第9話 エリツインの経済改革


 抵抗勢力が議会多数を占める中で、資本主義経済(市場化)への転換、エリツインの『ショック療法』と称される経済改革が行われたのである。

 社会主義経済システムは非効率的であると宣言された。私も社会主義経済の失敗を少し勉強したが、「隅々まで生産から消費まで計画するのはどだい無理だ」と、当り前だのクッラカーではあるがそう結論した。景気変動、恐慌という資本主義の無駄を防ぐための計画経済は逆に途方もない無駄を生んだのである。私欲の見えざる手に任す領域(市場)を基本とする他はないと思った。重工業化には一時成功したが、ロケットや人工衛星は作れても、まともな自動車が作れない生産システムがいい筈はない。


 今にして思う、20世紀はある意味、社会主義の時代ではなかったかと・・。日露戦争を、ロシアの敗北と予見し、やがてこの戦争がロシア帝政の崩壊に繋がるだろうと、革命を!レーニンのロシア革命を熱烈に支持した女性、ローザル・クセンブルク。彼女は第1次大戦の戦争、参戦に賛成したドイツ社会民主党(SPD)に、労働者同志を殺し合うだけの戦争と、「戦争反対!」を唱えた女性党員(SPD左派)であった。スパルタクス団(ドイツ共産党の前身)を起ち上げ、権力側によって虐殺された。レーニンの革命を支持するも、前衛一党独裁主義には「全ての反対を封じるのは大衆の革命的エネルギーを削ぐことになりはしないか、即ち個人独裁に」と、警告を発した。

 ロシア革命はフランス革命に並ぶ歴史的革命であると私は思う。社会主義は大きな歴史的実験として幕を閉じた。革命ではなく、崩壊という形で・・今また、根本的変革が求められたのである。激動のロシア、世界は冷戦の終結を、平和の到来と喜んだ。果たして・・


 エリツインは急進改革論者(経済学者)エゴール・ガイダルを首相代行(エリツインは首相も兼務)に起用して、IMFらの国際機関、時には米国財務省のメンバーらのアドバイスを取り入れてプランを実行した。改革は一挙に、ショックは大きいだろうが、その方が回復も早いとされた。貿易の自由化、価格の自由化、国営企業の民営化等を立て続けに行った。結果、激しいインフレを生み、品薄、高い失業率が特徴となった。

 1990年代を通じてロシアのGDPは半分近くまで減少したとされている。アメリカの大恐慌時代、大戦後のドイツの状態に匹敵すると云う経済学者もいる。エリツインの10年は、暮らしには本当に酷い時代だった。それでも外国に行こうと思えば行けた(お金があればだが)。政府批判も遠慮なく口に出来た。

 ロシア革命、列強の干渉戦争、赤軍・白軍の内戦、大祖国戦争(対独戦争)、スターリンの大粛清の時代、そしてソ連の崩壊、僅か80余年の間に起きたことである。激動の時代を耐え抜く強さを持ったロシア人、国民性を単に「民主」「人権」という西側基準だけで理解しようとするのは無理があるように思われる。「情報がコントロールされて騙されている」はその一面はあるにしても、根底に於いて余りにもロシア国民を馬鹿にした言葉と思う。


 これらショック療法の結果は、旧体制下で保護されていた年金生活者や社会的弱者層を直撃した。また旧体制で特別な地位を与えられていた科学者、学者、警察や公務員らもその経済的特権をはく奪された。彼らは旧体制を否定しつつも、旧保守共産党を支持した。複数政党制が採用されたといえ、全国、地方隅々まで組織を持っているのは共産党だけであった。改革派の政党はペテルブルクやモスクワの大都市で組織を持つ程度であった。これらは改革を遅らせた。

 利益を享受したのは、変わり身の早い、目先のきく一部官僚、地方政治ボス、二足三文の国有財産払い下げ、民営化で莫大な財をなした彼らは新興財閥(オルガルヒ)と呼ばれた。価格の統制が外されたが物資不足は、地下経済(闇経済)が蔓延、その中で利得を吸い上げたのはマフィア達であった。ロシア経済を語る時、オルガルヒとマフィアを抜きで語れない時期が一時存在した。『危機と人類』の著者は「国家予算を正常化する試みと、息絶え絶えの国有企業に新規の補助金を出すという救済策を行ったり来たりしていた」と記している。国家予算の正常化とはIMFによる緊縮財政の強要である。混乱した経済は緊縮でますます萎縮する。

 1998年、アジア金融危機の影響をロシアはモロに受けて、遂にデホルト(債務超過)に至りIMFの緊急支援を仰ぐに至る。国家財政の破綻は特に徴税能力の欠如(徴収する側、払う側)を物語る。資本欠如の状態を改善するには海外からの資本導入が必要であったが、エリツイン時代の政治的不安定さがこれを拒んだ。安定と秩序をもたらし、これら二つをなしたのはプーチンであった。


 この点、中国の鄧小平は政治改革より改革開放経済を優先した。私は、いつかは中国は天安門事件を総括する時が必要と考えるが、鄧小平は若い学生達の民主化運動に、「我が国ではつい先日まで赤い手帳を持った若い者達(紅衛兵)が闊歩した、私はそれに懲りている」と語った心情は一理ある。同時期、ゴルバチョフが政治改革から始めたのは順序が違うように鄧小平は見ていた(共産党をいじってはいけないと云っている)。その改革開放も、深圳に代表されるような経済特区の実験を重ねて、慎重に進めた。その辺がゴルバチョフ・エリツインのロシアと違うところであった。「ネズミを獲る猫がいい猫」「先に金持ちになれる方からなればいい」とか、庶民に分かるように語る鄧小平の老練さが光る。それと華僑というソフトパワーが中国には存在した。


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