オモイをハセル。



 朝が来て、また夜が来る。


 暗い暗い部屋の中。

 埃まみれの部屋の中。

 カーテンが閉じられた部屋の中で、それを幾度繰り返したことだろう。



「……」



 寝て、起きて、また夜が来る。

 テレビをつけては消して、スマホを開いては消して、PCを開いては消す。なにも楽しくなかった。完全に飽きてしまっていた。


 時間だけが流れている。

 あの日から、ずっと、死んだように眠っている。

 布団を被って、ベッドから動かずに、天井ばかりを眺めている。


 何度、願っても、ミライに会えることはできなかった。

 あの異世界にもう一度戻れることは叶わなかった。


 普段通りの日常が、ただ横たわっているだけ。



「……」



 最近はあれこれと考えごとをするようになった。

 七年間ずっと現実から目を逸らし続けてきて、初めていまの自分がなんなのかを、考えるようになっていた。


 勇者だった男はいま、ニートになっている。

 世界に必要とされた男は、いま世間には必要とされていない。

 ミライとの将来を描いていた俺は、二十歳を過ぎても親の脛を齧るだけで自立すらもしていない、単なるダメ人間となっている。


 果たして、このままでいいのだろうか。


 答えの出ない悩みを抱えながら、ただぼんやりと毎日を消費し続けた。


 × × ×



『新年度を迎えられて、各地で入社式が行われました。こちらは大手××企業の入社式会場の模様です。××への応募率はここ数年で最も高く、2000年以降では初の四桁を叩き出していました。次は新元号に関してですが……』



 テレビを消す。

 昨日からそんなニュースばかりが報じられている。


 閉めっぱなしのカーテンを開けて、窓の外を眺めると、家の近所に桜が咲いているのが見えた。


 窓を開けて、風を入れる。

 いつの間にか、四月がやって来ていた。



「……」



 風を浴びていると、頭がスッキリしてくる。

 太陽の光を浴びると、目が冴えるし、なんだかやる気が出てくるような気がするから。


 最近になって、早起きをするようになった。

 それだけではない。

 夜に出歩くのをやめて、昼間には散歩をするようにもなった。


 × × ×


 ぶらぶらと歩きながら、街の風景を眺める。

 小学校は今日から入学式らしくて、たくさんの親御さんが集まっていた。

 校門には看板も立てかけられている。


 子供の頃、俺はどんな夢を描いたのだろう。

 友達百人欲しかったのかな。

 富士山でおにぎりを食べたかったのかな。

 運動や勉強で一番になりたかったのかな。

 それとも、クラスで人気者になりたかったのかな。


 あんまり覚えてはいないなぁ。


 そもそも夢ってなんなんだろう?

 もしも、願いをなんでも叶えてくれるドラゴンがいたとしたら、俺はどんなことを願うのかな?



 総理大臣?

 ーーいや、なんかしんどそうだ。


 スポーツ選手?

 ーーうーん、スポーツは得意じゃないな。


 大金持ち?

 ーーいいね、いいね。


 カプリ島に住む?

 ーーどこだよ、そこ。


 世界一の大剣豪?

 ーーなんだ、そりゃ。


 それか海賊王?

 ーー漫画の読みすぎだろ。



 自宅に戻って、自室の机に向かう。

 ノートを開いて、自分がなにをやりたいのかを改めて考えてみることにした。


 実現不可能とか、できないとかじゃなくて、なにがやりたいのか、をだ。


 世の中にはたくさんの仕事があって、そこに優劣はない。

 向き、不向きがあるだけだ。


 俺にはなにが向いているのだろう?

 サラリーマンとか企業に勤めるのはあまり向いてない気もするなぁ。

 他人とコミュニケーションを取るよりも、一人で黙々と作業をする仕事の方が向いてそうだなぁ。

 集団よりも個人向きかな?


