母ちゃん、俺、立派な派遣勇者になれるかな……。


 俺は死んだ。


 死ぬのなんてはじめての経験だった。


 眩い光に包まれながら、ゆっくりと目を開ける。

 どうやら俺は空を飛んでいるようだった。


「……」


 上空から下を見下ろす。

 家々が並んでいる。見覚えのない土地だ。大きな山に海も見える。


 頭が妙にぼーっとしていた。全身の力が抜けて、ほわほわしている。

 眠たくはないのに、眠い。


 ずっと、こうやって、ここにいたい。


 世界とか勇者とか、もうどうだっていい。

 やる気ないし、一生楽をして生きていたい。もう死んでいるけど。


 なんかすげぇ眠くなってきたよ。お前も、おいで……パ◯ラッシュ。



『カケル。なにをやってる。さっさと降りろ。本当に死にたいのか?」



 どこからか声がした。


 ーーせっかくリラックスしていたってのに、誰だ?



『降りろ。お前に語りかけているんだ。カケル。こっちだって、暇じゃないんだ。次の仕事も残ってる』



 ーーうるせえなぁ。眠いから静かにしててくれ。



『反対方向に降下しろ。おい、聞いてるのか。ハセ・カケル! ボサッとするな』



 ーーさっきから、なんだ? 俺に言ってんのか?



 頭の中に声が響いている。

 低い男性がずっと語りかけてきている。

 

 てか、誰だよ。ハセ・カケルって。俺の名前は長谷川 翔だっつーの。



『それは現世の名前だろ。こっちでは違う。余計なことをガタガタ考えるな。反対方向に降下しろと言ってるんだ』



 ーーはいはい、わっかりました。



『違う! そっちは転生ルートだ。お前は転移なんだから、逆だ逆』



 ーー注文が多いっつーの。料理店かよ。



『そうだ。そっちだ。そのままゆっくり降りていけ』



 頭の中の声に従うように、俺は身体を降下させていく。

 両手を広げて、仰ぐように、風を切る。



『よし、ハセ・カケル。お前はこれから【派遣勇者】として、異世界に行くこととなる。じゃあ、これから指令を出す。ちゃんと記憶しろ。一回しか言わないからよーく聞けよ』



 ーー指令?



『“アマカワ”という“蒼い髪の女”に“会え”。そいつと合流してからまた指示を出す。わかったな?』



 ーーは? え? 誰?



『一回しか言わないと言っただろ。二度は言わん。遊びじゃないんだ。ちゃんと責任感を持って行動しろ』



 ーーうるせーな、ニートに無茶言うな。



 なんかムカついたので愚痴っておく。

 徐々に風が強くなってきた。



『……チッ、なんだよコイツは。人員不足にも程があるだろ。センターのヤツはどういう基準で採用してんだ?』

 


 男の独り言と共に、唐突に真下に穴が開くのが見えた。

 ブラックホールのようなものがぽっかりと宙に浮いている。



 ーーん? アレはなんだ?



『じゃあな、カケル。“アマカワ”という“蒼い髪の女”に“会う”んだぞ。特別大サービスで二回教えておいてやる』



 ーーちょ、ちょっと!? は? いや、これどこいくんだ! え、俺死んだの?




『お前の、これからの活躍を祈ってる』




 ーー祈るな! おい、おっさん待て!



 俺の心の叫びを足元のブラックホールが吸い込んでいく。

 消えていく。

 闇の中に落ちていく。

 やがて何も見えなくなっていく。



 長谷川 翔は死に、新たに『ハセ・カケル』が誕生する。



 俺の長い冒険の旅が、幕を開けた。



 ※※※



「えぇ……マジで異世界なの」



 木々に囲まれた場所で目を覚ます。

 木漏れ日が眩しい。

 日の光が頭上から降り注いでいる。



「肩、痛っ」



 起き上がる。刺さっていた小枝を抜く。


 足元の草木であぐらをかいて、空を見上げた。

 青いハズの空が緑色になっている。



「うわ、マジか。気持ち悪っ」



 空気が澄んでいる。

 ここが異世界だという保証はないが、呼吸ができるということは人間が生きていける酸素的なモノもあるのかもしれない。



「で、どうすんのコレ」



 とりあえず、これまでのことをおさらいしておくか。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


・天才ニート俺、派遣勇者の求人広告を見つけて応募する。

 ↓

・面接の案内が来たので、待ち合わせの場所に行く。誰もいなくて帰りたくなる。

 ↓

・お姉さんから電話がかかってくる。適当に返事をしてたらなんか合格したみたいで、次は社員っぽいおっさんから着信が入る。

 ↓

・トラックに轢かれて死ぬ

 ↓

・空の上でおっさんに『女に会え』と指令を出される。

 ↓

・生きかえって森の中←イマココ


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 なるほど、わからん。さっぱりわからん。

 理解が追いついていない。



「……ゴホン」



 咳払いをして、その場に寝転ぶ。




「いや、派遣勇者ってなんだよぉぉぉ!?」




 とりあえず叫んでみることにした。



「は? 意味わかんねぇぇぇぇ!! なんで俺、死ななきゃなんねーの!? てか、あのおっさん誰! あと、なんで空こんなに緑色なの!? というかココどこだよ!! 帰らせてくれよ!! 異世界に行くとか聞いてねーよ! 説明不足にも程があるだろ! 母ちゃんーーーー!! 迎えに来てぇぇぇぇ!!!!」



