【最終章:派遣勇者始めました】

ミライへカケル。


 ここは【幻想の国ファンタジア】の最果てーー虹の見える丘だ。

 【翠色の海イルミナント】が一望できるロマンチックな場所として有名である。


 エルフの生き残りである帝王ザラキとの死闘からはや半年。

 少しずつではあるが、荒れていた土地から、以前の輝きを取り戻していた。

 一時期はどうなるかと思ったけれど、まさか本当に俺の手で世界を変えられるとはなーー。


「どうしたの? カケル」

「ん? あぁ、いやちょっとな……」


 原っぱに寝転がりながら、隣のミライに笑いかける。

 今日は俺たちが出会った七年目の記念日だ。


「色々なことがあったなぁと思ってさ」


 ミライの手を握りながら、これまでのことを振り返る。

 いや、ほんと色々なことがあった。

 多くを語りきれないほどに。


「あたしとカケルが出会ってもう七年も経つんだね」

「早いなぁ」


 この七年は辛いこともたくさんあった。

 敬愛する師匠であるKさんが死んだり、友達のクリスティや村長のカシィが拷問によって殺されたりと、想像するだけで胸が痛む出来事の数々だった。

 それでも、負けずにここまで戦ってこれたのはーーきっとミライがいてくれたからだろう。


 【妖精女王皇帝陛下フェリア様】の叶えられなかった願いを果たせることができたのも、

 七人の帝たちの力を借りることができたのも、

 世界を魔の手から救うことに成功したのも、

 全てはーー君が俺の帰りを待ってくれていたから、だ。


「ねぇ、覚えてる?」

「ん?」

「初めて会った日のこと」


 ミライが俺の手を握りながら、肩にくっついてきた。

 普段は甘えたりしないクセに、こういうときにはひっついてくる。

 本当に可愛い女の子だ。


「初めて会った日のことか……。俺がまだダメ人間だったときだよな?」

「うん。一緒にお酒を飲んでさ、アナタが酷いことを言ったじゃない? 実はさ、あのときあたしはアナタのことを試していたんだよ。この人はもしかしたら酷い人じゃないのかなって。部屋で泣いていたのも全部見てた」

「……おぉ、マジかよ」

「でも、アナタが本当は悪い人じゃないってわかった。宿屋まで運んできてくれて、お金だって払ってくれた。カケルは良い人だよ」

「いや、それは人として当たり前のことをしたまでだと思うがな……」


 ミライの言葉に苦笑する。

 あの頃のことはあまり思い出したくない。

 自分というものを酷く嫌って、たくさんの人たちを傷つけてきたからだ。


 他者と比較して、自分のコンプレックスを認めたくないから、乱暴な言葉ばかりを使ってきた。

 素直になれないだけ、なんだけどな。


「俺が前にいた世界ではさ。悪いことをした人間がいいやつになったからと言って、褒められるのはおかしいという風潮があるんだ。悪さをしてきた人より、悪さをせずに人に幸せを与えてきた人の方が、本来を褒められるべきなんだって」


