第4章 回想と予見 その1

 素空は鳳来山ほうらいさん参道さんどうのうち、小出石こいでいしの参道を選んだ。参道に差し掛かって暫らくのところで早い昼食をった。握り飯をほおばりながら百姓夫婦のことを思いだしていた。すると、次々に旅の途中にであった人々を思い出し、彼らの幸せを祈願せずにはいられなかった。食事のあいだに思い浮かべた人々と、出会った時のこと、そして、これから仏に導かれる筈の将来のことを思いえがいた。出会った人々の将来の姿が不思議なくらいに現実のように想像できたのだ。

 『これまでこんな想像をしたこともないのに、目の前にハッキリ浮かび上がるのはどう言うことだろう』素空はいつしか、1日目の夕刻に出会った武士と、京を根城ねじろにしていると言う盗人ぬすびとのことに思いを馳せていた。最初に出会った三杉正介と言う優しそうな武士とは違い、剣の修行をしていると言う鋭い目をした武士が、張り詰めた空気を漂わせていたのを思いだして、フッと愉快な気持ちだった。人は見掛けによらないとは言うものの、言葉を交わすうちに初めとはまったく違い、無口で鋭い眼光の、剣客然けんかくぜんとした風貌ふうぼうがどこかに飛んで行って、意外に饒舌じょうぜつでお人好しのひょうきん者だったことに驚かされた。

 『愉快なお方だった…』

 素空は松坂まつさかに着くと、旅籠に泊まるつもりだったが、通り掛かりの辻堂に泊まることにした。辻堂があると迷わず中に入り、祀られている神仏に経を唱え、すぐに先を急ぐのだが、堂内の3体の仏像を見た瞬間、このお堂に泊まることに決めた。その3体は釈迦三尊像しゃかさんぞんぞうと呼ばれるもので、間違いなく玄空の手になるものだった。思い掛けず目にすることのできた本物の姿を表した師の見事な作に暫らく目を見張るばかりだったが、やがて静かに経を唱え始めると、心が無心となって没頭した。3体の仏像とその前に祀った素空の薬師如来像が経の響きに答えるように金色こんじきの淡い輝きを現わしていたが、無となった素空が感じ取ることはなかった。素空の心は先ほど別れた三杉正介の幸福を一心に願うばかりだった。

 3本の経が終わると、釈迦三尊像の検分を始めた。3体共20年ほど前に作られたようだが、その時に師の思いが強く念じ込まれたのだろうと思うと、その手法が如何なるものだったのか、考えない訳にはいかなかった。素空は自分が彫った薬師如来像に未だに魂が込められていないことを思うと、夜通し掛けてもその手法を習得したかった。しかし、先ほど金色に輝いたことで薬師如来像に仏の降臨こうりんがあったことを素空自身はまだ知らなかった。

 薬師如来像には何時いつ、どのようにしてかは分からないが、仏の心が籠り、素空は我知らず仏師のなすべきことを成就じょうじゅしていたのだった。

 素空が検分していると、1人の武士がお堂の中に入って来た。素空を見ると黙礼もくれいしてお堂の左側の壁に寄り掛かって座った。

 武士の名は崎田小平さきたこへいと言い、江戸えどから流れて来た剣客修行けんかくしゅぎょうの男で、年は32才、かなりの使い手だった。小半時こはんとき(30分)ほど素空の検分をジッと眺めていたが、腹が減った様子で素空に食べ物を持ってないか訊いた。旅の僧にたいして期待していた訳ではないが、これから宿場まで往復するよりはよかった。

 崎田小平はすこぶ物臭者ものぐさもので手間の掛かることを嫌うところがあった。路銀は十分に持っていたが、旅籠のようなちゃんとした宿に泊まることは殆んどなく、行く先々で知り合った剣客仲間の屋敷に泊まるか、路銀稼ぎの商家の用心棒として店の座敷に泊まるくらいだった。

 今日は伊勢参いせまいりを終わって伏見ふしみに向かうところで、家族はなく気ままな1人旅だった。あと4、5年修行を積み、江戸で道場主になるか、どこか仕官先しかんさきでも見付かればいいと思っていた。それが叶わなかったとしても、江戸には腕をかした働き口が多く、暮らしの心配はまったくなかった。それでも、崎田小平はまったく不相応なふそうおう夢を持っているのではなく、腕相応うでそうおうの野心とでも言うべきものだった。

