回想と予見 その3

次の日は素空だけが早く起きて、3体の検分を続けていた。夕べのことだが、素空が先に横になると、五助が「お坊さん、明日は一緒に発ちましょう」と言ったので、2人が起きるまで待つことにした。2人は1升徳利を空にして、ぐっすり眠っていて、まだ暫らく起きそうになかった。護摩壇は素空が目覚めてすぐにおこしたので既に炎が上がって、辻堂の中は暖かくなっていた。素空はからの徳利を持って、お堂から1町いっちょう(100m)ほど戻った場所に湧きだした清水を汲みに行った。水場に祀られた水神すいじんに経を唱えて感謝した。昨日もこうやって飲んだが、今朝の水は更においしかった。夕べの2人のやり取りを思いだして笑顔が浮かんだ。『2人揃って面白いお方だった。これからは盗みをせずに生きてくれそうだ』素空は、善人であるのに罪を犯す五助のような人々は多いのだろうと思った。五助の場合、あきれるほど罪の意識がなかった。『罪の気付きは、信仰のない人ほど望みにくいものなのか?』素空はそう思った。

 辻堂に戻ると既に崎田小平は起き上がり、身支度を整えていた。素空が持って来た水をうまそうに飲むと、夕べの酒よりうまいと言って素空に笑い掛けた。

 「ご気分が良さそうで安心しました」素空の言葉に今度は感謝の笑みを返した。

 「五助!置いて行くぞ!さあ起きるのだ!」

 「もう朝ですか?久々に大酒を飲みました」五助は欠伸あくびをしながら1人で飲んだかのように大げさに言ったが、実のところ大半は崎田小平が飲んでいて、五助は話の方が多く、椀に4杯ほど飲んだだけだった。

 「五助様、大丈夫でしょうか?」素空が心配すると、五助は作り笑いをしながら、差し出された水を3杯飲んだ。

 「五助は酒より水が良いのだな?」そう言うと、崎田小平は豪快に笑った。

 「御坊、今日の泊りはせきだったな?そこまで一緒に参ろう。明日の朝、我らは伊賀街道いがかいどうに入るつもりだ。御坊は鈴鹿峠すずかとうげから近江おうみに入るのだったな?今日は関までゆっくり行こうではないか。御坊の旅慣れぬ足では無理はできまいて。亀山かめやまの城下にマメに良く効く膏薬こうやく足袋たびがあるだろうから探しながら行こうではないか」

 3人は津を目指して歩きだした。松阪まつさかから津に入ると時刻は正午を過ぎ、朝食を摂らずに水だけだったので、崎田小平は既に苛立いらだっていた。

 「旦那、飯屋に入りましょう。ご機嫌斜めのようで怖くてしょうがねえや」五助が軽口を言うと、崎田が拳骨げんこつを振り上げて言った。「お前は無駄口を叩く前に飯屋を探して来るんだ。いいか、ウマイ飯屋だぞ…!」

 ニコニコ顔で五助が走り去ると、崎田小平は、素空に話し掛けた。

 「御坊には何の迷いもないのかね?その、なんだ、世俗の欲とか、立身出世りっしんしゅっせとか、気ままな暮らしとやらにだ…」

 「崎田様、この世の生は仮のものにすぎないのです。信心のないお方にはお分かり頂けないことです。私の望みはこの世の生を御仏にならいて生きるのみなのです。死後の世界を信じることのできないお方には理解のできないことかも知れませんが、この世とのちの世のどちらも同じように生きることは、御仏の意にかなうことなのです」

 崎田小平は合点がてんのいかない顔付だったが、次の質問はとんでもなかった。

 「御坊、人が死んだら何故腐なぜくさるのだろうか?拙者せっしゃの両親や親族の葬儀に立ち会ったが、2日もすると臭うようになる。たましいは体から離れてどのような姿になるのだろうか?」

