回想と予見 その2

 崎田小平さきたこへいが自分のことを話し終わると、五助ごすけの番になった。

 「おいらは盗人ぬすっとだ。13才の時から始めて15年になるのさ。驚いただろ?」素空も崎田小平も驚いた。泥棒が自分のことを泥棒だと明かすなど初めて聞いたからだ。

 崎田小平は五助に酒を勧めるとその先が知りたくなって色々と質問した。

 「おいらは仲間とつるんで仕事をしたことがないんだ。1人稼ぎの1匹狼いっぴきおおかみだ。人に怪我させたり、ましては殺したことなんぞないし、因業いんごうな金持ちからしか盗らねえんだ」

 素空が五助の顔を覗くと、意外にもひとみんで美しく、この時初めて言いようのない悲しみが込み上げたのだった。

 「崎田さんのさっきの金も、ただのコソ泥だったら持ち逃げしたかも知れないが、おいらはそんなことはしねぇ。おいらにゃおいらのおきてがあるからさ」

 少々自慢げに話す五助を眺めながら、素空は言葉なくただ見詰めるだけだった。

 崎田小平は旅のあちこちにいる突拍子とっぴょうしもない人間を数多く見ていたので、五助のこともすぐに受け入れることができたが、やはり法にそむく生き方には承服しょうふくしかね、ひと言非難めいた言葉を口にしたが、反論されてあっさりと引き下がった。どうも、五助には盗人稼業ぬすっとかぎょうが人助けの義賊ぎぞくであり、悪徳商人へのらしめとでも思っているようだった。素空は信じて行う者の心を変えるのは難しいことを知っていたので、今は旅先の1夜を事無く過ごし、明日の朝折を見て改めて切りだそうと思った。

 3人は1時いっとき(2時間)の間に多くを語った。

 「おいらは、ある盗賊一味とうぞくいちみに狙われているんだよ。でくわしたら仲間に引き込まれて凶賊きょうぞくちてしまうんだ…」崎田小平が身を乗りだしてその先を促した。

 「半年前にむじな弥兵衛やへえ一味に目を付けられて『仲間に入らなければ殺す』と脅されているんだよ。奴らの押し込み先に、おいらが先に盗みに入ったんで、奴らの仕事を邪魔したって言いやがって、それ以来逃げ隠れする身なんだよ」

 「ほほう、そなたは既に逃げ隠れする稼業なんじゃないのかね…」崎田小平はそう言うと腹を抱えて笑った。

 「崎田の旦那、言ってくれるじゃないか!おいらは盗んだ後、半月は気付かれることがないほど上手うまくやっているんだ。役人なんぞ恐れるに足るもんじゃないさ」五助は不満そうに崎田小平を見て、自分の技と信条を自慢した。

 「五助様、何時かはお縄に掛かるのです。正しい道を歩むことこそ人の道なのです」素空の控え目な言葉は、五助の心にまったく響かなかった。

 傍らで聞いていた崎田小平は、素空が五助にまっとうな人の道に戻ることを願っていることに気付いて『根は決して悪い奴ではないのだろうが…』五助を見詰めて心の中で呟いた。

 「ところで、狢の何とかと言う盗賊はどんな奴なのかね?」崎田小平が話を戻して尋ねた。すると、五助が口にするのも嫌だ言う顔をして答えた。

 「あいつらは正気じゃねぇ。人間の皮を被った畜生ちくしょうだ。押し入った先で口封じに皆殺しをするんだ」ポツリと言った言葉には不思議なほど現実味があった。

 「あいつらは狙った押し込み先の金は根こそぎ持って行き、主人や奉公人は皆殺しにしてしまうんだが、おいらが先に入ったせいで押し込み先を失って恨まれたって訳さ。おいらの技を使って2つ3つ仕事をさせたところで殺す算段だと思って、逃げ回っているんだ」五助はしんみりと語った。

 「五助、お前、わしと一緒に旅をしないか?そうすれば賊の一味が来てもわしが助けてやろう。それに、お前が盗みをせずにいいようにわしが稼ぎ口を作ってやろう」崎田小平は、五助にまっとうな生き方をさせることは、素空の希望に沿うことだと思った。そして、自分の道連れにはこんな人物が似合っているように思った。

 「旦那、剣の修行はおひとりでなさるもんじゃないのかね。おいらがいちゃ修行の邪魔と言うもんじゃないかね?」

 「いいや、1人では困ることもあるのさ。いつも一緒いっしょと言うんじゃなく、付かず離れずと言った道連れもあるのさ。立ち合い相手に書面で伝える時や、相手の様子を探りたい時は、お前に遣いを頼んだ方が良いだろうよ。用心棒で商家に入った時は、外の情報を知らせてくれる者がいると便利なんだ。わしは伏見ふしみに行くのだが、その後は肥後国ひごのくにまで行こうと思っているのだよ。長旅で道連れの1人でもいたらいいじゃないか」あの手この手の崎田小平の言葉には心が動かなかったが、肥後国と聞いた時に五助の心が決まった。「旦那、ようござんす。肥後までお供いたしましょう」

 素空と、崎田小平は顔を見合わせて驚いた。

 「五助、急にどういうことだ?肥後には何かあるのか?」

 「いやね、旦那、おいらの爺様が肥前長崎ひぜんながさきの出らしいんで、ひと目見ておきたいと思ってね」

 「ほほう、そうかい。それじゃ肥後熊本ひごくまもとに寄ったら、肥前長崎まで足を延ばそうじゃないか」

 話が決まり、二人は益々饒舌になり、素空が最初に感じた印象を見事に壊してしまった。酒のせいなのか、持ち前のものか、素空は明日になればハッキリするだろうと笑みを浮かべた。1升徳利いっしょうとっくりの半分ほどを飲んで2人は上機嫌だった。

 素空は就寝前の経を唱えるため居住まいを正して釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう薬師如来像やくしにょらいぞうに向かい合った。素空の経は声にはでなかったが、辻堂の護摩壇の炎を揺らすかのように力強く、酒を飲みながら談笑する2人にも異様な気配が感じ取れた。崎田小平は、素空の姿勢に目を止めた。

 『この御坊は何者だろう?卓越した武芸者のような隙のない姿だ。私は今剣を持ってこの御坊に切り掛かることができぬほど隙がない』

 五助も何やら不可解なものを感じていた。触れることのできないおそれを初めて感じた。『この坊様は何者なんだろう?』

 2人が口の中で一心いっしんに経を唱える素空を凝視していると、フッと目の前の4体の仏像が金色に輝いた。ほんの一瞬のことで幻のようでもあり、現実のようでもあった。

 2人は信心とは無縁の暮らしをしていたため、そのことを何かの勘違かんちがいか、見間違みまちがいのようだと思い始めた。今目にしたことはあり得ないことだと信じていたし、それが神仏の存在に結び付くことはなかった。2人は4年後に素空と再会するのだが、その時まで神仏を信仰することなどなかったのだった。

 ただ、崎田小平は初めに素空が言ったことを思い返しながら、薬師如来像に仏の心を込めていないと言ったが、釈迦三尊像と同じように光ったようなおぼろげな記憶に囚われていた。崎田小平にとっては4体の仏像はまったく同じものでしかない、本物のような気がした。

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