第7章 十人部屋 その1

 素空が宿坊の十人部屋じゅうにんべやに入った時、部屋には3人の僧がいた。宇鎮うちん西礼さいれい良円りょうえんの3人は、いずれも、明智みょうち崇拝すうはいするほどの信奉者しんぽうしゃだった。認可僧は10人でひと部屋の宿坊に入ることが決まりで、その束ねをするのは相応そうおう見識けんしきを持った者が指名されていた。

 宇鎮は、明智が制裁を下すと決めた相手に、凄惨せいさんな仕置きを冷徹れいてつに実行するのだった。年は35才で、明智一派の中では最年長だった。明智がいない時は、仲間内なかまうちの小さなことで指示、決定までやることもあるが、後で明智に叱責を受けないよう、慎重な一面も持ち合わせていた。この日、明智は五日の山籠もりと称して、一昨日いっさくじつから宿坊をでて留守だった。明智は、5人の仲間と共に山に入り、滝に打たれ、断食をし、禅を組む。やがて、木石ぼくせきのごとくなるまでに己を高めるのだが、これはあくまで外部に向けての方便だった。宿坊を出ると、2手に分かれて、酒肴しゅこうを求めて里にでる者、山あいの猟師小屋で山鳩やまばとや、猪肉ししにくを分けてもらう者と、準備万端の山籠もりだった。

 当時、天聖宗の僧の飲食について、さほどの縛りはなかったが、本山での修行となると、質素そのもので、口の奢った者には、何とも味気ないものだった。

 明智は切れ者で、先進的な考えを持っていた。当時としては誰も気に留めないほどの常識を、まったく別の切り口で説いて見せたりするのだが、瑞覚大師や栄信のような、言わば正しい僧は明智を嫌っていた。だが、一派の者から見ると、破天荒はてんこうの中にも、彼らの思いを理解してくれる明智は、知識は多岐にわたって深く、話しをすれば聴く者をらさず、まさに心の拠りどころだった。

 明智が、山籠もりをするのは、一派30余名の賞罰のけじめのために他ならず、当然、山籠もりは褒美だった。

 この異端者集団いたんしゃしゅうだんは仲間を大切にする、と言う簡単な掟の下、鉄の結束を保っていた。明智は、掟破りも人なればこそ、そう思っていた。そして、明智は異端者だったが、神仏に対して偽善者ぎぜんしゃではなかった。したり顔で仏の名を口にする者達を嫌い、仏の慈悲を願うに我が手柄のごとく吹聴ふいちょうする者をさげすんだ。

 天安寺の老僧や高僧の中には、このような者が幾人もいて、仏の示す道を正しく歩む者ばかりではなかった。そのような『腐った者ども』に、明智はことあるごとに反発を繰り返し、その結果、当然のごとく一派は、老僧高僧の巧みな締め付けにあい、異端の札付きになったのだった。

 瑞覚大師でさえ、明智を嫌っていると言うことは、老僧高僧の声は耳に届き易く、明智の所業が目に余るほどになって、溝がハッキリしてしまっているせいだった。

 素空は十人部屋の1番年長の僧に声を掛けた。

 「もし、私は素空と申します。本日よりこのお部屋に入ることになりました。皆様にお世話になりますが、よろしくお願いいたします」

 「…」

 「私の荷物を納めるところをお教え願えませんか?また、寝具と身の回りの物はどれを使えばよろしいですか?」

 「…」

 素空は聞きしに勝る僧達の無反応に驚いた。そして、これが同じように神仏を拠りどころに修行をする者のありようかと疑わずにはいられなかった。

 この日、『自分に相手をしてくれる者は誰もいない』と割り切って自分のするべきことを次々と片付けて行った。

 先ずは、滝野たきのの玄空に2度目の手紙を書くことにした。今回は、素空が寺に置いて来た道具類を、送ってもらうためだった。前回伝えていなかった守護神建立のことをしたため、自分の構想を伝え、建立までの工程と配下の仏師の人数、適切な資材の選択などについて師の意見を求めた。