 うーん、わからない。

 いまから人生をやり直せるのかなぁ。



 黙々とただ自分に向き合うことをはじめた。

 なにがしたいのか、答えはあまり出てこなかった。

 わからないと思考停止して、逃げるのがオチだったから必死に考えたけど、ノートには『長期連載の漫画を完結まで見届ける』『キャバに行く』としか書いていなくて、もうつくづく呆れてしまって、すぐにページを閉じた。


 スマホゲームでもやろうかな、と作業を後回しにしようとして、ふとなにを思ったのか、俺は部屋の勉強机の棚を開いていた。


 そこには学生時代の思い出が詰まっていた。

 捨てきれていない教科書をパラパラとめくりながら、机の棚を次から次へと開いていく。

 懐かしい思い出に浸りながら、ガキの頃の卒業アルバムを眺めていると、あるモノを発見した。


 それは十年以上前の俺が書いたーー夢についての作文だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


  ぼくのゆめ。


     二ねん三くみ はせがわ しょう


ぼくのゆめは、ゆうしゃになることです。ゆうしゃになって、世界をすくいたいです。どうしてかというと、ゆうしゃはまほうがつかえて、かっこいいからです。ゆうしゃになって、どらごんをたくさん仲まにしたいです。


まほうをつかえるようになったら、どうぶつといっぱいおしゃべりをしたいです。なかでもゴリラとお話がしたいです。どうしてかというと、ゴリラはつよいからです。


それともうひとつゆめがあります。


それは《びじんの女の子》とけっこんすることです。ゆうしゃになれなかったとしても、《びじんの女の子》とけっこんできるなら、それでもいいです。でもやっぱり、ゆうしゃになって《びじんの女の子》とけっこんしたいです。そっちの方がかっこいいからです。


こんなことをいったら、笑われるかもしれないけど、ぼくのほんとうのほんとうのゆめです。いつかぜったいにかなえてみせます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「……アホだわ、こいつ」



 幼い頃に書いた自分の作文を読みながら、口元を綻ばせる。

 なにが勇者だよ。そんなのなれると思ってるのか? 本気でなれると思っているとしたら、お前はバカだぞーーと言いたくなった。


 子供の頃は純粋で、なんにでもなれると思っていた。

 歳を重ねるごとに、自分の限界が見えてきて、少しずつ夢は小さくなっていく。

 このときの俺は、本気でこの夢を実現させたかったのだろう。



「……」



 ふと、気になったことがあって、もう一度だけ読み直した。


 やりたいことは『勇者になって世界を救う』『魔法を使えるようになって、ドラゴンを仲間にする』『ゴリラとお話をする』


 ーーすべて、すべて、俺が異世界で成してきたことだった。


 《びじんの女の子》との結婚は目前で達成できずに終わったけど、ほとんどすべて成功していた。


 俺がガキの頃に願った夢はーー間違いなく叶っていた。



「……まさか」



 ふと、思い出す。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー


・《重要》貴方に見合う分だけの報酬をお渡しします。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 派遣勇者のチラシには確かにそう書かれていた。


 もしかして、これが報酬なのか……?

 ガキの頃に抱いた夢を実現させるためだけに、俺を異世界に呼んだのか?



『ハセガワ様は自らの力で世界を変えたいと思いますか?』



 あのとき、そう聞かれて、俺は確かに答えたのだ。



『えっと、そうっすね。変えれるもんなら、変えてみたいですよ〜。精神年齢はお子ちゃまなんで、ヒーロー願望はバリバリありまっす。任せてください! 俺の力でクソみてぇな世界を変えてやりますよ!』



『その言葉に嘘偽りはございませんか』



『勿論ですとも!!』



 くだらない質問だと思った。

 でも、俺は確かに『イエス』と答えた。自分の道を自分で決めたのだ。



 思えば、あっちの世界では奇妙なことばっかりだった。

 異世界だからと許容していたけど、やけに俺に都合のいい世界だと思った。


 それはーー俺がそう望んだからなのか?



