福の神 その3

 木戸を叩く音と同時に作蔵の声が聞こえた。

 「旦那様、おかみさん!作蔵です!開けて下さいまし!」

 咄嗟とっさに返事ができずにいると、外で作蔵達が『火事だ!火事だ!』と口々に叫んで近所の人を呼び集めた。盗賊だと言っても人は出て来ないが、火事だと聞けば必ず外に出て来ることを作蔵は知っていた。

 茂助は我に返って木戸を開けに行き、マキは子供達の部屋に駆け込んだ。

 作蔵が店に入って明かりを点けるとやっと一息吐くことができた。近所の男達が数人店の中に入って来たが、様子を見て事態を呑み込んだ。早速土間の男に縄を打ち、茂助に断って家の中を改め始めた。板張りに3人が倒れていたので縄を打って土間まで戻って来た。賊はこの4人だけだと知り、近所の人達は役人を呼びに走る者、賊の番をする者、店の周りを見張る者と、意外に手馴れたものだった。

 茂助は、作蔵が何故駆け付けたのか説明を受けてようやく納得した。

 「福の神様のお働きのおかげだ。勿体ないことだ」

 茂助はそう言うと、掛軸の部屋に入って行った。

 隠し扉もそっちのけで、掛軸の裏まで見たが、福の神はどこにも居なかった。それから、隠し扉の中を覗いたがすぐに元通りに閉めた。

 この夜の出来事は、これまでの2回の出来事と比べると、とてつもなく不思議だった。気のせいでも、見間違いでも何でもない。福の神が、掛軸の中から出て来て、事がすむと消えてしまったのだ。

 自分達の命を救った上に、賊の刀を消し、頭目を始め全員を捕らえたのだ。一体どこに隠れたのだろうか?もう、戻って来ないのだろうか?一家に幸福をもたらした福の神を失った今、茂助は何とも心細い気分だった。

 やがて、役人が賊を捕らえに来た。そして、上役と思しき侍が簡単に事の顛末を聞き取ると、明日改めて役所に出頭するよう命じて帰って行った。

 近所の人達も、役人を追うように帰って行った。

 それから、作蔵を呼んで鄭重に礼を言い、若い衆に心付けを渡して引き取ってもらうと、家族だけになったが、茂助とマキはなかなか眠れなかった。

 「福の神様はどこに行かれたんでしょうねぇ?それに、刀も消えてしまったのはどう言う訳でしょうか?」

 翌朝、茂助は近所に昨夜の侘びと礼をして回り、役所に向かった。

 役所に着くと、役人が重苦しい顔で迎え入れた。昨夜牢内で頭目が殺されたそうで、一晩中大騒ぎだったらしい。茂助はあらましを役人から聞いて謎が解けたように思った。

 刀が頭目の脳天を割って、頭の半分のところで止まっていたそうだ。

 賊の無惨な姿は、誰がどうしたか謎だったが、刀は頭目の物で、牢内で自刃したと言うことになった。どうして刀を牢内に持ち込んだのかなど、聞けばいろいろとおかしな事もあるが、茂助にとっては都合が良かった。大晦日でもあり、簡単な取調べで帰されたのも幸運だった。

 店に戻って掛軸の部屋に入ると、マキが座り込んでボーッとしていた。

 「どうしたんだ、明かりも点けずに」

 茂助には、福の神が隠れてしまったことで、この家の幸運も消え去るのではないかと心配しているように見えた。

 「マキ、福の神はこの家に3回も福をもたらしてくれたのさ。だがな、他はお前と俺で築いて来たんじゃないか。この掛け軸はこれからもこの家の家宝なのさ。今まで通り毎日感謝して過ごそうじゃないか」

 「そうね、お前さんが言うように、今まで通りにしましょう。そして、年が明けたら今度こそ和尚様に相談しましょう」

 2人は、里に行く日まで掛軸をそのまま掛けておこうと思った。ひょっとすると福の神が戻って来るのではないかと期待もしてのことだった。

 正月になっても変化はなく、やがて奉公人達が帰って来る頃、掛軸を桐箱に仕舞い込んだ。作蔵にも福の神が隠れたことを話していないし、気付いてもいないだろう。

 昼までに主だった奉公人が集まり、作蔵に後を頼んで昼過ぎには一家5人が店を発った。路銀の他に途中で買う予定の土産代や、お寺に寄進する品物やお布施を用意して出たのだが、子供連れと言うこともあり、馬に荷車を引かすことにした。

 「これなら、布団も他の荷物も十分に積めて、楽に早く着けるでしょうよ」

 久し振りの里帰りにマキは上機嫌だった。馬車は街の中のあちこちで止まりながら里に向けて進んで行き、夕方には到着した。

 一家総出の出迎えに、満面の笑みを浮かべていたが、マキはすぐに素空の様子を気にして尋ねた。

 「おかあ!源助…希念様はどうしてなさる?掛軸のおかげで、だんだん暮らしがよくなって、ありがたいことさ」

 「お前と、茂助さんが頑張ったからだよ、本当にいい人と所帯を持ったもんだね。それこそありがたいことだよ」

 母親のウタはそう言った後、素空のことを告げた。

 「希念様は、春には御本山に上がりなさると聞いているよ。だから、暫らくは帰って来られないそうだよ」

 「じゃあ、明日は早くに出て、ゆっくり話をして帰らないといけないね。おかあやおとおも一緒に行くんだろうねぇ?」マキは当然のように言った。

 「いいや、私らは遠慮しとくよ。いよいよ、本当のお坊さんになろうと言う時に、邪魔しちゃいけないのさ」ウタは寂しそうに言った。明くる朝、2人は早くから出発した。既に連絡していたので、寺に着くと庭で素空が待っていた。

 「姉さん随分と暫らく振りでした。兄上様、よくいらっしゃいました。あいにく住職は暫らく戻りませんが、どうぞお上がり下さい」

 茂助はこの時、素空と初めて対面したのだが、まさかこのお方がマキの弟だとは信じられなかった。目の輝きが尋常ではなく、吸い込まれるほど美しく、端正な面差しに圧倒されたのだった。『この世にこれほど美しいお方があろうか?』茂助はこれまで多くの人と対面して来たが、このような人物に会ったことなど1度もなかった。

 3人は本堂の薬師如来像の前で経を唱えた後、マキが暫らく如来像を眺めていた。

 「姉さん、どうなさいましたか?お茶でもいかがですか?さあ客間の方へどうぞ」

 素空が先導して客間に案内すると、茂助もマキも荷物を抱えたまま後に続いた。

 「源助、和尚様はどちらに?」

 「朝方急に『出掛ける。1いっときもせずに戻るから、客人の接待を頼んでおくぞ』そう申したまま、いなくなりました。それはそうと、姉さん、その桐箱は差し上げた掛軸の箱ではありませんか?一体どうなさいましたか?」素空は不審に思った。

 「実は、和尚様が帰っていらしてから相談しようと思っているんだよ。その時一緒に聞いて欲しいと思ってね…」

 その後は話題を変えて、素空が子供の頃の話や、商売の話、3人の子供の話などをして楽しく過ごした。

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