 屁理屈を言う自分はまだ胸の中にはいる。

 でも、ミライはそんなことで俺を嫌ったりはしなかった。

 彼女は器が大きくて、俺よりも男らしいーー芯の強いステキな女性だから。


「でも、アナタはこの世界を救ったじゃない。昔がどうだったとか、そんなの気にしなくていいよ。カケルはカケルだから」

「……ありがとう。そう言ってくれて、嬉しいよ」


 俺に向けられる瞳に嘘偽りなどはない。

 本心から俺のことを思って、言ってくれているのだろう。


「好きだよ、ミライ」


 想いが溢れそうになって、ついつい強く抱きしめてしまう。

 寝転んでいる彼女を自分の胸まで抱き寄せる。

 この子はくっつくのが好きだったから、こうすると安心するといつも言っていた。


「……もうっ、誰かに見られたらどうするのよ?」

「見られないって」

「カケルは世界を救った【勇者】なんだよ? 有名人がこんなところで、あたしなんかと抱き合ってる姿を見られたら、帝様になんて言われるか」

「前にも言っただろ? たとえ世界を敵に回したとしても、君を守るって。あのときから、俺は剣にそう誓ったんだ」


 腰にかけられた剣に触れる。

 これはいまは亡き師匠であるKさんの形見でもある【紅の劔ルージュソード】だ。

 帝王ザラキとの闘いのときに、どれだけこれが役に立ったか。


「この闘いが終わったら、伝えたいことがあるって、言っただろ。それをいま言っていいか」

「……待って、心の準備がまだできてない」

「ダメか……?」

「ダメじゃないのよ……。でも、あたしなんかで本当にいいのかなって」


 ミライが俺の胸の中で、弱音を吐いている。

 彼女が不安に思っていることは知っていた。

 この子はずっと貧乏な村出身であることを嫌がっていたのだ。帝の末裔の血を引いた俺と結ばれるということが、どれほどのことを意味しているのかーー理解しているのだろう。

 勇者の俺と、庶民である彼女は世間的にみれば明らかに釣り合っていない。

 市民たちのバッシングも相当なものだろう。


「……カケルと一緒にいたいとは思うんだよ。でも、それはできないの。嬉しいけど、オッケーはできない。きっとカケルが傷つくから」

「一緒にいることもできないのか?」

「……うん」


 小さな身体には不安がいっぱいあるのだろう。

 いまは無理するべきではないのかもしれない。

 ミライのことを好きで好きでたまらなくて、お嫁さんにしたいと思っても、それがどれだけ難しいことなのか、俺はまだ甘く考えていたのかもしれない。


「じゃあ、ミライと結婚するためにこの国をまた変えるよ。それかここから逃げて、二人で【温泉街ベリアル】辺りで一緒に暮らそうよ。前みたいにさ、身体の洗い流しっこでもしようぜ」

「……あれはカケルが勝手にあたしのお風呂に入ってきただけじゃん。もー、そうやって真面目な話を茶化すのやめてよ」

「じゃあ、俺たちの子供を作るか? ミライは何人ほしい? 名前はどうすっかねぇ」

「変態っ」


 ミライにほっぺをつままれる。

 蒼い髪が静かに揺れる。

 彼女が俺から身体を離した。

 空を見上げながら「あっ」と声を上げる。


「見て? 【海龍ブリューナク】がいるわ。【地龍ラギア】と【空龍ドロギアス】も」

「おっ、ホントだ。【黄金龍サバリナ】と【銀翼龍アフロディティール】もいるな。あっちの空へと飛び立っていったのは【破壊龍ガンジア】か? ……アイツ、生きていたのか」

「みんな楽しそうね」


 飛んでいたのは、帝王ザラキの右腕である【旧蛇悪魔女ヴィニパー八世】との闘いのときに、協力してくれた【神の帝国ディオス・インペリオ】に住むドラゴンたちだった。

 最初は誰もが力を貸すのに抵抗していたけど【太陽の帝国ソイ・ヘイナード】の戦士たちーー並びに、失った仲間たち(ハマス、ゲイル、アレン)たちがなんとか説得してくれたお陰で、戦いに加わることとなったのだ。


