第8章 異端者明智 その1

 素空は宿坊に戻って、棟梁に聞いたことをもとに、守護神の構想を考え始めた。暫らくして、文机から頭を起こすと立ち上がり、中庭に出て冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。素空の構想は既に決定したのだった。

 素空は宿坊に移って初めて明智みょうちと言う僧に会った。その日、明智を始め、山籠もりを終えた僧達が部屋に入って来た。明智の到着を待ちかねていたように、他の十人部屋からも続々と集まって来た。素空が部屋に入った時には、殆んど満員状態だった。それでも、自分の文机につくと、書物の整理と、構想の記録を始めた。明智から声を掛けられるまで、素空は一心に文机に向かった。

 「素空様よ、私はこの部屋の長で、明智と言う者だ。よろしく、よろしく頼みますよ」明智は初め横柄に、最後は皮肉たっぷりに言った。

 素空は、明智に嫌われていることに気付いた。今後は、一派のすべてが敵に回ることになると思った。明智は、更に素空に語り掛けた。「素空様よ、聞けばお堂の守護神を作るそうだな?どなたの門下で修行されたかな?」またしても、無礼ぶれいで、人をあなどる悪意あくいに満ちた言葉で語り掛けた。

 素空が答えて言った。

 「明智様、私の師は伊勢滝野の薬師寺住職、玄空と申します。10才から仏師としての手ほどきを受け、以来7年修行をしています」

 明智は、せせら笑いをこらえた風情ふぜいで語り掛けた。

 「玄空とは、耳にしない名前だが、流派りゅうはを訊いているのですよ、素空様」

 素空は、自分の言葉が笑いの種になっていることを承知で、答えることにした。

 「わが師玄空は、若い頃より我流がりゅうを以って木を彫り、石をきざんだと聴いています。私の流派を敢えて言うなら、玄空派とでも言うべきかと存じます」

 それを聞いていた全員が一斉に笑いだした。嘲笑ちょうしょうとは、まさにこのことだった。素空があまりにも平然としているので、明智は骨のある奴だと感心した。

 「さすがだな、本山に上がって、翌日には認可を受けるだけのことはある。だがな、素空様よ、古来、仏師は院派いんぱ円派えんぱ慶派けいはなど正統流派せいとうりゅうはの中で厳しい修行をし、長い年月を掛けて真価を発揮するものと存ずるが、如何かな?…玄空流を7年学んで、仏師を名乗るはおこがましくはないのかな?」

 明智が、素空をさすがと持ち上げた時、一同いちどう怪訝けげんな顔をしたが、すぐに、明智ならではの皮肉と分かって、ドッと吹きだした。明智は、どうすれば素空の鼻をへし折れるものか思案した。

 やがて明智は手始めに禅問答ぜんもんどうをすることにした。

 「素空様よ、私の問いに答えてはくれぬかな?」

 明智は不気味な笑みを浮かべて素空を上目使いに見据えた。素空は断る理由もない以上、応じない訳はないと意を決した。

 「素空様よ、では参る。人に最も必要なものは何ぞや?」明智が問い掛け、素空が答えた。「人に最も必要なものは宗教です」

 「では、宗教とは何ぞや?」「宗教とは神仏に対する人の道です」

 明智は、素空を追い詰められると思った。

 「人の道は、人それぞれに掴み取るものと心得るが如何に?」「神仏のお示しになる道を歩まぬ限り、人の幸福はありません」

 ここで明智は間をおいて、一同の表情を見渡した。誰の眼も輝いて、問答の行方ゆくえを楽しんでいる様子だった。

 「人の幸福も人それぞれと存ずるが如何に?」「人の幸福とは、現世のみに留まらず、後の世にも幸福でなければなりません。神仏の定めたる道を歩まなければ後の世の幸福はありません」

