鳳来山天安寺 その5
「素空よ、僧になってからこれまでのことを教えてはくれまいか?」
興仁大師の問い掛けに、素空は
興仁大師は、素空の言葉に頷きながら聞いていたが、最後に大きく頷いて深く思いを巡らした。
「そうであったか、玄空とは、瑞覚様の
瑞覚大師は当時を思い出したのか、
「さよう、あの当時は真の仏道とはほど遠く、求道に励むより想雲大師に
興仁大師は目を細めて懐かしむように付け加えた。
「玄空様が寺を出る時、言った言葉が御本山の語り草になったのじゃが、瑞覚様は間近で聞いておいででしたな?」
「はい、わしが玄空を引き止めている時、想雲大師が現れ、『去る者は、ささ、早く去るがよい。
瑞覚大師は寂しく語った。
「ほう、10年前とは?」興仁大師は、おそらく素空のことが絡んでいると察しが付いたが、合いの手を打つように軽く聞き返した。
瑞覚大師は、いつものように興仁大師の聞き上手に乗せられて、気分よく話を進めた。
「わしは、玄空が
瑞覚大師は
その夜、素空は、玄空に
『
素空は本山に上がった日より、この日の方が眠れなかった。興奮しているせいもあるが、師に宛てて書いた手紙のせいで、これまでの薬師寺での生活を次々と思い出していた。目を閉じると、寺での最初の夜が目の前に広がった。
師にはこれまで
その時、栄信が声を掛けた。
「素空様、眠れないのですか?」素空はハッとして目を開いて答えた。
「栄信様、わが師が御本山を去る時の言葉を考えていたのです。師は、私が寺に預けられて以来10年、
栄信は、素空が何を思い巡らしているのか測りかねていた。
「素空様、あなたは玄空様の許で幸せな歳月を過ごされたのでしょうね。毎日が実に楽しく、充実していたのでしょう。私には、あなたが玄空様と過ごした10年が見えるような気がします。あまりにも幸せで、善に満ちた中に生活している者は、
「確かにこの10年、私は幸せな毎日を過ごし、善なるものの中で、善なることのみに触れて参りました。ただ、心に掛かることは、姉の店に賊が押し入った時、姉に贈った福の神が賊の頭目に制裁を下したことがありました。姉夫婦から聞いたことですが、私の知らないところで予想もしないことが起こったのです。わが
ここに来て、栄信が、素空の眠れぬ訳に思い当たった。
「もしや、素空様はお堂の守護神のことをお考えではないのですか?」
素空は思いもよらない言葉に驚いた。
「いいえ、そのようなことは露とも考えませんでした。わが師のことを考えていたら、思いの及ばないことに突き当たってしまったのです」
栄信は、素空の思考がある方向に進む時、自身の意思に関わらず
「素空様、明日になれば思い及ぶこともあろうかと存じます。今宵は目を閉じ、無心となって明日への
「はい、夜分にお騒がせいたしました。お休みなさいませ」素空もそう言うと目を閉じた。栄信はすぐに寝息を立てて眠りに落ち、やがて素空も深い眠りの中に引き込まれて行った。
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