 平和の象徴であるドラゴン。

 虹の国にまたかつてのように龍たちが飛べるようになるなんて、あの頃は想像もしていなかったな。


「あ、ルデムくんが手を振ってる! おーい」

「……やれやれ、あのドラゴン使い、どれだけ視力がいいのやら」


 頭を掻きながら、俺は原っぱの中を立ち上がる。

 確かに竜使い『ルデム=ファーレン』がガンジアの背中に乗っている光景が見えた。

 紅の帝である『ケミス=ファーレン』の弟であるヤツは、相変わらずやんちゃしているようだ。

 兄貴は騎士団長からランクアップして、帝の位置まで成り上がったってのに、お前は変わらねーな。


 ーーここはガツンと言ってやらないと。


 せっかく【魂の聖戦ジバード】のときは実力を認めてやったってのに、またこれかよ。

 お前には、革命軍【§RURアールユーアール§】の調査と【妖精の監獄ハルデンリア】の見張りを任せているってのに……やれやれ。


「……ゴホン」


 目を瞑って呼吸を整える。

 この魔法を使うのは久しぶりだ。

 上手くできるかね。


「ハァァアアア」


 空気中のエーテルを取り込んで、体内の波動エネルギーと組み合わせる。

 魔力が身体の神経が溢れ出てくるのを感じて、俺はギッと目を見開いた。


 右手を高く、上空に掲げて、魔法を発動させる。



「──超巨大麻痺砲弾バリレゲイルッッッッ!!!!」



 指と指の間から、鋭い閃光が迸る。

 雷に似た音を立てながら、頭上にいる龍たちの元に向かっていく。

 同時に、掌を開く。

 緑の空に破裂させる。

 爆音がそこら中に轟いた。


「……やりすぎでしょ、カケル」

「あれくらいやらなきゃ、アイツまたサボるだろ?」

「でも、もし当たったら」

「大丈夫だろ。アイツがこの距離で避けられないはずがない」


 一応心配だったので、魔力を聴覚に集中させて、上空へ向けた。

 案の定、ルデムは回避したようで、悪態をついていた。


『……おいおい、あのクソまたやべぇことしやがったゼ。役員連中に仕事任せてんだからちょっとばかしは遊んでもいいだろうってのにヨ。気が効かねぇこったナ』

『ルデム、今ノ、攻撃ハ』

『あー【勇者】だ。俺がサボってたことにキレてんだ、アイツ。まーた辺境の女と遊んでやがるシ。エラゴン様にチクってやろうゼ』


 どうやら、また俺の愚痴をこぼしているらしい。


 ……コイツ、反省してねーな。



(ーー聞こえてるぞ、ルデム。お前さ、また城で俺の悪口言ってただろ?)



 遠隔通信魔法テレパシストを飛ばして、注意をする。

 アイツ、俺が【幻想の国ファンタジア】全土を見通せる能力があるってこと、忘れてないか?



『げっ……こんなところで遠隔通信魔法テレパシストを使いやがった。【異界の門ヘブンズゲード】に辿り着いたチート野郎め。あー、ウゼェー』

『流石ハ、我ラノ、勇者様。最強ノ名ニ、相応シキ、実力ノ、持チ主』

『ガンジア! お前は黙って飛行を続けてろ! 目的地は変更だ。【聖域アルカンシエル】へ戻るゾ。仕事だ、仕事!』



(ーー気をつけて帰れよ。まだ【塵捨て街リュゼ】の生き残りがいるかもしれないからな)



