異端者明智 その2
事態は栄信が危惧した通りになろうとしていた。30名の僧の中に、素空の味方は1人もいなかった。獣のような目をした僧達が、素空めがけて
素空は既に口の中で経を唱え、この荒くれた僧達に仏の慈悲を願っていた。
素空は無となった。僧達の
その時不意に、合掌した両腕が左右に引っ張られて、背中を強く押されたと思った瞬間、素空の体は
素空は横たわったまま経を唱え続けていた。経を唱えながら、身を起こし、禅を組み、更に声に出して経を唱えた。
一同は、電撃と素空の経によって、完全に
「素空様よ、そなたは皆に呪術でも掛けたのか?」
素空は、黙して語らなかった。
「素空よ、明智様が問うているのだ。答えよ!」
そう言うと、一同の輪の中に来て素空を見下ろした。
素空は目を開け、善西に向かって静かに言った。
「善西様、ならば答えましょう」
善西は、自分の名前をどうして知っているのか怪訝に思いながら、素空の言葉を聞いた。
「私は、ご一同には何もしていません。御仏が私を哀れんでお助けになったのかも知れません。また、私が唱えたお経は、御仏に、ご一同の所業に対する御慈悲を願うためのもので呪詛ではありません」素空の答えは端的だった。
宇鎮がすかさず口を挟んだ。「素空よ、汝は我らに打ち据えられ、
「御仏は、いつも慈悲深く、憐れな者を哀れんで下さいます。憐れな者とは、御仏の意に適わぬ者のことで、我が行いの何たるかを存じ得ない者のことです。私が御仏に倣いて生を全うすべく日々修行をいたす者であればこそ、憐れな者を哀れんで下さるよう、御仏にお祈りいたしたのです。また、ご一同の所業とは、私を裁こうとしたことです。御仏は、あまねく人に御慈悲を表し、罪人には罰を与えます。仏罰とは、御仏のみがお与えになるもので、人が仏罰を司ることは決してあってはなりません。それは単なる私刑に過ぎないのです。ご一同の所業は、御仏を
宇鎮は怒りを抑えながら言い放った。「仏罰とは、御仏の代理者である僧のみが許された行為ぞ。汝の
「素空様よ、この部屋の者は皆、宇鎮の考えと同じなのだよ。そなたが、何と言おうと、我ら僧は御仏の代理者なのだよ。さればこそ、身を清くして修行に精進するのだ。我らが
素空が部屋を出ると、明智は
このような時には、決まって
先ず、西礼が仏罰について話し始めた。西礼は落ち着き払って、その語り口は聴く者の信頼を呼び、語ることのすべてが信じられるのだった。
「皆の中に、御仏の存在を疑う者はないか?」善西が、一同に問い掛けたが、返事をする者は1人もいなかった。善西は仏の代わりに、その代理者である僧が行うべきだと訴え、実行者が現れるのを待った。
明智は、我が意を得たりとばかりに、宇鎮に目を向けた。
一同は、明智の心が既に決まり、後は宇鎮に実行させるばかりだと思った。
しかし、宇鎮は、明智の期待に応える様子がなかった。
一同は、宇鎮のただならぬ表情を見ると騒然とし始めた。いつもなら即座に動きだすところだったが、今日の宇鎮は苦し気で、何やら恐ろしい物を見たかのような表情をして黙っているだけだった。
「どうした、宇鎮!」明智が問い掛け、我を忘れて座わっている宇鎮の肩を揺すった。やっと、我に返った宇鎮が、力なく語り始めた。
「明智様、皆の衆もよく聴いて下され。素空が初めてこの部屋に来た日の真夜中…」
宇鎮はその夜の一部始終を語った。
「…皆の衆が、あの奇妙な衝撃を感じたように、素空には不可解なことを起こすことができるのだ。クワバラクワバラ…」
宇鎮の言葉は、一同を納得させ、皆の勢いを削いでしまった。明智は薄笑いを浮かべて宇鎮に言った。
「宇鎮よ、臆したか?己の弱い心が夢を見せたのだ。我らは、御仏の代理者なるぞ!強い意志と挫けぬ心を持て!素空の妖術に惑わされ、意のままに操られるとは情けないぞ!」
一同は、今回の仏罰の行使は、必ず見送られるだろうと感じていた。
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