俺は異世界を救った派遣勇者だった。


 おっさんに騙されて、白いゴリラと友達になって、ドラゴン達を仲間にして、色々あって帝王ザラキを倒して、世界を平和へと導いた勇者だった。


 【異界の門ヘブンズゲート】に辿り着いた唯一の勇者だった。

 そのあまりの能力の高さに『最強』と称された歴史に名を残すほどの勇者だった。

 不可能を可能にした伝説の勇者だった。


 何度も、何度も、心が折れかけたけど、その度に立ち上がって、少しずつ強くなった。

 生きるか死ぬかの世界を七年もの間、俺は生き抜いていた。

 最初は不安で不安で仕方なかったけど、挑戦を続けるうちに、人間的にも大きくなって、人望を集められた。


 誰もが俺のことを慕ってくれていた。

 誰もが俺のことを信じてくれていた。


 それをどうして、

 どうして、


 忘れてしまっていたのか。



「ああッ……ああッ……!」



 橋の足に捕まりながら、嗚咽を零す。


 手のひらには金の玉が乗っている。


 もしかして、これが、これが、抜け落ちていた記憶を、補完させてくれたのか……?



『その玉にはをかけておィたから、きっとィィことがあるウホよ』


『うん。とっても、ィィことだ』



 異世界に来たばかりの俺は不安で不安で仕方なくて、帰りたいとばかり思っていた。


 ニートが勇者なんかになれるはずがないって、自分の中でそうやって限界を作って、やる前から諦めていた。



 そんな時に出会ったのが、エドだった。



「エドぉ……っ! エドぉ……っ!」



 森で出会った白い喋るゴリラ。名前は長いし、発音もなんか『ィ』だけおかしくて気持ち悪いし、ほら穴もすげぇ臭かったし、それなのにやたらとフレンドリーな妙なゴリラだった。


 どこの馬の骨かもわからない見ず知らずの俺を拠点アジトまで招待してくれて、決して旨くはなかったけど、料理までご馳走してくれた。自分のベットを貸してくれて、お金まで恵んでくれた。


 そして、お別れするときにこの金の玉を貰ったんだ。

 ずっと胸ポケットに入れていて、すっかり忘れていた。

 これが、アイツが言っていたおまじないだったのか……。


 エドとは別れたきり、それから会っていない。

 どこの誰に聞いても、人猿族なんて種族を知らないと言っていたからだ。

 森に行っても、会えなかった。

 ほら穴はもぬけの殻だった。


 アイツは俺にこれを渡すために現れた精霊なのかもしれない。

 いや、ゴリラが精霊とかって信じたくはないけど、もしかしたらそうかもしれない。


 人付き合いが苦手な俺にはじめて出来た友達が、エドワードだった。

 一緒に空を見上げたとき、どれだけ心地良かったか。

 友達がいる喜びを感じさせてくれたのは、アイツが居てくれたお陰だ。



 そして、もう一人。



 ──俺は大事なヒトのことを忘れていた。




「アマカワ……ミライ」




 その名前を思い出したくはなかった。



 だって、思い出してしまったら、


 思い出してしまったら、

 



 酷くーー胸が痛むから。




「ミライっ……ミライっ……!」




 青い髪の少女、アマカワ・ミライ。

 辺境の村出身の、俺と同じ派遣勇者だった、心優しい女の子。

 はじめて会ったときに、お酒を奢ってくれて、最低なことばかり考えていた俺を受け入れて、一緒に旅をしてくれた。

 いつまでも、そばにいてくれた。


 あの子がいなかったら、俺は世界なんて救えてはいなかっただろう。

 諦めないように、支えてくれたのは、いつも彼女が隣にいてくれたからだ。


 お酒が好きで、本当は弱いのに、強がってばかりで、家族思いの、とってもとっても素敵な女の子だった。



 可愛くて、可愛くて、可愛くて、俺はその子のことがーー本当に大好きだった。



 女なんて嫌いだ、と言っていた俺が、初めて好きになった相手が彼女だった。


 困ったときに笑う彼女の横顔が好きだった。

 下手くそな料理を自信満々で振る舞ってくれる、不器用なところで好きだった。

 皮肉を皮肉と思わず、純粋に受け止める優しいところが好きだった。

 女の子なのに、男勝りな部分があるような、そんな変なところが好きだった。

 寝顔が好きだった。

 彼女を抱きしめるのが好きだった。

 彼女の髪の毛に触るのが好きだった。

 心苦しい夜に、一緒に手を繋いで寝るのが好きだった。


 冷たい手と手をどちらからでも伸ばして、いつの間にかほんのりと手のひらが暖かくなる瞬間が、たまらなく俺は好きだった。


 悪戯半分でお風呂に突撃して、恥ずかしそうに照れる彼女の髪を、洗ってあげたこともあった。


 あの子は自分の髪の色があまり好きじゃなくて、よくフードをかぶっていたけれど、俺はその空の色みたいな煌びやかな青い髪を撫でるのが好きだった。


 七年間一緒にいたけど、あんまり喧嘩はしなかったよな。

 俺が感情的になって、酷いことを言っちゃって、何度も泣かせてしまったことはあったけど。

 隣のベッドで泣いてる声を聞きながら、なんであんなことを言ってしまったんだろうって、いつも後悔していた。


 あの時は、ごめんよ。

 本心じゃなかったんだ。


 ただ、自分みたいな人間がさ。ミライみたいな優しい人に好かれるのが怖くて、素直になれなかっただけなんだ。


 ごめんよ、

 ごめんよ。


 でも、君は全然俺に怒ってくれなかったよな。

 不満もいっぱいあったと思うのに、我慢ばかりさせちゃってた。

 本当にごめんなさい。


 いつも、俺なんかと一緒にいて楽しいかなって不安だったんだよ。


 もっと口に出しておけばよかったな。


 いつもありがとうって。

 大好きだ、って。

 たくさん、たくさん、伝えておけばよかったな。



「あぁっ……! あああああ!!!!」



 そんなミライには、もう会えない。

 彼女には二度と会えない。

 


