第11話 対外政策とNATO
2001年9・11のアメリカ同時多発テロ事件では、プーチンはアメリカとの協調姿勢を見せ、アメリカのアフガン侵攻にも理解を示した。当時、チェチェン紛争でのテロ問題を抱えていたおり、アメリカと協調して国際的なテロ包囲網の構築を図ろうとした。それもあるだろうが、大統領になってまだ新しかったプーチンは、この機会にアメリカ接近を考えたと思える。
しかし、大量破壊兵器保持を理由とした2003年の対イラク戦争ではドイツメルケルと共に反対した(他にフランス・中国も反対、アメリカは国連安保理の合意をえられないままイギリス等との有志連合で開戦)。メルケルはまだ大量破壊兵器が確認されていないとした。プーチンは「独裁という理由だけで戦争(介入)を始められたら、国の主権なんてあったものではない。しかも独裁か否かはアメリカの判断次第である」と云うのが理由である。
一時、G8とかで協調時代があった。沖縄サミットではプーチンは来日したのではなかったか?次第にアメリカの、単独行動、一極支配に反発するようになっていく。特にNATOの東方拡大には以前から懸念を示し反対していた。
プーチンが約束違反だとよく言うのは、1990年、当時のアメリカ国務長官ベイカーがソ連のゴルバチョフ書記長に対して、ソ連がドイツ再統一を認めるのであれば、NATOは東側に1インチも進まない、と語っていたとする。確かに語ったであろうが、条約という文章ではない。また、その時はソ連であってロシアではないとも言い逃れが出来る。
冷戦の終結で、東側のワルシャワ条約機構は解散した。北太平洋軍事同盟NATOもその存在理由を無くした。事実、廃止の意見・見解も多く出された。
ここからは、私の見方であるが、当時アメリカはNATOを終わらす筈はないと思った。この軍事同盟はアメリカの世界戦略の柱である。加盟国のどこにもアメリカ軍の基地が置けるのである、アメリカに取って、これほど便利で心強いものはない。欧州では独自の欧州軍事同盟が考えられた。冷戦が終結したとはいえ、ロシアは核大国である。アメリカを抜いた核戦力はロシアの比ではない(当時で仏・英が持つが露の十分の一ぐらいであるとされている)。対抗するにはドイツの核武装しかない。それは欧州諸国に出来ないことで、結局アメリカの核の傘に頼るしかない。核廃絶と云っても寄らば核の傘かい?
そこで、NATOは新たな存在理由を見つけることになる。「新戦略概念(1991年)」として、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げた。早速これを試す時が来た。1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナにおける内戦である。冷戦終結後のユーゴスラビア解体過程での民族対立である。民族浄化を伴なう凄惨なものであった。1995年よりNATOは軍事的な介入と国際連合による停戦監視に参加した。続いて1999年のコソボ紛争ではセルビアに対し、人道支援の見地からNATO初の軍事行動となった空爆を行い、国連決議なしでの軍事行動には、アメリカ主導で行われた印象を国際社会に与えた。このコソボ紛争ではエリツインがNATOの介入に激しく反対した。連邦域内に民族問題を抱えるロシアとしては介入を嫌ったのである。
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