地蔵菩薩 その4

 その夜、玄空の部屋に来たのは酉の下刻とりのげこく(午後7時)を過ぎていた。

 「よう来た、今宵はさほど長くはできそうにもない時刻だ、早速始めよう。さて、先ずはイロハを説いて進ぜよう。心構えを習得するのじゃ、よいな。では、なぜ御仏の御姿を彫るのか、と言うことから考えようぞ」

 素空の反応を窺うように見たが、更に続けて言った。

 「世の多くの者は、真の御仏に出会でおうたことがないのだよ。信じる者も、そうでない者も、形を示さねば心に根付かないものよ…また、人の想像はそれぞれ違うものなのだ、形を示さねば御仏の御姿は十人十色じゅうにんといろとなろう。石や木を彫り御仏の御姿を示せば、その御姿が多くの者にとって御仏そのものとなるのだよ。つまり、信じる者が銘々勝手な御姿を作りだすことがなくなると言うことじゃ。だがな、肝心なのは彫る者も御仏を知らぬと言うことだよ。彫る者が御仏と魂を通じねば真の御姿を表せないと言うことなのだよ」

 玄空は重ねて言った。「よいか、御仏を彫ることは御心を込めることに他ならず、形の前に御心が御座おわしますのじゃ。努々ゆめゆめ忘れることなかれ」

 「はい、お住職様、私も御仏に近付くよう精進いたします」

 玄空は笑みを浮かべて更に言った。

 「希念よ、御仏に近く在る者は御仏に近いものを彫り、そうでない者は御仏に似て非なる物しか彫れないと言うことじゃ」

 「お住職様、それでは何を以って区別ができるのでしょうか?」

 暫らくの沈黙の後、玄空が笑みを浮かべ、声音を変えて言った。

 「肝心なのはそこだ。真偽のほどは容易には分からん。だが、御仏に近い者が見れば一目瞭然いちもくりょうぜん。心を磨き、技を磨き、御仏に近付かんと欲すれば、御仏の真の御姿が彫れようぞ」素空はこの日の教えを心に深く刻み付け、生活のすべてに反映した。

 素空が初めて鑿鉋のみかんな木槌きづちなどの道具に触れたのは最初の日から数えて4日目だった。それらは玄空が使っていた物で、手入れして磨かなければ使えない物だったが、玄空は道具の手入れから始めることは大事なことだと言い、1つひとつの使い方と手入れの方法を説明した。更に、足らない道具や自分向きの道具の作り方も教えた。玄空はどれほど多くのことを教えても、弟子がそのすべてを記憶に留めることを知っていた。

 「希念よ、わしの道具はすべてお前に譲ろう。わしは時折石を彫ればよい。そのための道具は別に持っている。これらを己の物として大切に使うのじゃ。彫り続ければ木の心が分る筈じゃ。道具が手に馴染み、やがて、木がここを彫ってくれと言って来るとしめたものだよ。人によっては、そこに達するまでに何十年も掛かるが、お前なら大丈夫。すぐにそうなるだろうよ」

 次の日、彫り物に適した木と、そうでない木について説明を受けた。

 「希念よ、木彫りに適した木は、1つにくすのき、1つにかつら、1つにけやきじゃよ。これらは御仏を彫るための3大木と言うてもよい。他の材も使われているが、先ずはこの3大木を彫りこなすことだ。また、適した木ばかりを使うのも考えものだよ。すべての木の良し悪しよしあしを知り、使いこなしてこそ真の仏師ぶっしと言うものじゃ」

 素空は、仏師と言う言葉を初めて耳にした。

 「お住職様、仏師とは如何なる者でしょうか?」

 「そうさなア、御仏を彫ることを生業なりわいにしている者のことであるが、時に、優れた御仏を彫る者のことを言うのだよ。わしもお前も、更に精進してのみを握っては、仏師と呼ばれるようになりたいものだな」

 素空の上達は早く、それから3年間手取り足取りの教授が続き、自在に道具を使い、新しい道具も作りだせるようになった。新しい道具を作るには、鍛冶かじの知識も必要で、木を使うには材料の乾燥を上手くやってひび割れをさせない知識も必要だった。素空は志して3年で仏師としてのイロハを卒業し、早くも独り立ちするまでになった。

