第2話 祖国の喪失と強者崇拝
ヒットラーの場合
プーチンとヒットラーに共通項を見る。独裁者としての二人ではない。ヒットラーは狂信者であるが、プーチンは権威主義的な政治手法ではあるが狂信者ではない。冷静な現実主義の面を多く持ち合わせて来た。祖国の喪失体験がダブるのだ。それともう一つ、どちらも強者崇拝!
私は失敗した革命、ドイツ革命に興味を持って(第一次大戦の敗戦でツァリーは倒されたが、ロシア革命に続くことが出来なかった)、レーニンのロシア革命からソ連の崩壊まで、ドイツ革命からナチスの登場まで、『戦争と革命の時代』を書いた。その中でヒットラーの『我が闘争』を読んだ。プーチンと対比する上でも面白いので引用する(『』内は我が闘争中の文である)
『戦争のさなかにいるのに、銃後で革命の噂。軍需工場でストライキ、何事ぞ!』『ホーヘンツォルレン家が王冠を冠らなくなったことや、祖国が今や「共和国」となったことを聞いて涙した。(俺は何のために戦ったのだとヒットラー)そして銃後から一突きして敗北させた』これが、『背後からの一突き』論で、ヒトラーだけでなく、従軍した愛国・民族主義の兵士の多くが感じたところだった。
『祖国はどうなるのであろうか?古いドイツはかくまで無価値なものであろうか。我々は我々の歴史に対して義務を負っているのであろうか。このような事実をどうして未来へ引き渡すことができようか』と、そして、背後から一突きした彼らを「堕落した犯人奴!」と罵倒し、マルクス主義者に復讐を誓い、政治家になる決心をしたのである。マルクス主義者とは帝政を倒した当時のドイツ社会民主党(SPD)、ナチスを作ってからはドイツ共産党である。
ヒットラーの夢は画家になることであった。画家を目指して、ウイーンに出て美術学校を受験するが失敗に終わる。次に建築家を目指す。母クララが亡くなったのはショックだったようで、両親の少しの遺産と恩給とでしばらくは定職につかず放浪生活をする。ウイーン時代については自身の貧しさ体験を書き、ウイーンについてはあまりよく書いていない。
ドイツ南部のミュンヘンに移住しドイツ国籍を得る。1914年勃発した第一次大戦に志願し、西部戦線に配属され伝令兵として働く。大戦末期の1918年10月、ヒトラーは敵軍のマスタードガスによる化学兵器攻撃に巻き込まれて視力を一時的に失い、野戦病院に搬送され、伍長で敗戦を迎えた。退院したあとも部隊にしばらくとどまり、軍の情報将校の目にとまり、諜報員として採用される。潜入調査に必要な教養のため、大学でゴットフリート・フェーダーなどの知識人の専門的な講義を聴く機会を与えられることになる。
『私はその時まで資本主義とはいかなるものか殆ど知らなかった』と、述べている。『かくて、私はユダヤ人カール・マルクスの仕事の真義を知り、彼の資本論を理解した』と書き(ホンマかいな?)、『マルクス主義をユダヤ資本の国際資本の乗っ取り』と理解し、敵は共産主義者=ユダヤ資本と結論づける。
『かつての英雄的なプロシャの一部たる大ドイツ国家が、かくまで病弱になったのは何故であるか?それは、毒薬を注射されたからではなかったか』とヒットラーは考えた。
勉強した結果、その注射とはマルクス主義であるとわかった⇒ドイツの将来はこれを殲滅することにかかっている。⇒マルクスも、マルクス主義者もユダヤ人である。⇒ユダヤ人も殲滅対象になる⇒ロシアは今やボルシェビキ(マルクス主義)の国である⇒殲滅対象。
と、至って単純明快な『一つの敵集約理論』を作り上げる。
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