 素空は、手紙を書き終わると、栄信の部屋を訪ね、滝野から本山まで仏師としてのすべての道具を送ってもらいたいが、送料は本山で負担して欲しいと願いでた。

 「素空様、確かにおっしゃる通りです。お堂の建立は西院の差配ですから、瑞覚大師から興仁大師にお願いして頂くことにしましょう。ところで、素空様、明智一派の様子はどうでしたか?」

 「部屋には3人いましたが、まったく相手にされませんでした。身の回りのことから不自由するのは覚悟していますが、まさか、あれほどとは思いませんでした」

 栄信は誰も相手にしないことを不審に思って、更に部屋の様子を尋ねた。

 「部屋の中にいた3人とは、どのような者達でしたか?」

 「1人は、35、6才の目の鋭い人ですが、その人が3人の中では力を持っているのは明らかでした。2人目の人は27、8才の痩身で、眼の涼やかな人で、話しに聞く明智一派の者とは違っている感じでした。3人目は、22、3才の小太りの僧で、左耳の下に丸い赤痣あかあざがありました。私が部屋にいる間、更に6人の僧が出入りしましたが、私がいることを不快そうに見遣ると、皆早々に部屋をでて行きました」

 「初めの僧は宇鎮うちんと言い明智一派の大番頭のような者ですが、冷徹、残忍で狂気を持ち合わせる知恵者ですが、この男にはお気を付け下さい。次は西礼さいれいです。心優しい私の友でしたが、あることをきっかけに決別しました。明智みょうち善西ぜんせいと共に、宿坊の十人部屋を預かっています。3人目は良円りょうえんと言い、栄雪の同郷の友でした。心優しい小僧でしたが、今では宇鎮の弟子も同然と言われています。その他の6人とは、どのような者でしたか?」栄信はすべての僧の名を知らせたかった。

 素空は、問われるままに答えた。

 「初めに1人が入って来ました。背が高く、目の細い寡黙かもくな感じの人でした。暫らくして、口元に黒子ほくろがある23、4才の骨張った人と、頭に3筋みすじの傷がある25、6才の人が入って来て、私に一瞥をくれるとでて行きました。暫らくして、3人が参りました。明らかに私を見に来たのです。私の傍まで来ると、しげしげ眺め、無言のまま立ち去りました。1人は22、3才の眼光鋭く、色白で鼻筋の通った人でした。もう一人は同じ年頃の口で呼吸する巨漢でした。最後の1人は小柄で痩せていながら、隙のない目付きの、20才くらいの人でした」

 栄信が、すぐに名を挙げた。

 「最初の背の高い僧は善西ぜんせい…西礼同様、私の友でしたが、西礼と決別するきっかけになった者です。口元に黒子がある者は、善西の十人部屋の法垂ほうすいです。頭に3筋の傷があるのは、同じく善西の十人部屋の悠才ゆうさいです。最後は、いずれも認可を頂いていない者達で、1人は益念えきねん。2人目の巨漢が常哉じょうや。小柄で痩せた者は休裁きゅうさいです。この3人は、大部屋おおべやにいて、明智一派の先兵のような役割を負う者達です。十人部屋では相手にもされないのですが、未熟な修行僧は恐怖心をあおられ、事によっては言いなりになってしまいかねないのです」

 栄信は、カビが広がるように、明智一派の害毒が寺中を支配しないように、食い止めなければいけないと、改めて思った。

 「素空様、肝心の明智がいないことに気付きました。一体どうしたことでしょう?」そう言うなり、1人の灯明番の僧を呼び、調べるように命じた。

 「素空様、推測に過ぎませんが、噂によれば、明智は修行のための山籠もりを時折行っています。断食行や回峰行、滝行など様々な行を行っているそうです。天安寺内では自由な修行ができないとでも思っているのでしょうか?」栄信は暫らく考えてから、素空に気掛かりなことを伝えた。

 「素空様を無視したと言うことは、明智が戻って来るまではそっとしておこうと言うことでしょう。明智の出方ひとつでどうなるかは分かりませんからね。本当に大丈夫でしょうか?」

 「はい、明智様もお仲間も、御仏にお仕えする方々です。仏道に著しく背くことは、断じてないものと思います。私は、何時如何いついかなる時に於いても、御仏の御心のままにいたす覚悟です。たとえ修行半ばの今、この時召されても、御仏の意に従います」栄信は、自分の心配はもはや無用になったと思った。

 

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