仏師方 その3

 初めて会合を持ってから3日が経った。素空と明智と栄雪が1つの大きな問題にぶつかった。問題は、肝心の材木調達ができないことだった。

 宇土屋うどやに相談して、くすのきの10年乾燥木を探して欲しかったのだが、『どこにもないだろう』と言われた。楠は建築材としてあまり使われないため、市場に出回ることはなかった。

 彫り物には楠材の使用頻度が高いのだが、仏師が個人用に蓄えることはあっても、よそに回せるほどの量はなかった。いずれにしても、楠の新材は調達できなかった。

 「素空様、何故楠材なぜくすざいでなければいけないのでしょうか?」栄雪の素直な疑問を受けて、素空が答えた。「そうですね、素材はかつらでもけやきでもよかったのですが、今回は楠を選びました。楠材を選択した以上、最大限の努力をしなければなりません。桂にしても、欅にしても、条件は楠材と同じの筈でしょうから…」

 「素空様がお決めになったのでしたら、どうしても楠材を探し出さなければいけないですね」栄雪は、探すにも手掛かりがないことに落胆した。

 暫らく沈黙が続いた後、明智が記憶の糸を手繰たぐり寄せた。「素空様、私が山篭りをした時、鳳来山の北側、鞍馬寄くらまよりに、楠の森がありました。付近ふきんには小屋が幾つもありましたが、その中に、楠を使った小屋があるかも知れません」

 一同いちどうは、素空の顔を見詰めた。「栄雪様、預かり金はお幾らお持ちですか?」

 栄雪は、瑞覚大師に頂いた金子を頭の中で勘定し、銀3貫目ぎんさんがんめと答えた。

 「それでは、全員で楠造りの小屋を探しに行きましょう。2晩泊りで明日の朝1番に集まりましょう。栄雪様は食料の準備をお願いいたします。明智様は、道中の詳細をしるして頂かねばなりませんが、先ずは目的地周辺の図面を3枚ご用意願います。行信様は、宿泊場所までの絵図を描く手助けをして下さい。良円様は、宿泊地から楠造りの小屋までの絵図の手助けをお願いします。後のことは、その時々で考えましょう」それだけ言うと、素空は奥書院を出て行った。

 素空は仏師として配下を頂いてから、瑞覚大師をじかに尋ねることが許された。そして、訪ねるには、この時分がいいと聴いていたので素空は急いだ。

 『お大師様、素空でございます。お願いがありまして参りました」

 中から瑞覚大師の機嫌の良い時の声が聞こえて来た。素空が中に入ると、瑞覚大師の背後の文机に祀られている薬師如来像に、金色に輝く光背こうはいがあった。

 「お大師様、如来様の光背はいつお付けになったのですか?」

 「素空や、そなたには見えるのじゃな?これは御仏が御示しになった御姿で、わしの仕業ではないのだよ」

 素空は、目を見張って光背を見詰めた。光背の輪郭は固定していず、金色に輝く輪郭は、ほんの僅か揺らめいていて、形を留めないことが分かった。

 「素空よ、わしとそなた以外には、御仏の光背に気付く者はいないのじゃよ。栄信もしかり、この部屋に来た老僧高僧も気付かないのじゃよ。素空が、如何に御仏に愛されているのかが、よう分かると言うものじゃよ」

 素空はこの時ハッと気付いた。『お大師様に光背が現われたのは、御仏の御召しを受けておいでなのだろう。恐らく、私が御本山に上がった日の夜に、御仏が現れた時のことだろう』そう思ったが、口にすることははばかられた。

 「で、用向きはなんじゃろうか?わしにできることは何でも応じる所存しょぞんじゃよ」

 素空は、瑞覚大師の配慮に礼を言うと、材料探しの願いをした。

 瑞覚大師は笑顔を絶やすことなく耳を傾けていた。

 「お大師様、先ずは、明朝鞍馬山辺りまで参りたいと思います。全員で楠の乾燥木を探し出し、守護神の彫り材にしたいと思っています。付きましては、配下と共に、3日の留守をお許し頂きたいと思いまして参りました。また、乾燥木入手のためには、良材で作られた小屋を取り壊し、建て直しの約定を交わさねばなりませんが、その掛かりについてのお許しを頂きたいと思います」