 「御坊は飯も食さず平気なのか?」

 素空は検分を中断して答えた。「私はこの3体の御仏像の検分をしているのですが、この検分が実に楽しく、食を選ぶか検分を選ぶか問われれば、迷うことなくこのまま検分を続けます」

 「ほほう、御坊はお若いようだが、まるでかすみを食らう仙人せんにんのようだな。何故に検分するのかな?」

 「はい、これはわが師が彫りたる御姿で、この御姿には御仏の御心が込められているのですが、如何にすればこのような真の御姿になるものかと思い検分しているのです」

 「ほほう、それでこの小さい御仏は御坊の物で、御坊が作った物には御心とやらが篭っていず、真の御姿ではないと言うのかな?」崎田小平は、素空の薬師如来像をしげしげと眺めながらそう言った。

 『どう見ても同じでき栄えのようだが、この坊様は何故そう言うのだろうか?』

 崎田小平はきわめた者にしか分からない世界なのだろうと思い、これ以上語り掛けることはなかった。考えてみれば、剣の修行にしても窮めれば窮めるほど奥深くなり、己の未熟さを感じるばかりなのだ。

 『きっと、この坊様は窮めた先を求めておいでなのだろう。ひょっとして、そこが仏の世界なのか?』崎田小平はその先を考えることはなかった。

 そこに遣って来たのが、五助ごすけと言う盗人家業ぬすっとかぎょうの男で、年は28才になるおしゃべりな男だった。五助も食べ物を持っておらず、崎田小平は次第に空腹に耐えられない様子で、五助に銭を渡して握り飯とおかずを求めてくれと頼んだ。五助も腹が減っていたが、使いに出るのは御免蒙ごめんこうむりたかった。

 「御坊、腹は減っていないか?御坊が遣使つかいに出てくれるなら、御坊の分まで拙者せっしゃが払って進ぜよう」崎田小平はどうしても買い出しに出るのは嫌のようで、だんだんと不機嫌になって、持ち前の鋭い目で素空と五助を交互に見据えた。五助は1度断ったものの素空が使いに出ると言ったので、仕方なく自分が行くことにした。

 『坊様を使いに出すなんぞ、罰当ばちあたりもいいもんだ』宿場までは往復半里おうふくはんり(2km)もないところで五助にしてみたらでもない距離だった。それにしても、不機嫌そうな崎田小平の鋭い目つきに恐れを感じて、渋々しぶしぶ使つかいだった。

 崎田小平は1分銀いちぶぎんを渡して飯とおかずを頼んだが、すぐにまた徳利とっくりを渡して酒肴しゅこうを頼んだ。外は暗くなっていたが、月明かりのお陰で夜歩きも自由にできるほどだった。そして、辻堂の中の物も判別くらいは容易にできた。素空は辻堂の護摩壇ごまだんに火を熾し、暖かくし始めた。焚火たきびは堂内を明るくし、仏像の顔を柿色に染めた。

 「御坊は食には執着しないようだな?」崎田小平は穏やかな声でもう1度同じ質問を始めた。

 素空は、武士が別の答えを求めていると知ると、先ほどと違った答え方をした。

 「ほほう、御心を込めるとな?どのようなことなのかな?」崎田小平は五助を待つ間の時間潰しのつもりだったが、素空の若さに似合わない物腰に興味を持ち始めた。

 「御坊はどのようなお方であろうかな?」崎田小平の疑問は素空の根源から明らかにしたいと言う構えだった。

 素空は伊勢滝野いせたきのから天安寺てんあんじに行く途中であることや、年齢、仏師としての修行もしていることなどを語った。

 崎田小平は、素空のことを根掘ねほ葉掘はほり訊いて、自分のことを語らないのはよろしくないと思い、剣術修行を始めてから、このお堂に辿り着くまでのことを簡単に語り始めた。

 その時、五助が酒と飯を持って来たので話の途中で酒盛さかもりになった。崎田小平は、素空に握り飯を勧めると、五助に礼を言って酒を勧めた。握り飯も酒もたっぷりあったので、素空も2個目の握り飯をつまんだ。こうなると仏像の検分どころではなくなり、崎田小平の饒舌に付き合わなければ申し訳ないような空気になってしまった。


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