十人部屋 その3

 素空は宿坊に戻って新堂を建築中の大工の棟梁とうりょうを訪ねる準備のため、質問の内容を事前にまとめることにした。

 素空は1度聞いたことを書き留めなくても良かったが、この時は、半紙はんしに大き目の字で次々と書き込んだ。20枚ほどの半紙が揃えられ、素空は宿坊をでた。

 「棟梁、お坊さんが訪ねて来られたよ!」若い大工が、素空に先立って棟梁のところまで歩いて来た。棟梁は宇土屋喜兵衛うどやきへえと言う宮大工みやだいくで、10人余の大工を束ねていた。素空は、棟梁に挨拶した。

 「おお、お坊様は素空様とおっしゃいますか?わしはもう40年近く御本山にお世話になっているが、仏師を務めなさるお坊様は30年ぶりですわ。お坊様がお彫りになる仏様はただもんじゃないようだねぇ。30年前の彫り掛けの毘沙門様がこの先に祀ってあるんだが、行ってみるかね」

 素空は、棟梁に付いて歩き、奥へ1町いっちょう(100m)ほど入り込んだ。獣道けものみちかと思うほどの小道を進んだ先に、草木のない日溜りがあった。宇土屋喜兵衛が指差す先に厨子ずしがあり、その中に毘沙門天が安置されていた。

 素空は厨子の内部を覗き込んだ。厨子の中は暗くて見えなかったが、時折金色こんじきの輝きを現わしていた。その時だけ毘沙門天のおぼろげな輪郭を覗き見ることができた。

 「お坊様、この毘沙門様はここいらに投げ捨てられていたんだよ。罰当ばちあたりなことをする者がいて、横ざまに倒されていたんだが、お可哀かわいそうだったから、わしが厨子を建てて安置したのさ」素空は、宇土屋喜兵衛の言葉で我に返った。

 「そうですか、ご奇特なことをなさいましたね」

 宇土屋喜兵衛は、照れ笑いをしながら毘沙門天について話し始めた。

 「30年前、たいそう優れたお坊様がいたそうな。彫り物が得意で、素空様と同じ様なお坊様だったらしいんだよ。その頃、東院のお堂を建立するのに、裏門の守護神として、この毘沙門様を彫っておられたのだよ。ところが、そのお方は東院の貫首様かんじゅさま想雲大師そううんだいしって言うお方を嫌って、御本山を下りられたそうな。怒り狂ったお大師様は、毘沙門様を捨てさせたそうな。…捨てられて20年経った時、わしが見つけて厨子を建立したのだが、不思議なことに新品同様で、白木しらきの香りがほのかに匂っていたんだよ。ここは、10年前とまったく同じで、草木もなく、虫もいない。夜に来たことはないんだが、この日溜りの中だけは、月明かりで明々しているだろうよ。間違いないさ。夏に来た時は陽ざしがきつい割に涼しかったからね。きっと雨の日も、ここだけはれない筈だあ。そんな気がする。なんせ、この毘沙門様には特別なお力がおありなさる。素空様、毘沙門様を捨てた4人の僧達は、その日のうちに両手を怪我して、4、5日痛い思いをしたそうな。ところが、肝心かんじんな人を忘れちゃならねえ。毘沙門様を捨てさせたお大師様は、ひどいことになってしもうたよ。捨てるように命じた言葉を最後に、口から言葉が出なくなり、その日の夜には舌がれ、翌日、唇が腫れ、昼にはあごが外れたそうな。治るのに、10日もかかったらしいよ。暫らくは、そのお坊様が呪詛じゅそしたせいだと噂されたようだが、そのうち、仏罰ぶつばつを受けたのだと噂されるようになったそうな。だが、毘沙門様を捨てた場所は、誰にも分からなくなり、総出で探しても見つからなかったそうだよ。わしが10年前に、ここで見つけて、厨子に安置した時は、まだ、そんな経緯など知る由もなかったことだ。実はね、厨子の中の毘沙門様が西院の興仁大師の知るところとなって、このお堂が建立されることになったんだよ。このお堂は、東院ゆかりのお坊様の法力ほうりきたたえてのことで、西院の差配だと言うのに、東院の瑞覚大師もかなりの肩入れをしていなさるそうだよ」宇土屋喜兵衛は長々と由来を話した。

 素空は、棟梁の話を聴きながら、玄空が彫ったことに気付いたが、観音開きの扉を開けて、中の毘沙門天を見た時に確信した。5尺(1.5m)ほどの体は、右手と顔が未完成で、あらけずった部分は、全容に溶け込んで、違和感はなかった。

