日時計の国? ④

 アメディスは変わった。ヒューゲストキャノンの三発目以降は発射されることがなかった。周囲の国が封鎖を辞め、撃たれない様に物資支援を行ってくれる様になったのだ。国民の生活も豊かになり、街に活気が溢れる様になった。

「ちょっといいもの食べられる様になった」

 未だ配給制は続いているが、物々交換に流しても問題ない程度にテーネは貰える様になった。元々自分で消費しないラム酒などは交換に出している。実は彼、酒は苦くて口に合わない。交換をしている市場で、ラム酒を適当な品物と交換する。まだ物欲が生えるほど定住生活に慣れていないので、自分が使わないものを誰かの役に立てられればそれで充分だ。

「お兄さん、お兄さん。うちの娘、嫁にどうだい?」

「えぇっと……そのボク、お嫁さんもらうほど甲斐性は……」

 街に出ると、その特徴的な烙印から一発で国の重要人物であると周囲に知られていることが分かる。家族が娘を連れてたまに結婚の申し込みをしにくるのだが、テーネとしてはそこまで責任を持てるほど自分に自信がなかった。

 自分と結婚して、幸せになんぞなれるのだろうか。子供も魔の加護を引き継いでしまう。なので断っているが、来る家族来る家族、娘もまんざらでなさそうなのだ。

(参ったなぁ……)

 元々、謙虚な性格から物々交換の会場で出会った人の評判もよく、おまけにアメディスの英雄と来た。安心して暮らせるのはいいが、こうも言い寄られると困ってしまう。環境が変わり過ぎなのだ。


「ふぅ……」

 交換を終え、汗を流す為にシャワールームへ向かう。まだ改修が間に合わず、水しか出ないので居座る人は少ない。その為、自室以外で一人になれる貴重な場所である。水だけのシャワーも嫌いではない。

「ん?」

 だが女のなまめかしい声が聞こえて一気に警戒を強める。たしか、男女共用ではあるがこのスペースに女性の居住者はいなかったはず。もし新たに入ったのだとしても、シャワーを浴びるだけでこんな湿った声は出ない。義手へ意識を向け、慎重にシャワールームへ入る。すると、中に学者の男と見知らぬ女がいた。

「お、テーネじゃないか」

「な、なにしてるんですか!?」

 共用なので女性がいることについては強く言えないが、女性の裸を見てしまった気恥ずかしさから顔を赤くして彼は目線を反らす。ただシャワーを共用しているだけではなく、妙に密着している。食料事情から痩せてはいるが、顔立ちは整った美人さんだ。

 その意味が分からないほど、テーネも幼くはない。

「何って、ヒューゲストキャノンの完成以降妙にモテる様になってね。まさに入れ食いさ、はは」

「だ、大丈夫なんですか? その、責任と家庭とか……」

 テーネはその心配が真っ先に浮かぶ程度に真面目だ。命の危機に長年晒されても、その生真面目な性格は変わることが無かった。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

「いいのよ。優秀な人の子供が出来ればうちも楽出来るかもだし。坊やもする?」

 女性もそれでいいらしい。この美人に面と向かって素面の時に誘われては、テーネも顔から湯気が出るのではないかと思うほど熱くなって水を被らずにはいられない。

「ふふ、可愛いのね」

「おいおい、俺の相手をしてくれよ。妬けちゃうだろ?」

「あ……んっ」

 満月も遠いのに、彼は悶々とした気持ちを抱えてそそくさと水浴びを済ませてシャワールームを出る。生活に余裕が出たのはいいことだ、と自分に言い聞かせつつ。


「えー、全ての桁の数字を足して3の段の数字になる場合、その数字は3で割ることが出来ます。掛け算は9×9まで暗記するのが基本ですが、それ以降も応用を利かせれば即座に暗算できるようになります」

 ヒューゲストキャノンの発射はテーネに相変わらず委ねられているが、発射の機会は当分ない。すると各敵国への軌道計算も済んでしまって当然仕事もないので、彼は学校を開いて子供達に数学を教えている。

 今までは子供も労働力としなければならなかったが、今はその必要がなくなりつつある。今後を考え、人材育成に回せる余裕が出て来た。まだ校舎はなく、青空教室だが子供達はよく学んでいる。教師もいないが、教えられる者が何とか持ち回りでやっている。

「先生、ここどうやるの?」

「ああ、ここはね。間違えた計算式は消さない方がいいよ、あとでどこ間違えたか確認できますから」

 その中でもテーネは分かるまで付き合ってくれる上、教え方も丁寧だと評判がよかった。それが結婚話の多さを加速させているのだが。彼は決して天才ではない。趣味の範囲でやっていた数学にのめり込んだだけの、物好きな少年に過ぎない。幸い、過去にしっかり学習する機会があったため独学でやっていた頃よりは難しい問題を教えられるまでになった。

