パングロスの誘惑

山崎山

パングロスの誘惑

『人は誰でも、人生が自分に配ったカードを受け入れるしかない──』

 と、昔の偉い人は斯く語りき。

 どんなに頑張っても勝てないものはあるし、どんなに苦労しても成し得ないことはある。まだ社会に出てもいない齢よわい十七にしてこうも達観しているとは、悲しいかな我ながら社会の歯車になる才能があるのではないだろうか。

「じゃあこの間のテスト返しますねー」

 とはいえ。とはいえである。偉い人の言葉には続きがある。

『──しかし、手元に来たカードの使い方を決め、勝機を掴むのは自分自身である』

 そう、この人生における配牌は、私自身の裁量や、努力や、たまに時の運で、紙くずにも切り札にもなり得る。

 それを知っているからこそ、私は努力と負けず嫌いという手札を元に、部活もせずひたすら勉強し、友人も作らず土日返上でひたすら勉強し、文化祭云々の打ち上げとやらも断固拒否して一心不乱に勉強をし続けてきたのである。

 そうして今日、高校二年生最後のテスト返却の当日。 私はこの日を心待ちにしていた。思えば長い一年だった。今回こそはと臨み続けて早十回、血と汗と涙と手でシャーペンの筆跡を擦った痕に塗れながら机に齧りついた。擦り切れてボロボロになった教科書を見た先生から「ここは三年生の教室じゃないぞ?」と真剣に受験生に間違えられた。毎日全教科を持ち歩くせいで通常の三倍のスピードでバッグが壊れた。そんなこんなで、私は期待に胸が膨らむばかりだった。何故かって? そんなの、ついに私が学年一位を取るからに決まってるじゃん。

「今回も二位でした。惜しかったですねー」

 なんでだよ。

 にこにこといかにもたおやかな笑みを浮かべる女教師の顔が憎い。大体、この学校の先生はふざけている。テストの最後に「動物を一文字で表すと何?」とか「先週のランキング一位になった今話題のこのアイドルの新曲は?」とか、単元と全く関係のない、訳の分からない設問をぶつけてくる。いやもはや設問じゃない、なぞなぞだ。というか後者はなぞなぞですらない。こんなの教師陣の横暴だ。娯楽に疎い私をピンポイントに狙って点数調整を図っているに違いない。

「よっ、また俺の勝ちだな」

 席に着くなり、前の席の男が私の答案用紙を覗いてきた。

 むっとして覗き返すと、ちらっと見えた。ちっ、私より高い。ちなみになぞなぞの答えは「@あにまる」らしい。しょーもな。

 コイツはいつも私に張り合ってくる。とにかく自分の点数を自慢したいらしく、人の点数を覗いてはガッツポーズするわ声高に勝利宣言するわのやりたい放題。そして実際、

「前回と一位は変わりませんでしたね。みんなも見習うように」

 私はコイツに、一度も勝てたことがない。

 こんなヤツのどこを見習えというのか。自己顕示欲か? 貴様ら一般人は人にケンカを売るくらいの気概が足りないと、そういうことか?

「これで俺の十連勝だな。約束通り、放課後付き合えよ」

 大胆不敵に拳をあげた次にはこの台詞である。何が「付き合えよ」だ、人にものを頼む態度がなっていない。……だがまあ、確かに約束したし、負けて拗ねて反故にするなど私の美徳に反するので、仕方なく頷いてやる。

 途端、教室が沸いた。鬨の声にも似た大音声に、やれやれ、と私は肩を竦める。

 マドンナだか百合の花だか知らないが、負けを認めて敵の要求に屈しただけでこの反応。全く以て、美人とは殊に骨の折れる立場である。




 あの教師絶対に許せん、なぞなぞを定期テストで出すなど、美人な私に嫉妬するにも程がある。あれは私が娯楽的な思考回路に疎いことを知った上での蛮行に違いない、間違いなくそうだ。

 放課後、駅までの帰り道で丁寧に不正を説明してやると、私を誘った男はうんうんと頷きながら苦笑いしていた。笑うな。

「まあ確かに、あの問題は意地悪だよな。俺はああいうの得意だからすぐ分かったけど」

 そういうカウンターとか本当にいらない。

 いつもいつもコイツは私の前を許可なしに行く。今だってそうだ。さも当然のように私の前を歩く。人が話してやっているのに、折を見て苦笑いをこちらに何度か向けるだけ。癪に障るから隣に並んで鼻で笑ってやると、男は慌てた様子で明後日の方を向いた。ふふん、テストで勝ったからといって、お前にイニシアチブがあると思うなよ。

「あ、あのさ。ちょっとカフェに寄っていかないか? 駅から少し離れたところに、いい店があるんだよ」

 神妙な顔で何を言い出すかと思えば……。わざわざ駅前の安いチェーンじゃなしに。

「めちゃくちゃ美味いショートケーキとコーヒーがある。しかも安い」

 よし行こう。

 やれやれ、最初からそう言えばいいのに。大方一人で行くのが気恥ずかしかったのだろう。仕方ない、男子高校生は年頃色々と不都合が多いと、前に何かの本で読んだことがある。