 「崎田様、人は魂で生きているのです。今も後の世も…魂は心と言っても良いでしょうが、これは確かな人格で、この世においての、この顔この手足のように、他とハッキリと区別できるものなのです。現世げんせの姿にとらわれてはいけません。心のありようが問題なのです。この世において悪しき心で生きる者は、後の世において浄土じょうどに入ることはできないのです。では、どうなるのか申せば、冥府めいふ彷徨さまよい、終わることのない暗闇くらやみを与えられるか、地獄じごくの苦しみを永遠に受けるのです。先ずは、死後に永遠の世界があることを認めることです」

 崎田小平は暗い気分になった。悪事を成さず、善人を自負していたのだが、それすらも否定されたようなものだった。『御仏に倣いて生きる』…自分には到底できないことだと思った。

 に入るとすぐに五助が遣って来て、飯屋まで案内した。崎田小平は途中何やら視線のようなものを感じて、それとなく背後に目を遣った。30半ばの町人風の男がこちらを覗っていることを確かめると、五助の後に飯屋に入った。飯屋は立ち食いの丼物が専門のようで、納豆、山芋、卵、豆腐、こんにゃく、目刺し、漬物、梅干、小魚の甘辛煮などがあった。崎田小平は品書きに満足し、素空と五助に好きなものを注文させた。飯を待つ間崎田小平が外の気配を覗いながら、2人に何者かが付けて来たことを告げた。五助はすぐにピンときた。

 「あいつ等、むじな弥兵衛一味やへえいちみに違いねえ。この前は岡崎おかざきだったが、まさかここいらにいたとは驚きだ」五助の言葉で緊張した空気になったが、崎田小平がすぐに言った。

 「御坊まで硬くなっては相手にバレるではないか。お前もいつも通りにしないと用心されるじゃないか。このまま知らぬ顔で街道まででるのだ」たしかに、崎田小平の言う通り、気付かない振りをして、城下外じょうかはずれまでおびきだした方が得策だった。

 「店を出たら御坊は我らと離れて歩いてくれないか。巻き込まれたら困るからな。我らは膏薬と足袋を探しながら城下外れまでゆっくり歩いて行くから、御坊は随分離れて行くといいよ。賊の人数も分かるだろうからな。そこで、我らにどのようにして伝えてもらうかだが…」崎田小平は思案し始めた。

 「ヘイお待ち!」亭主が飯を運んで来た。

 「飯を食ってから考えよう。五助は考えながら食うんだぞ!」崎田小平はそう言うと愉快そうに笑った。

 「御坊は少し離れて食ってくれないか。我らの仲間と思われたくないのだ。もう6人ほどに増えている。奴らの人数は分かるか?相手の人数が分からぬようでは、一難去っても安心できないからな」そう言うと人数の伝え方を打ち合わせた。

 「一網打尽いちもうだじんと行きたいが、どこで襲って来るやら…」崎田小平はで勝負をつけるつもりらしいが、素空は危険すぎるのではないかと心配だった。

 「五助、お前は木刀ぼくとうを持った方がいいようだな。賊は匕首あいくちだろうからそれでいい。浪人者には木刀は通じないから拙者に任せるんだぞ!」

 外を見ると更に数人の新手あらてが集まっているようだった。

 「さあ、我らはでるとしようか。五助!」

 崎田小平は入念な打ち合わせがすむと、3人分の飯代を払って先に出た。

 慌ててすぐに五助も後を追った。どう見ても素空は仲間ではないと思ったのか、6人のかたまりが2つ1町いっちょう(100m)ほど遅れて2人を追った。

 更に1町ほど遅れて素空が歩きだした。街外れの火の見櫓ひのみやげらに登ると3町先の二人と、その後ろの12人が良く見えた。だが、注意して見ると一番後ろに3人連れが付いていた。どう見ても賊の一味だった。

 素空は賊が15人だと打ち合わせの通り合図した。合図を送ると、すぐにやぐらりて二人のもとに急いだ。素空は駆けながら経を唱え、2人の無事を願った。

 津を出て暫らくのところで狢一味むじないちみが突然襲い掛かった。辺りは人気のない林が道際から山手の斜面まで続いていた。道の左手は土手の下に田んぼが広がっていて、そこはれてはいたが足を取られて動けなくなる危険があった。

 

 

 

 

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