 ずっと星を眺めていたかった。

 いつまでも馬鹿話をしていたかった。

 隣にいて欲しかった。

 繋いだ手を離したくはなかった。

 どこかの村で、周囲の目なんて気にせずに、二人で死ぬまで一緒にいたかった。



『ずっと騎士になりたくて、女の子になんか産まれたくないと思ってたんだけど……でも、カケルと出会えて、好きになってもらって、はじめてあたしは女に産まれて良かったって思えた』



『カケルのお陰で新しい夢ができたよ。あたしは……幸せ者だ』



 アイツのくれた言葉が、今になって雪崩みたいにのしかかってくる。

 重くて、重くて、息が詰まりそうになる。



「……なんでだよ」



 橋の上、辺りを見渡しても、誰もいない。


 青いライトの光を放ちながら、道路を車が通過していく。

 異世界には車なんてなかった。


 ここには妖精も、ドラゴンも、魔法も、喋る白いゴリラも、俺のことを好きになってくれた青い髪の女の子もいない。


 元いた世界だ。

 水の惑星ーー地球だ。



「おい、なんでだよ? なんで、俺をこの世界に戻したんだよ!?」



 帰りたくなんかなかった。

 思い出したくなんかなかった。


 こんな世界に価値なんてないし、生きていく意味すら見出しきれていない。

 それなのに、死ぬことすら許されない。



「止めないでくれよ! お前らに会いてぇよ!! いまここで死んだら、お前らに会えるんじゃねーのかよ……! なあ、なんでだよ!?」



 聞くも、誰も答えない。

 沈黙が眼前に広がっているだけ。


 俺の背後をまた車が通過していく。



「勝手にそっちの世界に連れて来させておいてさあ……! 何年も、何年も、放置させておいて、やっと幸せを掴んだってのに、なんで途中で消し去らせるんだよ!? 酷いじゃねーか。お前らが世界を救えって言ったから、こっちは頑張ったのに……! 今更なんなんだよ!? 勝手すぎるだろっ……!!」



 たまりたまった不満と共に、涙が滞りなく溢れ出していく。

 ミライたちと過ごした七年という歳月は、俺にとってはあまりにも大きかった。

 重すぎて、受け止められない。


 夢のような数年だった。


 見るもの全てが新鮮で、異世界なんてくだらないと思っていた俺に、生きる希望を与えてくれた。

 優しい人ばかりだった。

 俺は運が良かった。


 誰かの力なくしては、成し遂げられないこと、ばかりだった。



「アアアアアアアア」



 俺は叫ぶ。




「アアアアアアアア」




 泣き叫ぶ。




「アアアアアアアア」




 何度も、何度も。



 七年分の思いを、

 悲しみを、

 寂しさを、

 思いの丈を、

 どこかへ吐き出したかった。






『ありがとう、長谷川 翔。あたしに幸せをくれて。いつまでも大好きだよ』






「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」




 俺は泣いた。



 ただひたすら、泣きじゃくった。



 ※ ※ ※ ※ ※



「……」



 どのくらい泣いたのだろうか。


 泣いて、泣いて、泣きまくって、瞼が痛くなり、声が枯れてきたあたりで、俺は立ち上がった。


 ふらふらと、来た道を戻っていく。

 足元はおぼつかない。

 視界はぼやけて、何かに捕まっていないと、真っ直ぐには歩けなかった。


 エドから貰った金の玉を、胸ポケットに再び戻して、俺は歩く。

 転けそうになるのを我慢しながら、歩く。


 歩く、歩く。


 元の場所へと、戻る。


 両親の待つ自宅へと、足を運ぶ。



 隣を大型トラックが通過していたけれど、飛び込もうとも思わなかった。

 死にたいという気持ちすらもない。

 残っているのは、疲れたという感情だけ。



「……」



 いまは休みたかった。


 自室に戻って、暖かい布団にこもりながら、目を閉じたかった。


 意識を暗闇に落として、安らぎたかった。


 そうすれば、会えると思ったから。


 夢の中でまた彼女たちに会えると思ったから。



「……」



 なあ、エド。


 いいことなんて本当に起きるのか?


 記憶を呼び起こすだけでおまじないは終わりじゃないよな?


 またお前らに会えるんだよな?


 これで終わりだなんて言わないでくれよ?



「……」



 暗い夜道をたった一人で歩く。



 そう、一人だ。



 隣にミライはいない。

 また一人だ。

 いつも一人だ。



 俺は派遣勇者だった。

 異世界を救った勇者だった。



 でも、それは過去の話。



 いまはなにも──持っていない。



「……」



 歩く。歩く。歩く。



 息を吐いて、橋の手すりから手を離して、歩き続ける。



 眠りたかった。



 早く、眠りたかった。


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