 しかし私にテストで勝ってまで約束を取り付けたということは、さぞ美味で、格式高いと見て間違いないだろう。なるほど美人である私を誘うわけだ。考えたな、男。




「ご注文お決まりですかー?」

 やけに溌剌とした笑顔の、場末のカフェとは思えないほど煌びやかで目の痛いメイド服を着たスタッフに、ショートケーキとコーヒーを二つずつ頼む。ハーフだろうか、私と同じくらいとても顔立ちがいい。その笑顔の裏に数え切れない気苦労があること、分かる。分かるよ私には。

「どうした?」

 別に、と答えて男を見ると、聞いてきたくせにそわそわと目を逸らした。いちいち面倒くさいヤツだ。

 しばらくしてケーキとコーヒーが置かれ、まずはコーヒーを一口。めっちゃ美味い。続けてケーキも一口。やばい、めちゃくちゃ美味い。

「どう? 美味くない? 」

 悔しいが認めざるを得ない。頷くと、花咲いたようにぱっと表情が明るくなった。忙しないにも程がある。

「なあ、ところでさ、俺の名前知ってる?」

 もちろん知っている。美味村毛木太郎びみむらけきたろうだ。

「今適当に考えるくらいならせめて素直に知らないと言ってくれ……」

 冗談の通じないヤツめ。

「そうやって他人に対して適当だから、友達できないんだぞ」

 知ったことではない。人の顔と名前を覚えることなど、私の人生においてはさして重要性を感じない。

「お前、影で何て呼ばれてるか知ってるか? 鉄仮面、日本人形、ガリ村勉子」

 最後、絶対今適当に考えただろう。

「ともかく、このままじゃお前は向こう一年、遂に友達の"と"の字も知らないまま、ついでに俺に一度も勝てないまま高校生活の幕を引くことになるんだぞ。それでもいいのか?」

 何故ついでにそうなるのかはよく分からないが……いいわけがない。友達なんてものはどうだっていいが、この男に一度も勝てないままなんて、想像するに恐怖でしかない。

「だったら、いい方法が一つだけある」

 私はつい身を乗り出していた。そんなものがあるならさっさと教えて欲しい。金を取るというならいくらでもやる。美人の上、娯楽を知らず育った私のお年玉貯金を使う時かもしれない。

「それはだな」

 ごくり。

「俺と友達になることだ」

 は?

「そんな白けた顔するなよ。考えてもみろ、お前が間違えたあの意味不明のなぞなぞ、どうして俺が分かったと思う? 俺の方が娯楽やら世間やらに多く触れてるからだよ。要は柔軟な思考と引き出しの多さだ。教科書とにらめっこして授業をまともに聞いてるだけじゃあの問題は解けない。様々な経験とそこから得られる知識、それが大事なんだ。得て損は無いぞ」

 ……詭弁だ。そもそも、あんな意味不明な問題を出す方がどうかしている。

「だが教師陣ヤツらはこれからも出すぞ? 一度ふざけることの味をしめた人間はどんどんふざけたくなるもんだ。一生徒が変えようとしたって下意上達に上手くいくものじゃない。俺たちがいるのは学校という社会の縮図なんだ」

 そんな理不尽があってたまるか! 前時代的も甚だしい!

「だが現実的に考えろ! あと一年、無駄な抵抗をして目をつけられ結果を残せず終わるか、出されたルールすら超越して上を目指すか、お前の理想に近いのはどっちだ!」

 そんなこと……。

「俺と友達になれば、きっとお前の理想に限りなく近付けてやれる。俺に任せてくれればいい。絶対に失望はさせない。必ず、お前の力になってやる。な? いいだろ?」

 ……まあ、友達になるくらいなら。

 差し出された手を握り返すと、手汗がすごくて気持ち悪かった。


 ◇


「──というのが、お父さんとの馴れ初めです」

「バカじゃないの?」

 つい思ったことを口にしてしまった。お母さんは年不相応にコミカルな憤りを見せ、

「バカとはなんだこの野郎! 娘がどうしてもって言うから、嬉し恥ずかし思い出話を語ってやったというのに!」

「別の意味で恥ずかしいよ……」

「そんなこと言って、本当は羨ましいんでしょ? お父さん、向こう二年は日本に帰って来れないからねー。ね、寂しい? お父さんいなくて寂しい? お母さんばっかリアルな思い出持ってて羨ましい?」

「ウッッザ……」

「あー、初めて行ったマウスランド、楽しかったなあー。大学の時に行った北海道旅行も素敵だったし、福井にカニ食べに行った時はつい皇室献上品頼んじゃったもんね。あれは人生で一番美味かった……」

 つらつらと夢現ゆめうつつになっている母を見て、紛れもなくその娘たる私もまた、この人に似てしまったのだなあとつくづく思う。実際寂しいし、羨ましいから。

「……はぁ。私、春休みにお父さんのとこ行こうかな」

「え! 何それ、お母さんも行く! 行きたい!」

「嫌だね。お母さんは思い出の中のお父さんと永遠に青春してなよ」

「なんで〜、ヤダヤダ私も本物のお父さんに会いたい! カバンの中に入ってでもついてくから!」

「……はぁ」

 難儀な親を持ったものだと心底思う。人は配られたカードを受け入れるしかないのだ。親に関しては特に。

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パングロスの誘惑 山崎山 @yamazaki_yama

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