『お前の、これからの活躍を祈ってる』



『君ィなら、大丈夫だよ。カケル。会えなくなっても、ボクたちは友達だ。ィつも、心では繋がってィるよ。これから大変かもしれなィけれど、遠くへィっても頑張ってね』



『あっちの世界に戻っても、元気でやってね』



 わからない。わからない。わからない。


 でも、みんな俺の味方だった。


 クズみたいな俺を、闇の中から救ってくれた。



「……っ」



 それなのに、どうして俺は。


 どうして、俺はーーここで怠惰を貪っている。


 みんなが励まして、みんなが背中を押して、ミライなんかは俺の想いを押し殺して、こっちに送り出してくれたのに、いつまで同じところで立ち止まっているつもりなのか。


 自分は何者にでもなれるというのに、やる前から諦めて、傷つくのを恐れて、勝負するレールから降りた。

 働くことなんて馬鹿馬鹿しいと言い訳を作って、誰かのせいにばかりして、現実逃避を繰り返してきた。


 異世界で勇者になる?


 ああ、なったぞ。


 そして、この地に帰ってきたんだ。


 恥ずべきことなんてなにもない。俺はやってのけたんだから。


 昔の自分が、まだガキだった俺が、頭の中で描いていたバカみたいな夢を、本当に実現させたんだから。

 カッコいい自分になれたんだから。


 だったら、いつまで立ち止まるつもりなんだ? 長谷川 翔。


 いちいち考えている暇があったら、行動しろよ。

 そうしてきたじゃないか。

 そうやってミライと一緒に、過ごしてきたんじゃないか。


 もう一人の俺は、自分の手で世界を変えたぞ。

 ハセ・カケルはお前ができなかったことを成し遂げて、帰ってきたんだぞ。


 ならば、長谷川 翔は、どうする?


 何もできないことを嘆き、いつまでもそうやって、ココで死んでいくのか?