『うるせぇヨ! テメェが殲滅させたじゃねーか。自慢すんな、クソ勇者』



 ーー殲滅なんかしてねーよ。勝手に話を盛るんじゃねぇ、クソ竜使いが。



 飛び去っていくルデムを見送ってから、通信を切る。


 ※ ※ ※ ※ ※


「……ったく」


 ふぅとため息をついて、原っぱに腰掛ける。

 ミライはそんな俺の様子を見ながら、苦笑していた。


「魔法使っても良かったの? 身体平気?」

「大丈夫、大丈夫。心配しなくていい。余裕だよ、近頃鍛えてるし」


 帝王ザラキとの死闘の影響で、俺はあまり魔法を使えない身体になっていた。

 ま、それでも、昔よりかは魔力知数も上がって、体力もついたんだけどな。

 かつてニートだとは思えないほどにムキムキだぜ。


「筋肉ついたわね? カケル」

「だろ? いい男になったんだよ、これが。抱いて欲しかったらいつでも言ってくれよ」

「……そういうところは変わらないわね。さっきまでの優しいアンタはどこへ行ったの? またいつも通りの口調に戻ってるけど」

「お前もな」


 初めて会ったときのように二人で笑い合いながら、ミライと肩を並べる。

 七年という長い年月を共に過ごしてきたからこそ、お互いの気持ちは触れなくても理解できていた。


 女のことを嫌いで、ずっと憎んでいたのに、彼女が俺の腐った心を浄化してくれた。ずっと守っていた心の氷を溶かしてくれた。



「虹、綺麗ね」

「ああ」

「カケルが救ってくれたんでしょ」

「まあな」

「……ありがとね」

「当然のことをしたまでだよ。なんて言ったって、俺は【派遣勇者】なんだからな」



 【派遣勇者】がなんなのかはわからない。でも、彼女と一緒に時間を過ごしているうちにそんなことはどうでもよくなってしまった。


 アマカワ・ミライのことが好きだ。

 大好きだ。


 この子のことを守らないと思っているし、家族になりたいと思っている。

 彼女のために汗水流して、一生養ってあげたいと感じている。

 ミライとの未来のためなら、働いて働いて働いて働いて働いて働いて、たとえ過労死しても苦ではない。ーーいや、死んだらこの子が悲しむか。

 なら、君が一生食べることに苦労しないくらいに、お金を稼ごうと思うよ。


 ニートだった俺がこんな意識を持つようになるとはな、人生ってわかんねぇぜ。



 ああ、ホントーー派遣勇者になれて良かったなぁって、今になって思うよ。



「よし、帰るか。買い出しに行かないとな」

「……そだね」

「ん? どうした?」

「……」



 ミライが膝を抱えて、少しだけ悲しそうな表情をした。

 ーーどうした、急に。


 心配になって顔を覗きこむと、目を逸らされた。

 

 緑の空には七色の光が浮かんでいる。

 どこかで、幻想曲が鳴り響いている。



「ずっと騎士になりたくて、女の子になんか産まれたくないと思ってたんだけど……でも、カケルと出会えて、好きになってもらって、はじめてあたしは女に産まれて良かったって思えた。カケルのお陰で新しい夢ができたよ。あたしは……幸せ者だ」


「……ミライ」



 彼女が珍しく弱々しい声をあげていた。

 今にも泣き出しそうな勢いだったから、ギュッと頭を抱きしめたい。

 どうか泣かないでくれ。

 俺の前では笑っていてくれよ。



「俺の方が幸せ者だよ。ミライがいてくれたから現在の俺がいる。こんなに好きになれた人は産まれてはじめてだ。これからも一緒にいような。大好きなミライのことを俺は死ぬまで、守るつもりだから」


「……うっ、ん」



 泣きそうになっている彼女の頭をポンと叩いて、立ち上がる。

 そろそろ夕暮れだ。

 早く帰らないと、またお城の連中に叱られてしまう。



「よし、いこう」



 手を引いて、ミライと歩こうとしたのだが、彼女は動かなかった。

 潤んだ瞳を向けながら、唇をギュッと噛み締めている。



「カケルなら大丈夫よ」

「え? なにが」

「あたしが好きになった人なんだから」

「お、おう。まあな……」



 頷いて、俺の右手を両手で包んできた。

 慈愛に満ちた笑みを浮かべている。



「あたしなら大丈夫だから、心配しないで。ずっとアンタの味方でいるからね。どんなに遠くへ行っても、この空の向こうで繋がっているから。だから、負けないで。カケルなら、きっと、きっと、きっと、大丈夫だからっ……!」


「え? ミライ?」



 変だな、いつもはこんなことは言わないのに。



 空には虹が浮かんでいる。

 隣には好きな人がいる。

 俺はこの世界を救った勇者だ。

 ハセ・カケルだ。

 アマカワ・ミライを愛しているただひとりの男だーー。


 そして、これからもずっと、


 ずっと、


 ずっと、


 この世界で生きていく。




 俺たちの冒険はこれからも続いてゆく。




 ーーそう、思っていたのに。




「ありがとう、長谷川 翔。あたしに幸せをくれて。いつまでも大好きだよ」



 

 突如として、幻想曲ファンタジアが鳴り止んだ。



 長い長い、夢が終わりを迎える。





「あっちの世界に戻っても、元気でやってね」




「えっ?」





 ──瞬間、全てが崩壊した。

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