仏師方 その2

 更に7日が過ぎた。仏師として、素空の配下となる僧達が7人選ばれた。その日の昼食の後、忍仁堂に集合が掛けられ、東院の僧が全員集まった。

 老僧が、声高に叫んだ。

 「これより、新堂門前の守護神建立の任に就く者を命ずる。名を呼ばれた者は、前に出られよ」老僧は声を限りに叫んで、一休ひとやすみした。僧達の笑い声が治まると、老僧はさっきより低い声で名前を読み上げた。

 「仏師、素空、前に出られよ。これより、仏師配下の者を呼ぶので、呼ばれたら前に出られよ」そう言うと、続いて7名を呼んだ。

 「仏師補佐、栄雪。同じく明智みょうち」明智が呼ばれた時、すべての僧が驚き、堂内が騒然となった。

 「一同いちどう、お静かに!…続いて、仏師助手、行信ぎょうしん淡戒たんかい良円りょうえん仁啓じんけい法垂ほうすい

 全員の名が呼ばれた時、一同が驚き囁きあった。明智一派の誰もが、素空の配下となる明智の顔を見た。信じられないことだった。明智は、慶派けいはの仏師に手ほどきを受けた正統流派せいとうりゅうはの弟子の経験があったのだ。誇り高い明智が、どのような訳で承知したのか、まったく分からなかった。ただ、宇鎮うちんだけは明智の心情を理解していた。

 それとは逆に、灯明番を始めとする反の者は、素空の人選に疑問を露わにした。

 『お堂の守護神建立に、何故、明智一派、いや明智本人を入れたのか?素空様は、一体何を考えておいでなのか?守護神建立が妨げられなければいいが…』口々くちぐちに、守護神建立を危ぶむ声と、明智をはずかしめる処遇に怒る声とが入り乱れる中で、栄信は守護神建立の行末ゆくすえを案じた。

 素空は、仏師方として奥書院の一室をたまわっていた。仏師方の会合を持つ時は言うまでもなく、昼間はここに詰めて、計画を進めるのだった。その日早速、8人が顔を合わせた。素空は、20枚の半紙を持ってお堂の説明を始めた。素空の右手に栄雪、左手に明智が座し、灯明番の2名と、明智一派の3名が対面して座した。

 素空は皆を前にして、始まりの挨拶をした。

 「皆様、私の誘いに応じて頂き、まことにありがとうございます。来年夏の新堂の竣工にあわせて、春には守護神の完成をいたします。何分、1人2人では決してできないことですので、皆様方と力を合わせて完成させたいと思います。ご協力をお願いいたします。初めに、皆様の役割について説明いたします。先ず、資材、資金は、栄雪様にお任せいたします。必要な時に、必要な物をご用意下さい。行信様、淡戒様は、栄雪様のもとでお努め下さい。続きまして、彫り方として、明智様、良円様、仁啓様、法垂様は、私のもとでお努め下さい。彫り方は5名で行ないます。さて、これよりお堂の概要を説明いたします。この20枚の半紙がお堂の概要です。説明後は、この部屋に保管しておきますので、再度ご覧になりたい方は、持ち出さず、ご自由にご覧ください」素空の説明は端的だった。

 「さて、守護神の建立について説明いたします。守護神は仁王像におうぞうを祀りますが、門前の右に阿形尊あぎょうそん、左に吽形尊うんぎょうそんを配します。こちらの20枚の半紙にしるしていますが、一通ひととおり説明いたします」

 皆真剣に耳を傾け、質問の声を発することもなかった。明智の眼差しは、少年のような一途いちずさを感じるほどだった。暫らく、奥書院には黙しながらも、皆活き活きとした眼差しを向けていた。

 初の会合が終わって素空は栄信の部屋を訪ねた。

 「素空様、何故明智一派を指名したのですか?事もあろうに、明智自身を筆頭に、彫り方として全員明智一派から指名するなど、思いもよらないことでした」

 素空は、栄信の素直な疑問に答えて言った。

 「明智様は異端いたんを捨て、正しい仏道を歩み始めたのです。皆様のご心配はご無用かと存じます。一派の3人も、明智様に感化されて本道に立ち返ることになりましょう。御本山では、明智様以外に、私の補佐をお願いできるお方はいません。このことは、御仏におすがりして叶ったことなのです。人知の及ぶところではありません」

 栄信は、こんな言い方をする時の素空は、断固とした意思を持っていて、決して動かせないことを知っていた。

 「では、明智が、素空様の配下となってまで仏師方となったのは何故でしょう?」

 「明智様はもともと仏師を志していたそうで、物心付いた頃から父親のもとで彫り物をしていたそうなのです。父親は慶派の流れを汲む仏師だったそうですが、14才の時に他界し、それからは、寺に預けられたそうです。それ以来、道具を手にしたことはなかったと聴いています。しかしながら、14才まで仏師としての修行をしていたのなら、彫り方のイロハは忘れる筈がありません。ところで、5日前のことですが、明智様に挑まれて、5寸(15cm)の丸太に切り出し1本で御仏を彫ることになりました。翌日の酉の下刻とりのげこく(午後7時)までと期限を切って取り掛かりました。明智様の御仏は大日如来像だいにちにょらいぞうでしたが、さすがに見事な仕上がりでした。互いに中彫なかぼりではではありましたが、私の薬師如来像やくしにょらいぞうと並べて、部屋の方々にご覧頂きました」

 突然、栄信が口を挟んだ。「お待ち下さい、そんなことをすれば明智一派の全員が、明智の勝ちとするでしょう」

 素空は、笑みを浮かべて話を続けた。「そのようなことは、初めから分かっていたことです。明智様がどう判断なさるかが問題だったのです。大日如来像は見事なでき栄えでしたが、魂が込められていませんでした。恐らく明智様の父上は、技の伝授の途中で身罷みまかられたのでしょう。私は、我が師より、魂を込めることを第一義として手ほどきを受けたのです。明智様は、私の薬師如来像が勝ると評して下さいました。私はここに及んで、明智様が心正しきお方である証を得ました。かくなる上は、一派の方々とも手を携えて、守護神建立をいたしたいと思ったのです」

 「素空様にはいつも驚かされることばかりですが、お話をお聴きしているうちに、お考えの深さに感心させられました。これも、いつものことですね…。私は、どうやら人のすべてを見ずに、しき面を捉えて人を裁いていたように思います」

 「人は、人を裁くことはできません。人を裁くことができるのは、神仏のみなのです。現実には、多くの人が気付かぬうちに人を裁いているのも事実です。人は、そのような現実に慣らされてしまっているのです。また、人を素のままで見ると、多くの人の心が実に綺麗なことに気付く筈です。明智様と一派の方々にも同じように言えます。一面では確かに改めなければいけませんが、そのような悪い面を取り去ると、普通の善良な人ばかりです。人を見る時、悪い面が先に目に入りますが、そのあくが、ゆるされる悪か、赦されぬ悪かどうかが問題なのです」

 栄信が言葉を挟んだ。「素空様、赦される悪か、赦されぬ悪かとは、償うことができるかどうかと言うことですか?」

 「そうです、栄信様のおっしゃる通り、人の罪の中で償える罪は軽く、償えない罪は重いのです。また、償える罪も、償わなければ重くなるのです」

 「償えない罪とは、人の命を奪うことや、深く心を傷付けることでしょうか?」

 「まさしく、その通りだと思います」2人は、互いの思いを確認するように、相手の言葉を受け入れた。

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