 生きている意味がないのなら、自分で見つけていくしかないだろう。



「……くそッ」



 拳をギュッと握って、涙を堪える。


 随分と長く時間を無駄にした。


 この七年の歳月にはなんの意味もない。親に迷惑をかけ続けて、ラクをしてきた、ただそれだけだ。


 俺にはやるべきことがあったはずだ。


 カッコいい俺が、もう一人の俺が、ハセ・カケルができなかったことを、今の俺がやらないといけない。

 俺の人生は、俺自身が切り開いていくんだ。



「……ありがとう、エド。もう死ぬなんてやめだ。ミライのために頑張ってみせるから」



 アルバムを机に戻して、目を閉じる。



 季節は春、始めるなら今しかない。



 あれやこれやと考えても仕方ない。とりあえずはお金だ。お金がないといけない。


 散髪をするのにも、履歴書の写真を撮るのにも、好きな飯を食うのにも、金がいる。


 だったら、決着をつけなくては。



 ずっと大嫌いだったーーあのクソ親父と。



 ※ ※ ※ ※ ※


 親父は俺がリビングにやって来るのをみるなり、驚いたように目を丸くしていた。お互いになんて声をかければいいのかわからなくて、しばらくは新聞で顔を隠していた。


 母ちゃんがカレーを作ってくれたので、三人でそれを食べた。

 こうやって家族揃って食事を共にするのは、何年振りだろうか。

 誰かと一緒に食べるご飯がこんなにも温かいものなんだって、今になって気付かされた。


「話がある」と切り出すと、親父は目を瞑って、黙って聞いてくれた。


 俺はそこで全てを話した。

 七年分の想いをきちんと声に出して伝えた。


 お見舞いに行けなかったこと、ずっと憎んでいたこと、ニートを辞めたいと思ったこと、一人暮らしをしたいと思ったこと、お金が必要なことなど、ちゃんと隠さずに喋った。



「……色々と迷惑をかけて、本当にごめんなさい」



 最後に謝罪をしたとき、母ちゃんは泣いていた。

 俺も泣いていた。

 親父は新聞で顔を隠しながら「今日のカレーは辛かったなぁ……」と言い訳をして、鼻を啜っていた。

 口下手で、不器用な人だなと、思った。


 それから母ちゃんがお風呂に入ったので、二人でお酒を飲みながら、昔話をした。


 俺が小さかった頃の話が中心だった。

 今まで照れ臭くて、あまり話せなかったことも、酒の力を借りていたら、すんなりと話すことができた。


 親父は俺に強く羽ばたけるような男になってほしくて『翔』と名付けたそうだった。


 翔には『自由にのびのびと成長してほしい』『高い目標にも負けずに努力してほしい』『希望を持ってたくましく毎日を過ごしてほしい』という意味が込められていたそうだ。


 たくましくて、カッコいい、行動力のあるヒーローみたいになって欲しいから名付けたと、親父は目を輝かせて自慢げに喋っていた。


 そうやって腹を割って話したあと、親父は黙って俺に封筒を手渡してきた。

 中には数枚の札束が入っていた。


 身体を壊して、ロクに働けないはずの親父がくれたお金は、何よりも重たかった。


 初めてその夜、俺は両親に感謝をした。


 ※ ※ ※ ※ ※


 七年もの間、俺はずっと孤独だった。


 友達もおらず、両親とも話さずに、部屋からほとんど出ることもなく、いっそここで死んでやろうとばかり思っていた。


 でも、俺は生きている。

 これから先の未来に何があるかはわからない。多分、普通の人以上に苦労することになるだろう。


 だけど、もう逃げたりすることはない。

 どれだけ絶望が襲いかかってきたとしても、これ以上のどん底はないのだから。

 深い暗闇の地底から、後は這い上がるだけだ。


 一発逆転を図るのは難しい。

 だから、ゆっくりと頑張ることにする。

 ゆっくり、ゆっくりと。


 未来に羽ばたいていこうと思う。


 もちろん、不安がないとまでは言わない。

 でも、俺は大丈夫だ。


 だって、みんながついているんだから。


 ミライもエドも、おっさんも、ドラゴンたちも、みんなみんなあの空の向こうで見守ってくれている。

 だからきっと大丈夫だ。



「もう行くの?」


「おう」



 袖に手を通していると、母ちゃんが話かけてきた。

 クリーニングに掛けられてスーツは、ビシッと決まっていて、鏡越しに見る俺はどこかカッコよく見えた。


 散髪もしたし、ヒゲも剃った。

 髪も整えて、朝食も食べた。


 あとは出発するだけ、だ。



「あ、そうだ。金の玉……」



 内ポケットに入れていた玉がないことに気付く。

 どこに行ってしまったのだろうか。

 クリーニングに出したから、そのまま洗濯されてしまったのかな。


 残念、机の引き出しに入れておこうと思ったのに。



「よし」



 ふぅと息を吐いて、階段を降り、玄関のドアまで向かう。



「ほんじゃ、行ってくる」


「気をつけてね。いってらっしゃい」



 手を振って、外へと出る。


 春の陽気な日差しを掌を遮って、俺は歩き出す。



 いま、俺には夢がある。


 一人暮らしをするとか、そういうのもあるけど、一番の夢は《美人の女の子と結婚すること》だ。



 ……アホみてぇだろ? 昔からそうなんだ。



 馬鹿げたくだらない夢かも知れないけど、でも、本気で叶えてやりたいと思っている。



 もしも、結婚してガキが出来たのなら、俺はこう言ってやりたいね。



『父ちゃんは凄かったんだぞ? なんて言ったって、世界を救ったんだからな』って。



 笑われるかもしれないけど、細やかな自慢さ。



「あー……でも、働くのダリィなぁ……」



 めんどくせぇと笑いながら、背筋を伸ばす。歩道の桜はバカみてぇに綺麗だった。



 今日は面接だ。正直怖い。



 でも、まあ、なんとか、精一杯頑張ってみようと思う。



 え? もしも結果がダメだったら? って。



 ああ、そうだな。

 じゃあ、そんときは。



 まずは手始めにーー派遣勇者から始めてみるのもいいかもしれない。


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はい、どーも。〜派遣勇者始めました〜 首領・アリマジュタローネ @arimazyutaroune

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