 ジッと聴いていた瑞覚大師が、真顔になってキッパリと言った。

 「よろしい、素空の思うようにしなさい。但し、西院せいいんの僧を同行させたいのじゃが、良いかな?」素空に、否やはなかった。

 暫らくして、瑞覚大師が西院の興仁大師にしたためた文を素空に手渡した。

 「同行の僧を明日の朝早くに伴うためのお願いなのじゃ。鞍馬方面の檀家だんかの面倒を見ているのは西院なのじゃが、同行の僧に交渉をしてもらう必要があると思ってのことだよ」

 素空は瑞覚大師の心遣いに感謝して退室した。

 瑞覚大師は薬師如来像を見ると一言呟ひとことつぶやいた。『素空は、わしの秘密に気付いたようじゃ。口のかたい者であるから漏れる心配はないが、やがて、心の負担にならねば良いが…』瑞覚大師の顔には、素空と対面した時のにこやかさは消えていた。

 素空は西院に着くと、釈迦堂しゃかどう庫裏くりで応対した僧に手紙を渡し、興仁大師に面会を願った。僧は、素空の名を聞くと、ハッとして目を見張った。そして、通り掛かりの僧を呼び止め、客間まで案内するように命じた。西院は、東院とういんとはまったくおもむきの違った所で、僧の数も少なく、年齢も高そうに思えた。

 釈迦堂は、忍仁大師にんじんだいし舎利しゃりを祀るお堂で、西院の貫首かんじゅ、興仁大師の居室があり、東院の忍仁堂に匹敵するお堂だった。

 「おうおう、素空や、久しいのう。元気じゃったかの?」

 「おかげ様で忙しく過ごしています。お大師様はお変わりございませんか?」

 「わしも、相変わらず元気にしているよ。すまんが、瑞覚大師の文を先に読ませてもらうよ」そう言うと文を開き、読み終わるとお付きの僧に命じた。

 僧が、松石しょうせきと言う僧を呼びに行った間、興仁大師が、素空に話し掛けた。

 「素空や、鞍馬方面には一体何いったいなにがあるのかな?」

 「はい、新堂の守護神は、楠材で彫り上げようと思っています。しかしながら、楠材の乾燥木は容易に手に入りませんので、困っていたところ、楠の多い地域が鞍馬山近くにあるとのことでした」

 興仁大師はにこやかに頷きながら、文と素空の言葉を受け入れた。

 「お大師様、お呼びでしょうか」

 「松石か。入りなさい。こちらは、東院の貫首瑞覚様のもとにおる素空じゃ」

 松石は、お付きの僧に聞いていたので、驚きはしなかったが、その姿に釘付けになった。松石は40才を越えていたので、素空の若さと、才能をまぶしく思っているようだった。西院の僧は東院での修行を終え、更なる修行を目指す者ばかりだったので、誰もが温厚で標準的な僧だった。

 「素空様のことは、西院でも知れ渡っています。見事な薬師如来像をお彫りになったとか、機会がありますれば、拝見しとうございます。以後、お見知り置き下さい」松石は人懐ひとなつこい笑顔を見せて挨拶した。

 2人の挨拶が終わるのを見て、興仁大師が松石に語り掛けた。

 「松石、明朝早く素空一行と3日ほど旅をしてくれまいか。滋賀郡辺しがのごうりあたりの檀家と通じているそなたの力が必要なのじゃ。よいかな?」

 松石は深くこうべれて、興仁大師に従った。

 そして、興仁大師は、素空にも語り掛けた。

 「さ、素空よ、明日は早い。今夜は十分に休んでおくれ。ただ、松石はよわい40を越えている。これからすぐに支度させるから、今夜は、栄信の部屋に休ませてくれるよう、頼んでくれまいか?」

 松石を明朝一行が来るまで、寒々した大通りで待たせることが忍びないと思ってのことだと思った。素空がそれなら奥書院の詰め所で泊まるように願うと、興仁大師が笑顔で答えた。

 「何の、気にすることはないのだよ。栄信と松石は従兄弟同士で久方振ひさかたぶりの対面なのじゃよ」

 松石が、栄信と従兄弟同士とは思いも掛けないことで、素空は、興仁大師の人柄の一端いったん垣間見かいまみたような暖かい思いがした。

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