福の神 その2
作蔵は店を出てからずっと、胸の奥底に得体の知れない何かが引っ掛かってどうにも居心地の悪い思いだった。家に着いた時、女房に年越しの給金を渡し、1年の垢落としに用意された酒に手を出した時ハッとして思わず手を引いた。
福の神の顔は見慣れているものの、今日のあの恐ろしげな目つきはどうにも腑に落ちないことだった。確かにあの目には何か見覚えがあるような気がしてしょうがなかった。だが、どうしても思いだせなかった。
「お前さん、何を考えているんだぇ?」女房の問い掛けに、ことの次第を説明すると「そうだね、店のお客でそんな目付きの人はいないかぇ?」
女房に促されて、記憶の糸を手繰りだしたその時、ついに思い当たった。
10日ほど前のことだった。目付きの悪い初めての客が、手代に今年はいつまで店を開けておくのか訊いていた。そして、結局何も買わずに帰って行ったように記憶している。
作蔵は長屋の戸をドンドン叩き、2人の若い衆を連れて店への道を急いだ。
茂助もマキもまだ気付いてはいない。賊は次々と部屋を改め、子供3人が眠る部屋に行き当たった。そこに2人を残して、更に隣の部屋に侵入した。頭目は、茂助の枕元に立ち、腰を屈め、顔を近づけて低い声で起こした。
「この店の主だな、騒ぐと
茂助は妙に落ち着いていた。金は帳場の奥の掛軸の部屋にある。そこに行けばどうにかなる。そんな予感がした。
と、その時、マキが目を覚まし、危うく声をだしそうになったが、グッと息を吞んだ。怯えながらも、間一髪のところで息を呑んでくれた。『声をだしたら一瞬で息の根を止められていただろう』そう思うと、子供が起きないことを祈るばかりだった。
「子供は大丈夫でしょうか?」マキの問い掛けに、頭目が渋々答えた。
「ああ、大丈夫だとも。だが下手なことをするとどうなるか、分かっているだろうな!隣には見張りを2人も付けているんだぜ。ヤル時はアッと言う間さ」
そう言うと、気味悪いほど怖い目で睨み付けた。
「お前も亭主と一緒に来な!騒ぎ立てるとバッサリだぞ!」
言い終わると、ニヤッと笑った顔がどうにも気色悪かった。
茂助は、この賊は金を手に入れたら間違いなく皆殺しにするだろうと思った。だが、どうしたら良いのかまったく考え付かなかった。時間稼ぎをしていたら、子供を1人ずつ殺すと脅され、どうすることもできなくなった。
頭目の辛抱は限界に達していた。「あまり
「分かりました。金は全部お渡し致します。どうか女房、子供の命だけはお助け下さいまし」
掛軸に助けを求めるように目を向けながら、掛軸の横の隠し扉を開いた。
頭目が、どけ!とばかりに茂助の襟首をつかみ引き倒して中を覗き込んだ。そして、ゆっくり振り返ると、ニンマリ笑いながら冷たく言い放った。
「早くだせば殺されずにすんだものを。お前達も本当に運のない奴らだな」
頭目が掛軸を背に刀を抜いた。
茂助とマキは抱き合いながら部屋の隅へと詰められ、あわやこれまでと言う時、茂助は最期の望みにすがって懇願した。
「どうかどうか、お願いです。寝ている子供は何も存じません。どうかどうか子供の命だけはお助け下さい…お願いします…」
涙ながらの最期の願いを、頭目はせせら笑って言い放った。
「それはできない相談だ。あの世で親子5人仲良く暮らすこった」
そう言い終えると残忍な笑みを見せながら更に2人に近付いた。
《
『俺の
《汝は耳を持たぬのか?不心得な者よ》頭目はまたしても邪魔をする声に苛立ちながら、声の主に問い掛けた。
「お前は誰だ?何もんだ?邪魔すると只じゃおかねえぞ!」
《汝の前に居るのが見えぬのか?ほれほれ、ここじゃよ、ほれ》頭目は福の神の絵をジッと見据えた。何も変わったところはないようだったので、隠し扉の中を丹念に調べたが、やはり変わったところはないようだ。
茂助に向き直り、鬼のような形相で頭目が食い掛かった。
「お前、どんな細工をしたんだ?ええ!」憤怒の形相が頂点に達し、抜刀した手がわなわな震えだした。
茂助が答えた。「そのお声は掛軸の福の神様だと思います。これまでに、不思議なことが2度ほどありました」
頭目は怒りも露わに否定した。「何だと!絵がしゃべる筈がなかろうが!」
頭目の言葉が終わらないうちに、またしても声が響いた。
《汝は目に見えるモノしか信じられないようだな。では、よく見えるようにして進ぜよう》
掛軸の姿が次第に大きくなり、頭目と同じくらいになった。頭目は驚いて
確かに、目の前に見える姿を切ったのだが、何の変化もないばかりか、またしてもしゃべり掛けて来た。
《よいよい、汝が目に見えぬモノを信じぬと思うて姿を現したまでのこと。汝に手出しができる訳もなかろう》
茂助とマキはそっと掛軸を覗き見た。頭目には見えなかったが、2人からは掛軸を見ることができた。掛軸には福の神の姿が消えていたので、2人は顔を見合わせ合掌して経を唱え始めた。
子分には福の神の姿が見えず、抜刀した頭目が1人でいきり立っているのをどうすることもできずに眺めていた。頭目は何が何やら訳の分からぬ間に正体の知れない亡霊か何かの虜にでもなってはならぬと思い、暫らくそれを無視することに決め、ついに、刀を振り上げて茂助夫婦に向き直り、思い切り振り下ろした。
しかし、刀は合掌した2人の頭に当たる寸前でフッと消えてしまった。手元から急に消え去った刀を探すように見回したがどこにもなかった。
「誰の仕業か知らねぇが、タダじゃおかねぇ!」
頭目の怒りをよそに、またしても涼しい声がした。
《汝はよくよく憐れな男よ、見ても信じられぬのであれば、生きて
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