仏師方 その4

 帰りは、松石と2人で栄信のことや、守護神建立について話しながら歩いた。

松石はかなり饒舌じょうぜつで、愛嬌あいきょうたっぷりにおどけて見せたりして、20才以上の年の差などないような感じだった。

 松石は、素空の理知的な顔立ちは、内面がそのまま表れていることに気付いた。話の組み立てと、質問や答えの的確さなど、無駄なことは一切口いっさいくちにしないのだが、その言葉には人の心をとらえ、思い遣りのある暖かさがあった。松石は、西院でも噂の絶えない素空の人柄に感服した。

 素空は、栄信の部屋で松石と別れると、奥書院に帰って来た。

 「素空様、どちらまでおいででしたか?」栄雪が怪訝な顔で尋ねた。

 「皆様もお聞き下さい」素空は、法垂だけ不在だったが、栄雪への答えを皆にも話そうと思った。暫らく、西院に行った訳を話し、明朝、松石に同行してもらうことを伝えた。

 素空の説明が終わった後、明智が声を落として語り掛けた。

 「素空様、資材の良し悪しはどのように見極めましょうか?」

 「楠材はなるべく大きい物が良いので、主に梁材はりざいを使おうと思いますが、柱材はしらざい5寸ごすん(15cm)より太くないと使うつもりはありません。また、芯を避け、外側から6、7分ろくしちぶ(2cm)ほどまでをぎ取って使います。材料は、先ず打診だしんで内部の質の良し悪しを見極めます。ふしの多い物は使えません。無節の部分が1間いっけん(1.8m)ほど続けば良材とします。楠材にしても、また、他の材料にしても、1本の大木で彫り上げることはできません。いずれにしても、継ぎ合わせて作るつもりです。また、それぞれの材料の質を揃えて、調和を取ることが肝心です。皆様のお力を頂いて、より多く吟味ぎんみされた材料を集めたいと思いますので、明日はよろしくお願いします」

 素空の言葉が終わると、一同はそれぞれの部屋に戻って行ったが、素空だけは布団と身の回りの物を十人部屋から移して、奥書院で寝起きすることにした。それは、栄雪が運んで来てくれた、仏師の道具を手入れするためだった。更に、これからは同じような道具の制作も始めなければならず、のみかんなのこぐり切出きりだしなどの主な道具はさることながら、特殊な道具はどうしても作らなければならなかった。

 翌朝早く、松石が奥書院を訪れた。栄信と深夜まで話が尽きなかったそうで、幾分憔悴したような顔だったが、饒舌でおどけた様子は変わらなかった。素空は、松石の人懐こい性格が、檀家との繋がりを強くしていることに気付いていた。やがて、明智や栄雪達が集まって来た。朝の勤めの時間より随分早く、奥書院以外に僧達の気配はなかった。一行は忍仁堂の守護神に一礼するとお堂を出て行った。

 道は月明かりで輝き、夜露に濡れていた。素空は西院のお堂が連なる大きな通りを右に見て進み、新堂と鞍馬山方面との分かれ道に立った。

 「これより、明智様に先導して頂きます。蓑谷みのだに猪沢ししざわで休み、辰の刻たつのこく(午前8時)までに鞍馬谷くらまだにを目指します。鞍馬谷に宿所を設け朝餉あさげをすませた後、全員楠材を使った建物を虱潰しらみつぶしに探しましょう」

 鳳来山を下ると、すぐに天安寺の敷地外となり、眼下に里の風景が広がった。僧達は忍仁堂での朝の勤めの代わりに経を唱えながら歩いた。素空と松石が道祖神どうそしんつか石碑せきひなどの前を通るたびに足を止めるので、皆から次第に遅れ始めた。

 明智は暫らくしてハッと気付いた。

 『私とは、すべてが違うのだ。心のありようが御仏の意の如く、ほっせずして意に適う者』明智は資質の差や、天分の違いが明らかにあるのだと気付いたのだった。それからは、素空が止まると皆も立ち止まり、経を唱えてまた歩いた。

 栄雪は、岩倉屋からの帰り道のことを思い出した。『私はあの時、素空様に倣って足を止め、経を上げたのに、まったく身に付いていなかったのだ』栄雪は、明智と同様、素空の僧としての資質に、自らが遠く及ばないことを、今更ながら痛感した。

 一行は、時折り立ち止まりながら、蓑谷に着いて暫らく休憩した。

 蓑谷からは琵琶湖びわこ一望いちぼうできた。

 「素空様、琵琶湖の対岸が見えますが、私は近江八幡おうみはちまんの出で、ちょうどあの松の右側の枝が折れた辺りになります」栄雪は、生まれ在所を目にして、少々興奮気味に語り掛けた。

 「なるほど、よく見えますよね。あの瓦葺かわらぶきの大屋根のそばですね。ハッキリ見えます」素空はこれほど遠くの景色を、ハッキリと見たことがなかった。

 栄雪は更に語り掛けた。「その大きな屋根の家が在所なのです。父も僧なので、鳳来山に上がる時は、当然のことのように送り出してもらいました。母が亡くなった後、初めて戻りましたが、まだまだ、修行を積まねば帰ることは叶いません」

 天安寺には様々な事情を抱えた僧が、様々に暮らしている。栄雪も、そんな僧達の1人だった。素空は、栄雪の言葉を黙って聴いていた。

 明智が一同に声を掛けて、猪沢を目指して歩きだした頃には、琵琶湖の向こう側はぼやけて見えなくなっていた。

 「素空様、対岸があれほどハッキリ見えることは、この時期では滅多にないことです。秋から冬にかけてならともかく、この時期では、早朝の一瞬にまれにあることでした」松石が、素空の背後から声を掛けた。素空は一瞬の景色を思い出し、心に刻んで栄雪に声を掛けた。

 「栄雪様、お里の景色を私も確かに見届けました。ほんの一瞬の景色だと言うことも知りませんでした。また、お母上のことを思い浮かべていらっしゃったことにも思い及ばず失礼いたしました」素空は素直に謝った。

 「いいえ、素空様がご覧になった景色と同じように、私の目にも見えたのではありません。私には殆んどぼやけておおよその見当しか付きませんでした。見える人はその物を見、見えない者はそこに思いを馳せるのです」素空は、栄雪に大切なことを教えられた。

 一行が猪沢に着いた頃には、寒さはなく、春の陽に全身が暖められて心地よかった。猪沢の湧き水を水筒に入れて、思い思いに場所を選んで腰を下ろした。素空と栄雪の間に松石が座り、この付近のことを話し始めた。皆にも聞こえるように大きな声で話したので、皆が松石に向き直って注目した。

 「そもそも、猪沢はイノシシとはあまり関係がないのです。見なされ、沢の10間(18m)ほど下手を…」松石が指差した方を皆が一斉いっせいに注目した。見ると、イノシシが沢の水を飲んでいるような形の2つの岩があった。

 「大きいのが牡猪岩おじしいわ。小さいのが牝猪岩めじしいわと言うのです。ここいらで、1番怖いのがくまで、次がマムシ、イノシシは3番手と言うところです。あの岩が、イノシシの姿をしていなかったら、この沢はさしずめ熊沢とでも言われていたでしょう」松石は饒舌に話し、皆は話に引き込まれていた。やがて、明智が素空に目配せして出発の合図をした。

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