 他の子供達と同じ条件から、単に好奇心が勝るだけの状態で数学を修めていたため彼らの分からない部分を理解した上で教えることが出来る。

「テーネ先生、そろそろ」

「あ、来たんだ。『チューシャ』」

 授業をしていると、白衣を着た集団がやってくる。外の国から医療品が届けられ、それが子供達に回ってきたのだ。病気を事前に防ぐ『ワクチン』というものらしいが、聞きなれない言葉に子供達は不安そうな顔を見せる。

「先生、チューシャってなに?」

「うーん、ボクも初めて聞くなぁ」

 長らく旅をしてきたテーネにも効いたことのないものである。むしろ、旅をして定住することがないからこそ技術革新には疎いところがある。

「国の偉い人が試しているから、大丈夫だよ」

 毒物が送られてきていないか試すため、兵士が事前に使用して安全を確かめている。それによれば問題はない様だ。研究所でもワクチンというものの解析が行われており、あからさまな毒物ではないことだけは確証がある。

「じゃあ、先生が実験台になるね」

 子供達を安心させるため、彼はいの一番に名乗りを上げる。白衣の男達が鞄から取り出したのは、針の付いた器具と瓶だ。その明らかに異質な様子にテーネは青ざめる。

「何それ?」

「先生?」

 子供達を怖がらせない様に、必死に堪えている。白衣の男が瓶に針を刺し、容器を引っ張って中の薬剤を容器に吸い込む。針を上に向け、容器の部品を押し込んで薬剤を針から垂らす。

「針から液が……」

「これは注射器といって、体内に薬剤を入れる最新の医療器具です」

「へ、へぇ……」

 どういう仕組みなのか分からないが、テーネは子供達の為に必死で強がった。こんな細い針にどうやって薬剤が通っているのか。体内に入れるとは、飲むとかではないのか。と色々な思考が去来する。

(た、確か針から毒を注入する魔物がいたかな……)

 魔物の構造を応用した器具なのだろう。兵士が試したのなら大丈夫か、と思い勇気を出してテーネは注射を受けることにする。

「では腕を出してください」

「は、はい」

 右利きなので咄嗟に義手の方の袖を捲ってしまったが、こっちではないとすぐに左へ替える。

「はいチクっとしますよー」

 こんな小さな針など、今までの怪我からすれば大したことないのだろうがどうしても身構えてしまう。腕に針が通ると、チクりとした痛みが脳へびりっと伝わる。

「おぉふ……」

 腕を切断された経験のある先生がこんななのか……と子供達は震えていた。終わったあと、テーネは涙目になりながらなんとかフォローする。

「ほ、ほら、戦ってる時って集中しているから案外気にならないっていうか、今はそうじゃないから緊張したっていうか……」

「ほら、テーネ先生って蜂とか蛇にもビビってたし」

 外で授業をしていると、たまに飛んでくるミツバチに恐れおののいてしまいそれもバッチリ見られている。普段から特別臆病な面があると知られていたおかげで子供達も彼の脅え具合に反してすんなりと注射を受けてくれた。


「えっと、次の課題は……」

 テーネは授業が終わると、研究所で子供達の集団ごとの習得度を確認しながら次の授業を準備する。正直、一人でヒューゲストキャノンの調整をしているより数段やりがいもあるし、楽しい。満月の日だけは休まねばならないが、こうしてこの国で子供達に数学を教えながら暮らせればそれでいいかなと思いつつある。

「テーネ、よいか?」

「門番長?」

 作業中、門番長に呼び出される。国防担当の中では地位の高い人物であり、彼に呼び出されるということはかなりの重要案件だ。今までは国の状態が状態だけに避難通路の整備などであったが、最近はまるで違う。

「国王もいらっしゃる。王城へ来てくれ」

「はい。今すぐ」

 彼は少し後ろ髪を引かれる様な気分になりつつ、研究所を後にした。

 王城の会議室には、国の重役、といっても彼にとっては見知った面々が集まっていた。地図に駒の様なものを乗せ、いつになく真剣で重苦しい空気が流れる。

「来てくれたか。斥候からの情報によると、他の国が増援を呼んで我が国の侵攻を試みているらしい」

「なんですって?」

 国王は状況をテーネに伝える。やはりこのままアメディスを野放しにはしてくれなかった。あのヒューゲストキャノンの脅威は周辺国のさらに隣国にもあると判断され、より大きな連合が生まれようとしていた。

「どうする? 敵国全部に撃ち込むか?」

 門番長は殲滅を打診するが、ことはそう単純ではない。

「いえ、今は周辺国がキャノンに脅えて供給してくれている物資でなんとか成り立っています。それを絶った上で敵がさらに増えるのは避けなければ……」

「ではどうする?」

 老人が尋ねる。門番長と仲の悪い彼だが、その提案を即座に突っぱねない程度には状況が切羽詰まっている。

「今は増援の国が早急の侵攻を主張し、周辺国は慎重な対応をしようとしていて意見が割れている。この隙に対策を立てるぞ」

 いざ増援を要請したものの、反撃で自分の国が危険に晒されるかもしれないと連合の中でも対立が起きている。少し離れている増援の国にとっては周囲の国が多少滅んでも自分達がババを引く前に処理したいところだ。