 素空は、玄空が彫った毘沙門天に誓うような思いで語った。

 「棟梁、見事な毘沙門様ですね。この毘沙門様はわが師玄空の手になるものに違いありません。門前の守護神と背後の守護神、この御姿に調和するものを彫り上げなければ、わが師に顔向けできません。心してあい努めます」宇土屋喜兵衛は、素空の言葉をジッと聴いていた。間近で顔を見ながら、この年若い僧がただ者ではないことに少しずつ気付き始めたのだった。

 宇土屋喜兵衛が仕事場に戻った時から、素空の質問が始まった。素空は予め用意しておいた半紙に従って質問し、棟梁の答えを書き込んだ。宇土屋喜兵衛は多くの質問に丁寧に答え、そのたびに素空に笑顔を見せた。素空はすべての質問に答えを書き込むと、棟梁に礼を言い宿坊に戻って行った。

 帰る途中で栄信と出会ったが、栄信は、素空とは逆にこれから棟梁に会うために新堂に向かうところだった。

 素空が言った。「私は守護神の建立の準備をそろそろ始めようと思いまして、その支度をして参ったところです。思い掛けずわが師が若かりし時に彫った毘沙門天を見ることができました」

 すると、栄信が言った。

 「厨子の毘沙門様はもともと、あのお堂の建立のきっかけになったものですからね」栄信は、暫らく感慨深げな面持ちだったが、素空に会釈して別れた。

 栄信は新堂に着くと棟梁に面会を願い、瑞覚大師の伝言と菓子を渡し、毘沙門天に参ろうと奥に進んだ。宇土屋喜兵衛が珍しく付いて来たかと思うと、素空のことについて話した。

 「栄信様、さっき来なさった若いお坊様はどう言うお方でしょうか?」

 「素空様は年は若いのですが優れた徳の持ち主で、御仏に愛された数少ない僧です。本山に上がって翌日に法名を頂いて認可を受けた僧は、私の聞き及ぶところ初めてです。仏師としても際立って優れていらっしゃいます」

 宇土屋喜兵衛は、栄信ほどの僧が、年若い素空に敬意を払っているのが、ちょっとばかり不思議だったので、更に気になっていたことを質問した。

 「あのお坊様は、書いて来た紙で質問して、わしが言った言葉をその紙に書き取っていたんですが、それでも優れたお方と言えるのでしょうか?」その程度の僧なら沢山いるとばかりの面持ちだった。

 栄信は、微笑みを浮かべて答えた。「あのお方おひとりでなさることなら、棟梁への質問はすべて記憶しておられたでしょう。答えもすべて記憶し、必要とあらば初めから一言一句違いちごんいっくたがえずに答えることができた筈です」

 宇土屋喜兵衛は、自分の目違めちがいに打ちのめされた。

 「なかなか、お若いのにできたお坊様とは思いましたが、半紙を取りだして、質問して来たのには、ちょっとばかり笑ってしまいました」

 栄信が笑顔で語った

 「それは、とんだ目違いをなさいましたね。素空様は、配下となる方々のために、分かりやすいようにと思われたのでしょう」

 宇土屋喜兵衛は、栄信の人柄には全幅の信頼をおいていたのだが、その栄信が認めているのならば間違いのないことだと思った。

 この日、早々と自分の目違いに気付いて、宇土屋喜兵衛としては、却って幸運だったと言えるかも知れない。今後、素空と、宇土屋との付き合いは益々密接になって行くのだから誤解は早く解くに越したことはないのだ。

 宇土屋喜平は配下の職人の他、左官さかん瓦屋かわらやや、庭師にわしなど、多くの人との関りを持っていた。職人のおさ一角ひとかどの者で、彼らなりの哲学を持って生きていた。殆んどが弟子に厳しかったが、自分にも相当厳しく、彼らならではの男気おとこぎがあった。職人は、親方の見識けんしきの豊かさを尊敬し、彼に従った。宇土屋喜兵衛もそんな親方の1人だったのだ。

 「親方、庫裏の上棟式の支度をそろそろ始めませんと…」素空を、棟梁のところに案内した大工だった。名は甚太じんたと言い、墨大工すみだいくと呼ばれる一人前いちにんまえの大工で、棟梁の娘との縁組が決まっていた。甚太は数年後、素空の教授を受けて彫り物をすることになるが、今はその気配は微塵みじんもなかった。

 

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