第7話 プーチンとチェチェン紛争

 彼を首相から大統領に押し上げたチェチェン紛争に触れてみる。

91年ロシア連邦内のチェチェン共和国が独立を宣言、これを認めないロシア連邦軍と独立派武装勢力との紛争であり、94 年から 96 年の第 1 次紛争と、99 年以降のプーチンが首相になった時の第2次紛争に分かれる。

 ソ連崩壊過程で連邦内の共和国は独立して行った。ベラルシー、ウクライナ等はそうである。しかし、チェチェン共和国はロシア連邦内の共和国である。エリツインはこれを認めなかった。認めるとコーカサス地方の他の共和国に波及するとしたのである。軍の侵攻には議会野党も、改革派も反対した。押し切って軍事作戦を実行したのであるが、ソ連崩壊後の混乱と軍事予算の削減により弱体化しており、その脆弱ぶりを露呈することとなった。さらにグロズヌイ(チェチェン共和国の首都)への空爆は多数の民間人死傷者を出して国際社会から非難が集中し、イスラーム諸国から多数のムジャーヒディーン(ジハードを実行する人たちの意)と呼ばれる兵が参集する結果となった。

 首相のチェルノムイルジンの尽力で97年、5年間の停戦という調停が成り立った。エリツインの人気は地に落ちたものとなった。

 

 しかしチェチェンのある北コーカサス地方(カスピ海に面し油田がある)に於いては、ロシア側の穏健派と独立過激派とが対立するようになっていた。99年同時期にモスクワではチェチェン過激組織によると見られる、高層アパートが爆破されるテロ事件が連続して発生した(ロシア国内3都市で発生し、300人近い死者を出した)。これを受けて、プーチンはロシア軍の派兵を決める。

テロ事件の時の記者会見で言い放ったこの言葉は有名である。「我々はどこでもテロリストを追跡する。空港なら空港で。こう言っちゃ悪いが、便所にいても捕まえて、やつらをぶち殺してやる。それで問題は終わりだ」。便所にいてもぶち殺すという、容赦なさや下品さが話題になったのだが、素で語るところがロシアの大衆の心を掴んだのである。

 

 プーチンは世界世論や国内批判派には一切構わず、徹底した戦いを行った。エリツインは自分の都合によって首相をコロコロ代えていた。プーチンは「持って半年かも分からない。それなら思い切って徹底したことをやる、と決めた」と後に語っている。

 これによって次期大統領はプーチンに決まった。任期途中ではあったがエリツインは国を任せられる人物として次期大統領候補にプーチンを指名した。ロシア国民の人気は沸騰し、対抗馬と目されたプリマコフは議会選挙でプーチン与党「統一」が躍進したのを見て、大統領選を待たず、プーチン支持に回って与党「統一」に合流した。

抑え込めば、反発が起きる。この後も過激派によるテロ事件は連発した。主だったものとして、2002年、モスクワ劇場占拠事件 - 169人死亡、2004年北オセチア共和国ベスラン学校占拠事件 - 322人死亡(内186人が子供)等が挙げられる。モスクワ劇場事件ではロシア連邦保安庁(FSB)の特殊部隊が突入。その際、非致死性ガスを使用した。劇場内にいた大半はこのガスによって数秒で昏倒し、武装勢力側は全員射殺された。特殊部隊側がどのようなガスを使用したかを救急隊に隠したため、対処が間違って人質にされた人たちは多数窒息死した。

 ベスラン事件について述べたプーチンの言葉は前記した通りである。プーチンの優先度は秩序と統一、しかる後に民主があるというものである。

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