異端者明智 その2

 事態は栄信が危惧した通りになろうとしていた。30名の僧の中に、素空の味方は1人もいなかった。獣のような目をした僧達が、素空めがけて一斉いっせいに襲い掛かった。

 素空は既に口の中で経を唱え、この荒くれた僧達に仏の慈悲を願っていた。

 素空は無となった。僧達の罵声ばせい怒号どごう一切無音いっさいむおんとなり、静寂せいじゃくと安らぎが全身を満たしていた。

 その時不意に、合掌した両腕が左右に引っ張られて、背中を強く押されたと思った瞬間、素空の体は板張いたばりのゆかに落ちて行った。法衣ほうえを掴まれ床に引き倒された時、素空の体から電撃が走った。一同いちどうはあまりの衝撃に身を引き、素空から離れて覗き込んだ。今起こったことを理解しようとしたが、まったく理解できない風情だった。

 素空は横たわったまま経を唱え続けていた。経を唱えながら、身を起こし、禅を組み、更に声に出して経を唱えた。

 一同は、電撃と素空の経によって、完全に憑物つきものが落ちた気色きしょくで、黙って素空を見ていたが、宇鎮うちんだけは金色の光を浴びた記憶がよみがえり、なすすべもなく呆然としていた。明智もなすすべなく見守っていたが、経が終わったところで問い掛けた。

 「素空様よ、そなたは皆に呪術でも掛けたのか?」

 素空は、黙して語らなかった。

 善西ぜんせいが、一同の1番外側から声をだした。

 「素空よ、明智様が問うているのだ。答えよ!」

 そう言うと、一同の輪の中に来て素空を見下ろした。

 素空は目を開け、善西に向かって静かに言った。

 「善西様、ならば答えましょう」

 善西は、自分の名前をどうして知っているのか怪訝に思いながら、素空の言葉を聞いた。

 「私は、ご一同には何もしていません。御仏が私を哀れんでお助けになったのかも知れません。また、私が唱えたお経は、御仏に、ご一同の所業に対する御慈悲を願うためのもので呪詛ではありません」素空の答えは端的だった。

 宇鎮がすかさず口を挟んだ。「素空よ、汝は我らに打ち据えられ、血反吐ちへどを吐いてもそのようなことが言えるのか?また、我らの所業とは何ぞや?」宇鎮は少し落ち着きを取り戻し、理詰めで潰してやろうとたくらんだ。

 「御仏は、いつも慈悲深く、憐れな者を哀れんで下さいます。憐れな者とは、御仏の意に適わぬ者のことで、我が行いの何たるかを存じ得ない者のことです。私が御仏に倣いて生を全うすべく日々修行をいたす者であればこそ、憐れな者を哀れんで下さるよう、御仏にお祈りいたしたのです。また、ご一同の所業とは、私を裁こうとしたことです。御仏は、あまねく人に御慈悲を表し、罪人には罰を与えます。仏罰とは、御仏のみがお与えになるもので、人が仏罰を司ることは決してあってはなりません。それは単なる私刑に過ぎないのです。ご一同の所業は、御仏をおとしめたに他ならないのです。私は、ご一同が罪の深さを知らずに人を傷付けようとしていることに対し、御仏に赦しを乞うたのです」

 宇鎮は怒りを抑えながら言い放った。「仏罰とは、御仏の代理者である僧のみが許された行為ぞ。汝の詭弁きべんは聞きたくもない。汝の言葉の中の御仏は、汝のためのもので、天下万民の知り得る御仏ではないようだ。暫らくこの部屋から出て行ってもらいたい」そう言うや、明智の指示を仰いだ。

 「素空様よ、この部屋の者は皆、宇鎮の考えと同じなのだよ。そなたが、何と言おうと、我ら僧は御仏の代理者なのだよ。さればこそ、身を清くして修行に精進するのだ。我らが市井しせいの民と同じところにあるのではなく、御仏の傍らにあることを知っておかねばならぬのよ。素空様よ、すまぬが夕餉ゆうげまで部屋に戻らぬよう願いたいがいかがかな?」明智は、例によって人を侮るような独特な言い回しをした。相手に有無を言わせぬ威圧感を持っているのが、この部屋の誰にもない特徴だった。

 素空が部屋を出ると、明智は小半時こはんとき(30分)ほど山籠もりのことを話題にし、やがて、素空の話に切り替えた途端に目が座り、不気味な笑みをたたえて一同の意見を待った。

 このような時には、決まって西礼さいれいと善西が口を開くのだった。

 先ず、西礼が仏罰について話し始めた。西礼は落ち着き払って、その語り口は聴く者の信頼を呼び、語ることのすべてが信じられるのだった。

 「皆の中に、御仏の存在を疑う者はないか?」善西が、一同に問い掛けたが、返事をする者は1人もいなかった。善西は仏の代わりに、その代理者である僧が行うべきだと訴え、実行者が現れるのを待った。

 明智は、我が意を得たりとばかりに、宇鎮に目を向けた。

 一同は、明智の心が既に決まり、後は宇鎮に実行させるばかりだと思った。

 しかし、宇鎮は、明智の期待に応える様子がなかった。

 一同は、宇鎮のただならぬ表情を見ると騒然とし始めた。いつもなら即座に動きだすところだったが、今日の宇鎮は苦し気で、何やら恐ろしい物を見たかのような表情をして黙っているだけだった。

 「どうした、宇鎮!」明智が問い掛け、我を忘れて座わっている宇鎮の肩を揺すった。やっと、我に返った宇鎮が、力なく語り始めた。

 「明智様、皆の衆もよく聴いて下され。素空が初めてこの部屋に来た日の真夜中…」

 宇鎮はその夜の一部始終を語った。

 「…皆の衆が、あの奇妙な衝撃を感じたように、素空には不可解なことを起こすことができるのだ。クワバラクワバラ…」

 宇鎮の言葉は、一同を納得させ、皆の勢いを削いでしまった。明智は薄笑いを浮かべて宇鎮に言った。

 「宇鎮よ、臆したか?己の弱い心が夢を見せたのだ。我らは、御仏の代理者なるぞ!強い意志と挫けぬ心を持て!素空の妖術に惑わされ、意のままに操られるとは情けないぞ!」

 一同は、今回の仏罰の行使は、必ず見送られるだろうと感じていた。

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