廃材アーティスト

「演出ですよ」

そう男は答えた。彼は今盛んにメディアに注目されている現代アーティストの一人だ。

彼の創作活動が表舞台に現れたきっかけは、今から10年前に遡る。


ある日突然、ゴミ集積場に一つのオブジェが出現した。


それは自転車のフレーム、アルミサッシ、料理用のザル、変形した換気ダクト、その他「ガラクタ」という言葉で括られるあらゆるもので構成されていた。

全長約2メートル、人体を模したそれは、ある部分はバイプやチューブで持って躍動する筋肉を写実的に写し取り、またある部分ではカラフルな樹脂が大胆に用いられ、血の沸き立つような高揚が表現されていた。

それは見るものの美的センスを問わず感銘を覚えさせるのに十分な造形的説得力に満ちていたが、それが突如ゴミ山の中に出現した経緯を答えられるものはいなかった。

実のところ、「或る日突然出現した」という表現は正しくなく、それはおおよそ一ヶ月をかけて徐々に組み上げられたものであった。

しかしそれはあまりにも「ゴミ」然としていたために、完成まで誰の目にもとまることはなかったのである。


それが「作品」となったのは、その頭に当たる位置に、どこからか持ってこられた大きな高圧インバーターが据えられたその時である。

その規格品のインバータの放熱フィンやナットの具合が、シミュラクラ現象によって人の顔に見えることに気づいた瞬間、そこに接続された単にうねるだけに見えたパイプやチューブは、肩や肘、そして手首とその先に掴まれた剣として見た者の脳内で分解され、無造作に張り巡らされた赤や青の廃コードは、さながら静脈や動脈として秩序だって理解された。


それはゴミ山の中に馴染むよう巧妙に配置されており、紛れもない人工物で構成されているにも関わらず、気を抜けばそのまま背景に溶け込んでしまうような「自然さ」を同時に備えていた。

しかし、一度その造形物を「人体」として認識してしまうと、他に無造作に捨て置かれた有象無象のゴミの中にすら、有機的な躍動を感じ取ってしまうようになるような、人と無機物の境を危うくするような作品だったのである。


作者はまもなく見つかった。

彼はそのゴミ山の中に建てられた小屋に不法入居したホームレスの一人だった。

「暇つぶしですよ」

年の頃は50代半ば、彼がこの暮らしに行き着いたのは20年ほど前からだという。

芸術家家庭に生まれ、そのまま当然のように美大へ進学、その後創作に行き詰まり中退、アルバイトなどを転々としつつ、いつの間にかココに流れ着いた。

再三に渡る金の無心のために実家からはとうに縁を切られ、仕方なくゴミ山の中から廃材を売っては生計を立てている。


居住もゴミの売買もいずれも不法ではあるが、ゴミ山の土地の持ち主はかつてこの周辺の土地を買い漁り、その後管理もせずに放置している外国人であった。ゴミの出どころも、コレ幸いにと産業廃棄物を投棄していく業者や、処分に困った家電や車などを捨てていく市民であるため、苦情を訴えるものもいなかったのである。


