深夜以外の時間帯に外出するのは久しぶりだった。


 スーツを身に纏って、部屋の扉を開く。

 母ちゃんが心配したように声をかけてきたが、イヤホンをしていたので聞こえなかったフリをした。

 玄関で靴を履いているときもチラチラと見てきたが、バイトの面接があるのかと勘違いでもしたのか、満足げに頷いてリビングへと戻っていった。


 夜19時、意味もなく外をブラつく。

 死に場所を追い求めて。


 どうやって死のうかとアレやコレやと考えた結果、自宅で死ぬのはやめようという答えに辿り着いた。

 首を吊ったりすれば、糞尿を撒き散らして床が汚れてしまう危険もある。

 家族にこれ以上、迷惑をかけたくはない。

 俺からのせめてもの、気遣いだった。


 路地をぶらぶらと歩いて行く。

 スーツを着ているので、怪しい目で見られることはない。

 きっと仕事帰りだと思われたのだろう。


 同年代らしき人々が横断歩道で立ち止まっているのを見て、意味もなくイヤホンを外した。


「今、金欠でさー。同期とほとんど飲みに行けてねーんだよ」

「マジで? なにに使ってんだよ」

「上司や取り引き先とか色々あるし、あと車だよ。出張よく行ってるから、ガソリン代がエグいんだよなぁ」

「会社から出してもらえてねーの?」


 たわいもない会話を聞きながら、ポケットに手を突っ込む。

 俺とはまるで違う世界に住んでる人間の会話に、少し興味が出てしまった。


「出してもらえるわけねーよ。ケチだから」

「ほーん」

「つーか、聞いた? 課長、次長になるらしいぜ? いいよなぁ、出世コース」

「給料いくらアップするんだろうな」

「そんなに変わらないんじゃね?」


 お金の話をしている。

 高卒なのか、大卒なのかはわからないが、フリーターよりかは遥かにもらえていることだろう。


 高卒の初任給は17万円、大卒は約20万円だ。

 一方のフリーターは月収約13万程度。大卒の奴らとは7万円も差が出てくる。


 生涯年収をも比較するともっとだ。まともに働いている彼らが一億四千万程度なら、フリーターは6000千万ほど。バイト生活で生計を立てていくのが、いかに難しいかがわかる。

 フリーターは歳を重ねれば悲惨だ。

 身体は衰えていくのに、毎日休むことなくバイトしなくてはならない。

 高くても時給1000円。それを何日繰り返えせば同年代の給料に追いつけるのか。


 ニートに将来性はない。

 一万円でも大金だ。散髪はできるし、カップ麺以外の食べ物を胃の中に入れることができる。


 ニートになりたいだなんて冗談半分で言ってる連中は、一度ニートをやってみればいい。時間だけが膨大にあり、将来への不安を抱きながら日々を惰性的に過ごすことがどれだけ苦痛なのかわかるだろうから。


「新卒の子そろそろ来るよな。可愛い子いるかねー」

「おぉ、ほんとだな。俺も今の会社に勤めてもう三年目か。時の流れってはえーな」

「あっという間に死にそう」

「ジジイになりたくねーよ、マジで。彼女ほしー」

「結婚してぇーな。いい人いねーかなぁ」

「今度いつ合コン開く?」


 信号が青に変わるのを見てから、もう一度イヤホンをつける。


 ありがとうと、言いたくなった。


 これで、心置きなく、死ねる。


 ※ ※ ※ ※ ※


 夜に散歩をするのが好きだった。

 夜風を浴びながら、街の喧騒を眺めて、他人の様子を観察する。

 自分以外の人間がどうやって生きているのか、興味があった。


 明かりのついた家が前方から見えてきた。

 子供の声が聞こえる。

 今から晩ご飯らしい。

 なにを食べるのだろう。ハンバーグかな?


 みんなすごい。当たり前のように社会に溶け込んでいるから。


 俺は当たり前のことが出来た試しがない。


 車の免許も持っていなければ、なにかの資格を手にしているわけでもない。地元からほとんど出たことはないし、新幹線の乗り方だってわからない。料理もほぼできない。


 歳を重ねればわかってくる。

 家庭を築くことの難しさも、子供を育てることへの苦労も、この世におけるなにもかもが、難解だとわかってくる。

 大人たちが当たり前のようにしてることが、どれだけ難しいことなのか。わかってくる。


 まったく嫌になる。

 生きていくことにおいて、どれだけお金が必要なのか。

 うんざりだ。お金なんて大嫌いだ。


 戦争が終わり、この国は平和になった。バブル期を経て、経済は発展して、豊かな暮らしができるようになった。


 それでも、心はどこか飢えている。


 人々の自殺が絶えない。

 みんなみんなストレスでおかしくなって、人の揚げ足取りばかりしている。

 みんな病んでいる。

 みんなおかしくなってる。


 それなのに、今も平然と社会は動いている。


 怖い怖い怖い怖い。

 なんだか不気味だ。

 ネットの世界にどっぷり浸かっていると、気が狂ってきそうだ。

 見えるものすべてが気持ち悪くて、どこか裏があるんじゃないかと思えてくる。


 飲食店にいけば、店員に陰口を呟かれているかもしれない。

 ダサい服を着て街を歩いていると、盗撮されて拡散されるかもしれない。

 みんなが笑っている。

 匿名の皮を被って。

 胸の内に攻撃性を秘めながら、何事もないように暮らしている。


 世界のどこかではテロによって、生きたくても生きれなかった人も沢山いるのに、俺はそんなのは無関係だと、思考停止を繰り返して、自分勝手に自らの命を終わらせようとしている。

