回想と予見 その4

 「林に入るのだ!」崎田小平はこれまでとは別人のような声音を発して、鋭い指示を与えた。間合いを取りながら、4人の武士を自分に引き付け、五助から離したところで浪人の1人に切り掛かった。

 「旦那、雑魚ざこは任しておくんなさい!」五助はそう言うや否や匕首あいくちを手にした賊に木刀を振り回した。崎田小平を取り囲んで襲い掛かろうとしていた浪人が1人バタッと地面に倒れ込んだ。小手に切っ先が当たり浪人の右手が切れ落ちた。立て続けに1人また1人と倒れ、地べたの上でもがいている。この2人も小手を切られ、1人は腕をもう1人は親指をなくした。倒された3人は一瞬で2度と剣を握れない身になってしまった。どう見ても、腕の違いはハッキリしていた。

 崎田小平に少しばかり余裕が生まれた。振り返ると、五助がゼイゼイ言いながら必死に木刀を振り回している。悶絶している5人の賊を尻目しりめに薄ら笑いを浮かべて、あとの3人が仕掛けて来るのを待っている様子だった。3人の賊は、崎田小平の接近で恐怖に顔を強張らせて逃げるに逃げられない状況に追い込まれていた。遠くで素空の声がした。「崎田様!切ってはなりません!」鋭い声に咄嗟とっさに峰を返して3人を打ち据えた。峰打みねうちとは言え、剣で打ち据えられたのだから骨はくだけ、肉は千切ちぎれ、悶絶するほどの衝撃だった。

 その後、残った浪人の右の親指を切り落として、最初の12人は片付けたが、まだ3人残っていた。

 素空と崎田小平の間の3人が不意に近付くといきなり襲い掛かった。浪人の1人は崎田小平に、もう1人は五助に切り掛かった。さっきの4人の浪人とは明らかに腕が違った。五助の木刀は半分に落とされ、次は命を奪おうとジリジリ詰め寄った。

 素空は素早すばやく薬師如来像を取りだすと、渾身の願いを込めて祈り始めた。五助の無事を願うことで、一切いっさいが無となり、素空の意識もそこに集中した。

 五助に詰め寄った浪人が剣を振り下ろした瞬間、剣は手から抜けて林の中の地面に刺さり、五助は救われた。浪人は崎田小平に肩口を峰打ちされ、気絶した。対峙たいじしていた浪人が、すかさず切り掛かったが、体勢をを崩しながらも間一髪かわすと、体勢を立て直して切り込んだ。浪人は右の二の腕にのうでひじまで切り裂かれて刀を落とした。ひじを割られた浪人は、その後、2度と剣を振ることができなくなった。

 「動くな!」木陰こかげに隠れていた最後の1人に鋭く言い放ち、逃げようとする男に小柄こづかを投げた。

 「頭目はお前か!」小柄を脚に受けた男が、不敵な笑いを見せてソッポを向いた。

 「五助、すまないがに戻って役人を呼んで来てはくれないか。その後はこの先の茶店で待っていてくれ。賊の傍にいると役人に捕まってしまうからな」

 半時はんとき(1時間)ほど待つと役人が捕り手を連れて遣って来た。津の番所の侍は、15人の盗賊が1人の男に捕らえられたことに驚いた。素空と崎田小平は、津の番所で顛末てんまつを申し述べると放免された。役人の調べで狢の弥兵衛一味と分かると褒美の金子まで貰うことになった。

 「金5両とは思いもよらない幸運だ」そう言いながら満面の笑みで五助のいる茶店に向かった。

 「旦那、褒美の半分はおいらのもんじゃないでしょうかねぇ?」五助は、素空を見て同意を求め、崎田小平に1両でいいから分けてくれとせがんだ。

 「お前が金を持つと何に使うか分からんから、これは拙者が預かっておこう。もともとお前があっての捕り物なのだ、お前が1人で届けでれば全部お前の物になっていたであろうよ。そうではないか?」崎田小平の言葉に素空がプッと噴きだし、少しして五助が口を尖らせて納得した。

 「五助、金は天下の回りものと言うではないか。金銭に執着すると、ろくなことにはならないのさ」

 素空は、崎田小平の顔を改めて見直した。無精髭ぶしょうひげに隠れた顔から澄んだひとみが輝いていた。

 「崎田様は何故剣の修行を始めたのですか?」素空は少し立ち入ったことになるが、昨夜聞いた話より以前のことを訊いてみた。

 拙者は親の代までは、さる大名家の剣術指南けんじゅつしなんをしていたのだよ。江戸に出たのは10才の頃で両親と3人仕官の口を求める浪々の身となったのだが、望みが叶わぬまま両親が死に、25才で武者修行を始めたのだよ。剣術指南の家に生まれ、剣術の才しかない者は、剣で生きることしか生き方が分からないのだよ。拙者が剣を捨てる時は、命が果てる時かも知れんな。3つ子の魂100までと言うではないか。父母との思い出の中に剣があり、剣を取ることは父母の思いに応えることなのだよ」

 『このお方は何故、生か死かの狭間はざまで生きているのだろうか?』素空には剣客けんかくと言うものの存在がどうしても理解できなかった。死闘の末に生き残る者、死ぬ者。死後の世界を信じることなく刹那せつなける人生を哀れんだ。崎田小平は素空の心持こころもちを理解して、ひとこと呟いた。

 「御坊には分かるまいが、その一瞬に生きる喜びがあるのだよ。剣をきわめ、眼力を養い、その果てに剣以外にも通じる何かを会得えとくできる筈だ。それが剣に生きる理由なのかもしれないな」素空はこの言葉で、崎田小平が肥後を目指す理由に気が付いた。

 「崎田様の師匠はどなたでしょうか?」

 「御坊は何でもお見通しなのだな」そう言って、愉快そうに笑って答えることはなかった。その日の夜も2人は酒を浴びるほど飲み、素空は夜半まで経を唱え続けた。

 次の日の明け方、素空は2人に別れを告げると鈴鹿峠すずかとうげに向かって出発した。

 「五助、少し寂しくなるな。拙者と2人仲良く参ろうか?…それにしても、お前はあのお坊様をどのように見たのだ?」素空の後姿を見ながら、崎田小平が目を細めて言った。

 「さあねぇ、おいらは不信心で坊様の良し悪しは分からねえが、年の割に堂々として同年配のような貫禄がありましたねぇ」

 「そうだ。あの御坊は普通じゃなかったな。何と言うか、仏のようなお方であったな。拙者も同様不信心だが人を見抜く眼力は持っているつもりなのだ。…確かに普通じゃなかったな…」崎田小平はしみじみと語った。

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