私有地ともあり、自治体の手も入りづらいその廃棄物の山の中で彼の廃材アートは生まれた。

ゴミの中でも特に使い道のないものを見繕い、組み合わせてオブジェにする。

「暇つぶし」と彼はいうが、「そこに有る」ことに気づいてしまうと、彼の住処の周囲には彼の手による「作品」がいたるところに転がっていた。

「要らないものから芸術品が生まれるのなら、要らない自分にもなにか使い道があると思える」

彼はメディアに対するインタビューで、毎回そのようなことを語っている。


今や彼の作品にはコンスタントに百万超の値段がつくが、彼はは未だ、10年来寝起きしたゴミ集積場の小屋に住んでいる。

作品を売って得た金の殆どを慈善団体への寄付に回しているのだという。

「自分にはこういう暮らしがちょうどいいんです」

そう言って朗らかに笑う彼は、年にしては皺の濃く走った相貌もあいまって、ある種仙人然とした雰囲気をたたえていた。

作品を売って得た金のほぼ唯一の使い道というのが、小屋周辺の土地を買い取って、居住を「合法」にしたこと、というのだから筋金入りである。

「アートの素材」という大義名分を得た産廃業者はいよいよもって投棄を重ね、彼のゴミ山は膨れ上がっていった。


私もまた、彼の作品に惹き込まれた一人である。

インタビューに入る前のアイスブレイクがてら、私が以下に彼の作品に、そして生き様そのものに感銘を受けたかを語ると、少々熱がこもりすぎた私の言葉を遮って彼は言った。


「演出ですよ。」

慌ててレコーダーのスイッチを入れようとする私を制止しながら、彼は語る。

汗と垢と油にまみれた手で、ゴミ山のゴミの中からより集めたガラクタ中のガラクタでもって作った作品でなければ、いよいよ持ってそれらはゴミでしか無いのだ、と。

悪臭の中から美しいものが生み出されたという「物語」こそが、自身の作品の最大の付加価値であると彼は心底信じ切っていた。


素人目に見ても彼の作品は、造形としての説得力に満ちている。

生来のセンスによって捉えられた人体の躍動を切り取り、それを形作る最適の素材を、彼の生業と暮らしによって培われた目によって選りだし、組み上げる。

10余年の創作活動でいよいよ磨かれたその業から生み出される作品は、少なくとも彼の言うような「物語」に頼らずとも芸術性と呼ばれうるものを十二分に備えているように見える。

そんな私の率直な感想も、彼の耳には届かなかった。


そういった甘言を持ちかけるものは、しかし決して彼の作品が売れなくなる事、芸術家としての在り方が失われることへの責任は取らないだろう。

そのようなことを朗らかに言うのである。

しかし演出というのならなぜそのような「種明かし」を私にしてしまうのか。


「そろそろ辞め時かと思いまして」


コレまで得てきた利益を運用し、生涯遊んで暮らせるだけの目処がようやく立ったのだという。今まで寄付を行ってきた団体も基本的に彼の息がかかっており、後にそれら複数の団体の理事となり、役員報酬として回収するつもりであったらしい。


世間のイメージを覆す俗な実態であるが、当人としては切実に違いない。

根本的に自身の芸術的資質に自信の持てないまま、いつ失うともしれない名声をつなぎとめるために暮らしを偽る日々。

余人にはその心境を察することはできないが、しかし彼はやり遂げたのである。

彼はその仙人のような相貌に走る皺をいよいよ深くしつつ、くしゃりと笑った。


「これからは、世界を見て回るつもりです。余生はゴミなんかでなく美しいものを見て過ごしたい。」


インタビューのひと月後、彼は死亡した。

急性の心不全であったという。

彼の残した遺産は、節税のために設立されていた法人の管理の下、若い芸術家支援のための基金となっている。

彼は、自身の思惑とは裏腹に、生涯その名を傷つけることはなく逝った。


結局私も、彼の最後のインタビューを公開することはなかった。彼を気遣ってということではない。こんにちの彼の名声からすればそれはスキャンダルとも呼べないだろう。

それでも「それを公表した」という行為自体が私のパブリックイメージを損ねることを危惧したのである。打算でもって打算を守る形となったが、こんな私の心理も彼は見抜いた上で打ち明けてくれたのであろうか。


彼が住んでいた小屋とその周辺のゴミ山は今、彼とその作品を称える記念館となっている。

代表作である最初のオブジェは、最も目立つ場所に展示され、破損や変形を防ぐために増設されたナットとワイヤーで厳重に固定されていた。

私は、観覧コースとして整備されたかつてのゴミ山の間を歩きながら、「演出ですよ」と語る彼の顔を思い出していた。

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