 最低な行為だ。


 もうわからない。

 なにが正しいかなんて、わからない。


 将来なんて考えたくない。

 終わりなんだ、全部。


 第三次世界戦争がまた起きて、核が色んなところに落ちて、全部全部終わるんだ。

 みんないつかは死ぬんだ。

 それが早いか遅いかの違いなんだ。


 なら、いま終わったって別にいいだろ?



 平成が終わりを迎えようとしている。



 ーーその前に、俺も俺を終わらせなくてはならない。



 ×××


 橋が見えてきた。

 高い橋だ。ここから飛び降りたらすぐにあの世に行けることだろう。


「……」


 もしも生まれ変わるとしたら、俺は一体なにになれるのだろうか。

 どちらかといえば生き物は避けてほしい。そうだな、海藻とかがいい。ゆらゆらと波の流れに揺られながら、ぼんやりと海を眺めておきたい。

 貝でもいいな。俺は貝になりたい。

 大海原の底に沈む貝なんて、浪漫がある。


 死んだら人はどこへ行くのだろう。

 天国ってホントにあるのかな?

 それとも、俺は地獄行きかな?


 死には興味がある。唯一の居場所だ。

 暗いところに落ちてゆくのか、光あるところに消えてゆくのか、どちらなのだろう。


 向かう先は「無」なのか?

 後悔がある人間は幽霊になるのか?

 

 転生ってあるのか?

 異世界ってホントにあるのかな。


 できれば苦しくない方がいい。

 頼むから痛いのはよしてくれ。

 最期くらいは、ラクに死なせておくれよ?



「…………」



 橋に手を掛けて、先を除く。

 見えない。真っ暗だ。

 足がプルプルと震えている。


 高所恐怖症ではないのに、怖かった。もっと頭がおかしくなっていれば簡単に飛び降りられたのに、まだ心は躊躇していた。

 息が詰まって、脳が「やめろ」と訴えてきている。

 呼吸が乱れてくる。



「はぁ……っ……はぁっ」



 動け、動け、と四肢に無理やり命令をさせて、足を動かす。

 手に力を込めて、身体を乗り出す。

 あと少し、あと少しだ。


 死ぬんだ、俺は死ぬんだ。

 遺言もなにも残していないし、身辺整理だってしていないけど、もう死ぬんだ。


 長谷川 翔の短い生涯に終止符を打つんだ。

 25年という生き地獄をようやく自分の手で終わらせられるんだ。

 始めたものは終わらせなくてはならない。

 これで最期だ。これでーー。








(ーーやめるんだ。ハセ・カケル)







「……え?」




 どこからか声がした。

 わからないが、ハッキリと聞こえた。


 俺じゃない名前を呼んだ。誰かが呼んだ。



「え? えっ……?」



 辺りを見渡しても誰もいない。

 人はいない。どこにもいない。


 なのに、間違いなく、止められた。

 何者かに自殺を食い止められた。


 ハセ・カケルって誰だ?

 そいつが俺なのか?


 いいや、違う。俺は長谷川 翔だ。ハセ・カケルなんてヤツは知らない。別人だ。


 なのに、どうしてだ?

 なんでこんなに懐かしい気持ちになれるんだ?



「……なんだよ」



 心臓が早鐘を打つのを感じて、自然と胸ポケットの内側に触れていた。

 さっきまでなにも入っていなかったのに、なにかがそこにはあった。



 まさか、まさかーー。



 急いで取り出す。

 大きな玉。暗くてよく見えないけれど、黄金の玉だった。金色の玉が、入っていた。


 俺はそれを知っていた。

 知っていた、知っていた。

 知っていたのに、ずっと忘れていた。



「……なんなんだよ。一体ッ、なんなんだよ!?」



 叫ぶ、叫ぶ。

 誰もいないのに、俺は声を上げている。


 知らないはずなのに、わからないはずなのに。

 何故だか、覚えている。


 そうだ。そうだ。そうだ、これは。


 これは、これは、別れ際にアイツから貰ったモノだ。



「ああ……あぁ……っ」



 枯れたような声が出てきて、俺はその場に倒れた。

 橋に捕まりながら、歩道の真ん中に膝をつく。

 涙が止まらない。


 どうして俺は忘れてしまっていたんだ。



「あああああ!! あああああ!!」



 周囲の目を気にせずに、俺は声を荒げた。


 抜け落ちていた記憶が、戻ってくる。


 全部を思い出した。




 俺は異世界を救った──派遣勇者だった。


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