはないと言った。
「では、明日早くに、この3戸を改めながら今日改めた7戸を吟味することにいたしましょう。明日の朝は、日の出と共に出発いたしましょう」
この日は、仁啓が用意した夕食を食して早めに休むことにしたのだが、仁啓の汁物の具に肉が入っていたことで、一同の意見が2つに分かれて騒然とした。
「仁啓様、この具は一体何ですか?見たところ肉のようですが、如何ですか?」行信が怒りの形相で仁啓に詰め寄った。
仁啓は事も無げに答えた。
「皆様方が出られて半時(1時間)ほど後に、この小屋の五郎様がいらっしゃっいました。猟の帰りと言うことで、
仁啓の挑戦的なこの言葉に、一同を2つに分けた論争が巻き起こった。栄雪、松石、行信、淡戒は肉食の禁止を訴え、明智、良円、仁啓、法垂は食の戒めは愚かなことだと主張した。素空は、こんなことで
「仁啓様、肉を食らう者は殺生を禁じる仏道に反します。そのような者は、果ては飼ったものをも食します。私の里の者は、毎日
「これは、飼った
一同騒然となった時、素空の様子を覗くように、1人また1人と素空の意見を求めた。素空は汁をひと
「おいしい汁ですよ。せっかく仁啓様が作って下さったのです。さあ、頂きましょう」そう言って、またひと啜りした。そして、声音を変えて語り始めた。
「私が僧になったきっかけは、村が飢饉になったためです。食べる物もなく、川の魚や、カエル、イナゴなど、子供の私でも捕ることのできるものは捕らえて食していました。鶏や、イノシシの肉も食しました。仁啓様のおっしゃる通り、人は食べねば生きて行けないのです。さりとて、愛玩した生き物を食することは別なのです。山鳥は、御仏の恵みに感謝して頂きましょう。このことは、僧の戒めとして肉食を禁ずることの愚かさを露呈しているのです。要は、御仏の意に適うことか、そうでないかと言うことなのです。人が作った
素空の言葉に、明智は大きく
一同は妙にシンとした空気に包まれながら、また箸を取った。
「私は肉を食したことがないので、どなたか食して下さらぬか?」
松石が明るく大きな声で皆に声を掛けたが、行信や淡戒は食べないと言った。
松石は、2人に話し掛けた。
「お2人とも山鳥を食しなされ。五郎殿のお気持ちを受け入れなされよ。お仲間じゃ。私は肉を食すには、いささか年を取り過ぎてしもうた」
素空は、松石の肉片を自分の椀に入れるよう頼んだ。
「淡戒様も頂きなさいませ。御本山では決して食することのできない珍味なのですよ」素空の言葉で、松石以外の僧達は肉の味を嚙み締めた。
食事の途中、明智の目頭に涙が浮かんだ。ここでは、
夕食の後、素空は1人小屋を出た。暫らく歩くと、沢があった。流れの中に、大きな岩が3つ並んでいた。素空は、上手の岩に座し、経を唱え始めた。沢の音が消え、薄暗い月の光の中で、水面が揺らめいていた。静寂の中で、素空の声が山肌に吸い込まれるように密やかだった。
暫らくして、明智が小屋を出た。
明智は金色の光に導かれ、素空の前に座した。素空は目を開き、明智に岩に座して経を唱えるよう促して経の続きを唱えた。素空は経を上げながら、
やがて、素空が3本目の経を唱えだした時、明智は悔恨の思いが癒されて行くのをハッキリと感じていた。
「一体どうなさいましたか?何やら、お心を乱されていたように思いましたが…」
「私は、今初めて御仏の降臨を見ることができました。素空様の
明智の目から、新たな涙が溢れだし、素空は暫らくして明智に声を掛けた。
「明智様は、御仏に罰を頂くことは決してありません。御仏が姿を現すのは、御仏に近くある者と、信仰の種を宿す時と、仏罰を与える者にのみなのです。仏罰を受ける者には、御仏そのものを見るのではなく、御仏の使者達であると聴いています。明智様は嘗ての己を悔やみ、今生まれ変わったのです。恐らく、生まれ変わる者に道を御示しになるために降臨されたのです。ご安心下さい」
素空は、明智が完全なる回心をしたことを知った。
明智は
「素空様、私は素空様に御仏の降臨を見たのです。岩の上に座して経を上げているお姿に光背を見ました。木彫りの仏像ではなく、生きたお方にその御姿を現されたのです」
明智は必死だったが、素空は重ねて否定した。
「明智様がご覧になったのは、私ではなく、本当に御仏だったと私も思います。しかしながら、私はこの岩に座した時から、今この時まで私自身でありました。御仏が、私の姿を用いて明智様に姿を現し、御仏の御慈悲を御示し下さったのです。明智様は、生まれ変わり、御仏が過去の罪を御赦しになったと言う証なのです。これからは、一派の方々を正しくお導き下さることで償いなされませ。世には数多くの罪がありますが、償えない罪は厳しく罰せられ、償える罪は御仏の御慈悲を以って赦されるのです」
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