京屋分家岩倉屋 その4

 素空と栄雪は、灯明の芯100束ずつを背負い、帰りを急いだ。

 往きと同様帰りも、地蔵菩薩じぞうぼさつ道祖神どうそしんの前で立ち止まり、通行人の無事や作物の豊穣などを祈願した。栄雪は、素空の神仏をおろそかにしないことに感心した。どんな小さなつかや、ち掛けた石碑せきひにも必ず手を合わせて、何やら祈願しているのだ。

 栄雪が言った。「素空様のように信心深いお方は知りません。同じ僧でありながら、恥ずかしいばかりです。思えば、私は、御仏にお仕えする程度を自分で決めているのだと気付きました。御仏がいつもお傍にいらっしゃれば、いつも手を合わせてお祈りするでしょうに…私は路傍の朽ち掛けた道祖神や塚などには手を合わせようとはしなかったのです。素空様にはお教えを頂きありがとうございます」栄雪は、今度は素空に向かって手を合わせ、深くこうべれた。

 「栄雪様、そのようなことはおっしゃらないで下さい。私は至らぬところばかりです。私が尊敬しているお方こそ、栄雪様が真に感服すべきお方でしょう。知識の深さ、慈愛の心、千里の先を見る眼、御仏の業を現すお心をお持ちの、類稀たぐいまれなるお方です。私は、わが師に遠く及ばぬ未塾者なのです。以後は、斯様かようなことを決しておっしゃらないようお願いいたします」

 栄雪は、素空が自分など遠く及ばないほどの仏道を歩んでいることを改めて認識した。

 民家が切れて、参道に差し掛かると、素空は経を唱え始めた。栄雪も後に続いたが、次は栄雪が先上さきあげて、素空が続いた。お互いに、できるだけ短い経を交代で唱え、競うように掛け合った。2人は登りの道が楽しくてしょうがなかった。

 あっという間に本山の西の端まで登って来た。

 「素空様、ここで一休みいたしましょう」

 そこは、来年竣工予定のお堂で、栄雪は気を利かせたつもりだった。

 「素空様、お堂の守護神と言えば、やはり仁王像におうぞうでしょうか?私には仁王様しか思い付きませんが…」

 栄雪は守護神の話題を口にした。栄雪の興味がそのまま口をいたのだった。

 「そうですね、門前の左右に厄除やくよけの仁王像は当然いらっしゃるべきですね。私も、栄雪様とまったく同じ思いです。しかしながら、この世の悪をもこらしめる守護の神仏がふさわしいと思っています。ただ単に、お堂の厄除けに留まらず…。岩倉屋さんの1件で、世に御仏の尊い教えが未だ染み渡っていないことを思い知りました。神仏から離れてしまった人の中には、平気で悪を行う者もいると思います。世の安寧を守るのが仏道と心得ます」

 素空は、驚きの表情を隠さず、ただ茫然と佇む栄雪を尻目に、忍仁堂へと歩きだした。栄雪は、温厚で思慮深い素空に、悪に対してこれほど厳しい一面があるとはまったく予想していなかった。

 素空と栄雪が忍仁堂に戻って、栄信の部屋を訪れた時、栄信は留守だった。

 やがて戻って来た栄信が、二人をねぎらい、灯明の芯を受け取った。

 「当分は、私の部屋に置いておきましょう」そう言って、文机の脇に仕舞った。

 「ところで素空様、私は先ほどまで宿坊にいました。素空様の部屋を定めるためです。お大師様のお考えはご存知とは思いますが、法名をたまわった者は皆、10人一組の部屋に入るのです。明智みょうちの組が8人、善西ぜんせい西礼さいれいの組と言う明智一派みょうちいっぱの2部屋がそれぞれ9人。栄雪、陽明ようめい宋義そうぎその他の組がそれぞれ10人と甚だ遺憾ではありますが、明智一派を嫌ったがために、部屋割りができなくなりました」

 栄信が言い終わらないうちに、素空がキッパリと言った。

 「宿坊での生活は修行の根本と心得ます。いかなる困難にも、御仏を頼りに立ち向かうことができるものと信じます。お大師様のお心はありがたいのですが、私は1人の修行僧として、他のどなたとも、同じような日々を過ごしたいと思います」

 栄信は、素空が他の誰とも違うが故に、瑞覚大師ずいかくだいしが、あえて難を避けようとしたのだが、素空に固辞されてはどうにもならなかった。素空は本堂でお参りすると言い、栄信の部屋を出て行った。

 残った栄雪が岩倉屋でのできごとを一部始終報告し、最後に一言付け加えた。

 「素空様は、本当に御仏の意にかなう数少ないお方です。思慮深さと、強い信念、思い遣り、悪への厳しさ。私は、素空様が真の仏道を歩んでいることを確信しました」

 その日の夜は、栄信の部屋での最後の夜となった。

 「素空様、アッと言う間に7日が過ぎましたね。明日からは、困難なことも多く降り掛かりましょうが、危うくなるようなことに近寄らないで下さい…ところで、宿坊に移ってからは、いよいよ守護神建立のための準備を始められると思いますが、灯明番から3名をお手伝いにお使い下さい。いつでも構いません、心利こころきいた者がお側にお仕えできれば私も安心です」

 「栄信様、御本山に上がって、もう随分経ったような気がします。私には、この7日のうちに実に多くのことを教えて頂き、1月ひとつきにも匹敵するような思いです。ありがとうございました。宿坊では栄信様はじめ、皆様にご心配を掛けぬよう、心して修行いたしますのでご安心下さい。また、7日の間に多くの方々と親しくなることができました。これも、ひとえに栄信様のおかげです。重ね重ね、お礼申し上げます」

 その夜は、随分遅くまで話が尽きなかった。素空は、姉の店でのできごとを、姉の言葉を借りて詳しく話した。2人の間で、理解できないこととして1つの疑問があった。それは、福の神が頭目に与えた厳しい仏罰のことだった。時が止まってずっと後になり、場所が変わって下されたのだ。神仏の業は人の理解を超えていることは承知しているのだが、どうして牢の中に場所を移し、頭目の脳天を割ったのか理解に苦しんだ。

 「そうですね、仏罰を下すには、他の遣り方もあったでしょうに…」

 「そうなのです、栄信様。福の神は、頭目の罪のすべてについて仏罰をお与えになったのではなく、姉の店での所業のみにて仏罰を与えられたのでしょう」

 「頭目を罰するに、姉上のお店での所業のみで十分と言うことでしょうか?」

 素空も曖昧なまま結論をだした。

 「そうですね、誰にどのような仏罰を与えるかは、私達の知る由もないことです」

 栄信は、素空との会話の中で、1つの結論をだした。

 「素空様、仏罰はどういう形かは知る由もないことですが、与えられた仏罰の重さで罪の重さや、犯した罪の形が分かると言うことですね」

 「栄信様のお考えの通り、私もそう思います。そして、死後にすべての罪の報いを受けるのでしょう」

 素空は笑顔を見せて語り継いだ。「いつものことながら、栄信様には示唆に富んだお言葉を頂きます。やがて、守護神の制作を進めるについての、重要なお言葉となるように思います。ありがとうございました」

 この夜の会話で、栄信が示唆した言葉が、素空の彫り上げた神仏の殆んどすべてに、念じこまれることになるのだが、それは、神仏の真の姿を表している証でもあった。

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