 「そもそも、神仏の定めたる道を歩めぬのが、人ではないのか?」「人が神仏の示す道を歩むよう、教えがあり、僧があるのです。僧が神仏の示す道を誤って歩むことは許されないのです」

 明智は、素空を思う方向に引き寄せられると確信した。

 「僧はすべからく、神仏の示す道を歩み、日々修行に精進しているものと存ずるが如何に?」「僧がすべて同じ道を歩めば教えはすべからく神仏の意図いとするところとなるのです。しかしながら、僧の中で異を唱えることを日常となすは、わがまま勝手の道を歩むことで、神仏の示す道ではなく己の道を歩むことに他ならないのです」

 ここに来て、一同の中に怒号どごうが飛び交った。

 明智は意図した方向に傾いたところで、切り口を変えて質問した。

 「素空様よ、ここで汝のことを問うが、汝は何を以って御仏を信ずるや?」「私も多くの人と同様に、父母の信仰を見て信じました。得度とくどしてからは、わが師玄空の信ずるを見て、信じました。更に、仏師となりては、我が手が御仏の意を表す道具となりたるを見て信じました」

 途端に、十人部屋の一同があざけりの笑い声を上げた。

 「ほほう、素空様はどのようなことを表したのかな?」明智の問い掛けに、素空は暫らく間を置いて答えた。

 「御仏の存在は、信じる者には見え、信じない者には嘲笑の種にしかならぬことを申し上げておきましょう。見ずして信じる者は、御仏に愛され、やがて、御仏を見ることも叶うでしょう。御仏を信じない者は見なければ信じられないものなのです。しかしながら、御仏は、そのような者には決して御姿を現わすことはないのです。故に、人をあなどり、あざけりの笑いを為したる者は、悔い改めぬ限り御仏の御慈悲は得られないと存じます」

 ここに至って、一同の中から宇鎮うちんが声を上げた。宇鎮は悪夢の元凶として素空に畏怖の念を抱いていたが、そのことが、どうにもならない腹立たしさの原因でもあった。今、またしても腹の立つ思いで声を張り上げたのだった。

 「素空よ、ならば、我々一同が人を侮り、嘲りの笑いを為しているように聞こえるが如何に?」宇鎮の問い掛けに、素空がすぐさま答えた。

 「宇鎮様、私の言葉でそのように思われるのであれば、あなたは、悔い改めなければなりません」

 宇鎮は、鬼のような形相になって、素空を睨み付けたが、素空は平然と言葉を続けた。「あなたが真に御仏に愛されていれば、私の言葉は一向に気にならなかったでしょう」宇鎮は、赤鬼のように怒りまくった。「素空よ、我は20才はたちで御本山に上がり、以来、様々な苦行に精進し、本山の祭礼にも通じているのだ。しかるに、汝は僧になりても、本山に上がりても未だに日浅く、しきたりも覚えざる者めが。我らを侮る汝こそ、御仏を論ずるべからずと心得よ!」

 一同が、宇鎮に称賛の声を上げ、明智は笑みを浮かべて成り行きを見守った。

 素空も笑みを浮かべて言葉を発した。

 「御仏は、人知の遥かに及ばぬ御心を以って、人の1人ひとりを見ていらっしゃいます。御仏を知らぬ者ならいざ知らず、御仏にならいて生を全うすべく日々修行をいたす僧であれば、己の心に一点の曇りも赦されるものではありません。御仏は、人の心の内にある罪もご存じで、僧であれば一層厳しく身を処さねばなりません」

 宇鎮は激怒して声高に言った。「何と!言うに事欠いて我らを罪人扱いするとは聞き捨てならぬ!御一同、このこと捨て置く訳には参りませんぞ!口の減らぬ素空に仏罰を与えようぞ!」

 一同は、こぞって賛同した。宇鎮に先導された僧達は、口々に『素空に、仏罰を!』と叫び、素空に掴み掛った。明智は予期せぬ展開に、初め驚いたが『素空よ、やむなし』と呟いて静観した。

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