第8章 異端者明智 その1
素空は宿坊に戻って、棟梁に聞いたことをもとに、守護神の構想を考え始めた。暫らくして、文机から頭を起こすと立ち上がり、中庭に出て冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。素空の構想は既に決定したのだった。
素空は宿坊に移って初めて
「素空様よ、私はこの部屋の長で、明智と言う者だ。よろしく、よろしく頼みますよ」明智は初め横柄に、最後は皮肉たっぷりに言った。
素空は、明智に嫌われていることに気付いた。今後は、一派のすべてが敵に回ることになると思った。明智は、更に素空に語り掛けた。「素空様よ、聞けばお堂の守護神を作るそうだな?どなたの門下で修行されたかな?」またしても、
素空が答えて言った。
「明智様、私の師は伊勢滝野の薬師寺住職、玄空と申します。10才から仏師としての手ほどきを受け、以来7年修行をしています」
明智は、せせら笑いをこらえた
「玄空とは、耳にしない名前だが、
素空は、自分の言葉が笑いの種になっていることを承知で、答えることにした。
「わが師玄空は、若い頃より
それを聞いていた全員が一斉に笑いだした。
「さすがだな、本山に上がって、翌日には認可を受けるだけのことはある。だがな、素空様よ、古来、仏師は
明智が、素空をさすがと持ち上げた時、
やがて明智は手始めに
「素空様よ、私の問いに答えてはくれぬかな?」
明智は不気味な笑みを浮かべて素空を上目使いに見据えた。素空は断る理由もない以上、応じない訳はないと意を決した。
「素空様よ、では参る。人に最も必要なものは何ぞや?」明智が問い掛け、素空が答えた。「人に最も必要なものは宗教です」
「では、宗教とは何ぞや?」「宗教とは神仏に対する人の道です」
明智は、素空を追い詰められると思った。
「人の道は、人それぞれに掴み取るものと心得るが如何に?」「神仏のお示しになる道を歩まぬ限り、人の幸福はありません」
ここで明智は間をおいて、一同の表情を見渡した。誰の眼も輝いて、問答の
「人の幸福も人それぞれと存ずるが如何に?」「人の幸福とは、現世のみに留まらず、後の世にも幸福でなければなりません。神仏の定めたる道を歩まなければ後の世の幸福はありません」
「そもそも、神仏の定めたる道を歩めぬのが、人ではないのか?」「人が神仏の示す道を歩むよう、教えがあり、僧があるのです。僧が神仏の示す道を誤って歩むことは許されないのです」
明智は、素空を思う方向に引き寄せられると確信した。
「僧はすべからく、神仏の示す道を歩み、日々修行に精進しているものと存ずるが如何に?」「僧がすべて同じ道を歩めば教えはすべからく神仏の
ここに来て、一同の中に
明智は意図した方向に傾いたところで、切り口を変えて質問した。
「素空様よ、ここで汝のことを問うが、汝は何を以って御仏を信ずるや?」「私も多くの人と同様に、父母の信仰を見て信じました。
途端に、十人部屋の一同が
「ほほう、素空様はどのようなことを表したのかな?」明智の問い掛けに、素空は暫らく間を置いて答えた。
「御仏の存在は、信じる者には見え、信じない者には嘲笑の種にしかならぬことを申し上げておきましょう。見ずして信じる者は、御仏に愛され、やがて、御仏を見ることも叶うでしょう。御仏を信じない者は見なければ信じられないものなのです。しかしながら、御仏は、そのような者には決して御姿を現わすことはないのです。故に、人を
ここに至って、一同の中から
「素空よ、ならば、我々一同が人を侮り、嘲りの笑いを為しているように聞こえるが如何に?」宇鎮の問い掛けに、素空がすぐさま答えた。
「宇鎮様、私の言葉でそのように思われるのであれば、あなたは、悔い改めなければなりません」
宇鎮は、鬼のような形相になって、素空を睨み付けたが、素空は平然と言葉を続けた。「あなたが真に御仏に愛されていれば、私の言葉は一向に気にならなかったでしょう」宇鎮は、赤鬼のように怒りまくった。「素空よ、我は
一同が、宇鎮に称賛の声を上げ、明智は笑みを浮かべて成り行きを見守った。
素空も笑みを浮かべて言葉を発した。
「御仏は、人知の遥かに及ばぬ御心を以って、人の1人ひとりを見ていらっしゃいます。御仏を知らぬ者ならいざ知らず、御仏に
宇鎮は激怒して声高に言った。「何と!言うに事欠いて我らを罪人扱いするとは聞き捨てならぬ!御一同、このこと捨て置く訳には参りませんぞ!口の減らぬ素空に仏罰を与えようぞ!」
一同は、こぞって賛同した。宇鎮に先導された僧達は、口々に『素空に、仏罰を!』と叫び、素空に掴み掛った。明智は予期せぬ展開に、初め驚いたが『素空よ、やむなし』と呟いて静観した。
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