 叫ぶ、叫ぶ。

 手足を振って、おもちゃをねだる子供のように叫ぶ。



「ああああああ!! めんどくせーーー! こんなんだったら普通に異世界行きたかったぁぁぁぁーー!! ハーレム築いてさあ、女いっぱい抱いてさあ、パワーバランスぶっ壊れるくらいのチート能力獲得して、俺TUEEEEEEってやりたいって! この世の富と名声全てを手に入れて、この世界の王として君臨したいって!! もう帰りてぇぇぇぇぇって!!」



 森中に俺の声が響いていく。

 時間帯的にお昼なのか、 太陽が鬱陶しいくらい俺を照らしていた。

 日の光を浴びるのなんて久しぶり過ぎて、吐き気がする。




「いやぁぁぁ!! 異世界でも働きたくねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」



 これだけ叫んでも、誰も来やしなかった。

 都合よく女神様が現れて迎えに来てくれるだなんてことも起きなかった。


 この世界も現実と同じらしい。

 誰も助けには来てくれない。


 そんなことをわかってもいながら、25歳にして幼稚な行動を起こしてしまう自分が、嫌で嫌で仕方なかった。



「うぅ……素直に死にたい」



 あまりの情けなさに涙が出てくる。

 しばらくの間、俺は泣いていた。



 ※※※



「肩、痛っ」



 刺さった小枝を抜く。

 泣き疲れて、立ち上がる。


 そこでようやく自分の身体を確認できた。



「スーツのままって」



 身体に大きな変化は起こっていない。

 いつもの顔に、いつもの髪型。

 だが、服装は轢かれたときと同じ、スーツ姿だった。意味がわからん。



「カバンもなければ、スマホもない」



 手ぶら。



「おまけに服もボロボロじゃねぇか……クソゥ」



 リクルー◯スーツを眺める。せっかくアイロンをかけてきたのに、もうシワだらけになっていた。


 落ち葉の露で濡れて、膝裏も冷たい。履いてきたビジネスシューズも土で汚れている。


 あーあ、クリーニングに出さないといけなくなった。まーた金がかかる。絶対にこのスーツ代はキッチリと弁償してもらうからな!



「異世界に連れて来るなら服装は“自由指定”と書いとけよ」



 足元の枝葉を蹴り、辺りを見渡す。

 行く当てもなく、俺は歩き出した。


 ※※※


 ぶらぶらと森の中を進んでいく。

 ビックリするほど何もなかった。ここは富士の樹海かよってぐらいに、何もなかった。辺り一面、森・森・森。緑一色。



「なんか『女に会え』って言ってたな」



 社員のおっさん(社員なのかは知らん)がそんなことを言っていたような気もする。女の名前は忘れたが、そいつも社員なのかね。



「美少女だったらいいが、絶対ババアが出てくるパターンだろ。薬草取りのやり方とかしつこく教えてきそう」



 キョロキョロと周りを警戒しつつ、進む。

 もしかしたらここが《魔物が巣くう森》という可能性だってある。まぁ仮に襲われたとて、誰かが助けてくれるだろうけどな。



「……」



 ただただーー退屈な時間だけが流れている。

 スマホがないので時間潰しもできない。



「……出口どこだよ」



 疲れて、立ち止まる。

 しばらく運動をしていなかったので、膝が悲鳴を上げてた。



「あーダメだ。しんどい……」



 もう一度だけ、しっかりと言っておくが、俺はニートだ。真性のクズだ。頭も悪ければ、やる気も、体力もない。

 そんなダメ人間が異世界に来たとて、バリバリ頑張れるワケがない。



「【派遣勇者】ってなんなんだよ……。そもそもの概要を説明しろよ」



 苛立ってくる。

 もしこれが過酷な肉体労働とかだったら、労働基準監督署に相談してやる。



「よし、決めた。社員に会えたら『辞めさせてくれ』と頼みこもう。うん、それがいい」



 結局、どこへ行ってもダメ人間はダメなままなのだ。

 それならば最初から行動を起こさなければいい。

 諦めてしまえば、傷つかなくて済む。


 期待の分だけ、裏切りは大きい。

 アイツは邪魔なだけだ、と言われる前に辞めてしまおう。

 きっとその方が、相手のためにもなる。



「……はぁ」



 膝に手をつく。

 不安と己への情けなさが、全身を支配していく。


 孤独というものはキツい。ずっと一人で森を彷徨っていると死にたくなってくる。

 ここがまるで富士の樹海のようにも思えてきた。



 ーーと、そこで足音を耳にした。



「おっ」



 顔をあげる。

 人が来たようだ。


 俺は小賢しい考えを働かせて、その場に横たわることにした。


 こうした方が人目につくし、心配してもらえると思ったのだ。



「?」



 目を閉じて、息を殺していると、その相手は俺に気付いたのか、駆け寄ってきた。

 足音から察するに、相手は一人らしい。



「君ィ、大丈夫かィ!?」



 そいつが俺を抱きかかえた。

 強靭な筋肉と、大量に生えた毛が俺の肌を包み込んでいる。



 ーーえ? 毛?



 思っていたのとだいぶ違う。

 筋骨隆隆の戦士ならば筋肉はわかるが、毛? 毛ってなんだ?



 ゆっくり薄目を開ける。



「怪我はなィようだけど、どうやってここに……ウホ」



 心配そうにこちらを見つめる小さな瞳。背に弓を背負っているダンディな声の主はーー



 だった。



 い や な ん で ゴ リ ラ !?

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