 「希念よ、これからは、わしの手を借ることなく仏師としての真の修行をするのだ。1人ですべてを解決するのだよ。1人前の仏師とはそのような者なのだよ。そして、お前にはそれができる筈だ」玄空は、13才の弟子が仏の心にかない、見事な仏像を彫り上げることを期待した。

 それから4年、素空は17才になった。既に、本堂の本尊とそっくりな薬師如来像やくしにょらいぞうを彫り上げて玄空を驚かせたが、それはまだ心の籠らない姿だった。

 玄空から、仏の心を彫り込むよう教えられていたが、どうしても心を彫り込むことができずに思い悩んでいた。

 玄空は、素空の思いを哀れんだ。『まだ17才の若さで御仏の御心みこころを彫り込むことなど到底できまいて。先ずは形をきわめることだ。御仏の御心を込めることができた時、悟りの入り口に達する筈なのだから…苦しみ、悩みながら仏師の道を歩むことだ』

 素空が寺に来て10年の歳月が流れたが、その年の師走しわす(12月)になって、玄空は風邪を引いて臥せっていた。玄空がこれほど長く床に就くことは初めてだった。

 「希念よ、そなたは寺に来て10年の間に随分多くのことを習得した。わしはいつの間にか年を取り、体も随分弱くなったようじゃ。希念よ、そろそろ鳳来山ほうらいさんに上がり、御本山ごほんざんで正式な僧として認可を受けなくてはならぬ。いつまでも小坊主のままでは如何なものか。来春、鳳来山の雪が消えた頃、瑞覚大師ずいかくだいしを訪ねよ。一生懸命いっしょうけんめいに修行して、お大師様の許しをるのだ。修行の場が変わればるものは多い筈だよ」

 鳳来山とは、都の北東、比叡山ひえいざん鞍馬山くらまやまの間にあり、東は琵琶湖びわこを望み、都の鎮護ちんごかなめとして、天聖宗てんしょうしゅうの本山が置かれた。天聖宗の開祖は忍仁大師にんじんだいしで、みかどの病平癒の功績を認められ、鳳来山に仏閣を与えられて以来、今日に続いている。忍仁大師の開いた寺は鳳来山天安寺ほうらいさんてんあんじと言い、時代と共に栄え、複数の仏閣を総称する名称となった。

 玄空は50半ばで、老人と言うにはちょっと早過ぎるのかも知れないが、粗末な食事と質素な生活の上に無理が重なったのだろう。素空もこの歳の若者にしては痩せて青白く、目の輝きを除いて活力がないように見える。

 素空は、玄空が患って以来、日ごろの勤め以外に2日に1度の托鉢たくはつをすることにした。主に商家回りで米や銭などを施してもらい、食材の足しにした。その甲斐あってか、10日ほど経った頃、ようやく玄空が床上げをした。まだまだ本復とはいかないが、昨日より随分良くなっているようだ。

 「希念よ、随分世話になったが、もう大丈夫だよ。わしは、床に就いてからずっとそなたが一人前の僧になったことを嬉しく思うておった。来春は言うた通り御本山に上がるが、その時瑞覚大師に御仏を献上するのじゃ」

 「お住職様、私は未だ満足な御仏を彫ったことがないのです。未熟な私が御本山のお大師様に恐れ多いことです」素空は咄嗟とっさに断った。

 「何の、希念よ、瑞覚大師はわしの兄弟子あにでしでわしが御本山を出るまでの5年間、1番気が合ったお方なのだよ。小事にこだわらず、万物に慈悲深く、そなたの気にすることなど些細ささいなことだよ。献じる品は拙くとも、心を尽くして献じることだよ」

 素空は、玄空の言葉で何が未熟だったのかを理解した。

 「物の良し悪しより献じる心だよ。そなたは仏師の通る道を歩き始めたのじゃ。困難を乗り越えながら先に進むのみ。やがてその道をきわめられるであろう」

 玄空は言いながら、素空が必ずそうなることを確信していた。

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