 なにせ、ヒューゲストキャノンの発射はまだ二回。数時間感覚で大国を滅ぼせる兵器であることは確かだが、自分達の国にまで届くかはまだ分からない。一方、物資を寄越して撃たれない様にしている国の多くが滅ぼされた国よりアメディスに近く、確実に射程へ収まっている。

 かつてアメディスを包囲した国同士でも、その立地から意見がまとまっていない。だが、どこかが腹を括れば一気に状況は変わる。

「たしか、ヒューゲストキャノンには最初に撃つべき座標の式があったな」

 国王はふと、設計図に記された謎の数式を思い出す。あれは研究所でも意味を理解出来なかったため、放置している。結果、それに従わなくてもキャノンの運用は問題なく出来ているのだが。

「もしかしてあれはヒューゲストキャノンが真の力を発揮する為のもの、もしくは全世界にその威力を示す為のものではないか?」

「世界に威力を……?」

 国王の意見にテーネは少し思い当たるところがあった。というのもあの式通りに発射すれば、例えアメディスが地図の端でも対角線上の端を軽く超える距離まで砲弾が届く計算だ。

「たしかに、あの式通りなら理論上世界のあらゆるところを砲撃可能ですが……」

「それなら、射程外だから今の内に攻撃しようとしている国にも牽制出来るな!」

 彼の一言で会議は少し明るくなった。どの国も標的に出来る、という事実の提示が出来れば状況も変わるはずだ。

「あの、ですがちょっと心配なこともあって……」

 だが、テーネにはそれをやることに懸念があった。彼が見せたのは、芋の様な置物。資料に紛れていた、出土品の一つだ。

「それは?」

「これは設計図と一緒に出土したものです。この模様とあの世界地図の模様を見比べて下さい」

 置物の模様は、壁掛けされた世界地図に記された大陸に似ている。この世界地図はテーネが散々、最初に撃つべき座標の式を解くために書き込みをしたものだった。

「ヒューゲストキャノンの設計図が出土したのはここ、そしてアメディスはここ。決して近いとは言えません。そしてこのキャノンはどこで作られて運用されるかが不明なのに、この式には固定の数値が入れられている。これでは、この式を書いた当人にも着弾の予測は出来ません。今計算しているボクにもある条件を前提にしないと予測が出来ないんです」

「ある条件?」

 彼はまずありえないこと、と念を押してそれを伝える。

「これはボクの心配し過ぎ、まさかそんなことありえないと一笑に付してくれれば幸いなんですけど、ここに世界球体説を当てはめると話は変わるんです」

 世界球体説、この芋みたいな置物はそれを前提にした世界の模型だ。

「世界球体説では世界は球体、丸でありそのため、真っすぐ進めばいずれ元の場所に戻ってくるんです。その前提で式を解くと、固定の数値が初めから入っている理由も分かるんです」

「まさか……」

 老人は概ね、その答えを察した。テーネもそれに応じて、自分の仮説を続ける。

「はい、この式は世界をぐるっと一周して元の場所……ヒューゲストキャノンの場所に戻ってくる式なんです。だからどこでキャノンが建造されても、固定値でよかったんです」

 自爆させるための罠。それがあの数式の答え。だが、会議に集まった者の大半が信じていなかった。

「まさか、世界球体説自体がオカルトではないのか?」

「もしそうだとしても、一周して少し余る程度に式を組み直せばいいのではないか?」

 世界を一周するなら、それより少し長く飛ばす。それもテーネは既に計算していた。

「はい、理論上は可能ですがキャノンがそれだけの威力を出せるのかは不明です」

 つまりは賭けだ。それを踏まえてテーネは現実的な案を持っていた。

「なので、新たに増援となった国の中から一番遠い国を標的にするのが最適かと」

「いや、それではダメだ」

 だが、国王は反対する。長い間、国民に苦労を掛けてきたからこその判断でもある。

「あれを撃つのにも、莫大な資金がいる。一番遠い国を撃てば、脅威に感じた更に遠い国々がまた新たな連合となるだけだ。それを繰り返すのは、血を吐きながら続ける遠駆けに過ぎん。可能な限り、一発で脅威を示すべきだ」

「国王様……」

 そして国王は珍しく強い口調でテーネに命じた。

「あの式の通りにヒューゲストキャノンを放て。これは王命だ。逆らえば……分かるな?」

「はい」

 その意図を彼も汲み取る。十中八九、世界球体説を前提にした理論はありえない。だが万が一それが当たってしまった場合、全ての責任は取る。そういうことだ。


 とはいえ、自分の引き金でこの国の運命が決まる。その重圧は他国へ撃ち込む時とは比べ物にならないほどテーネを襲った。失敗、否成功してしまえばこの国は間違いなく滅びる。そうすれば、子供達も巻き添えだ。

 会議が終わった後も動くことが出来ず、テーブルに突っ伏して自分に暗示をかける。

「大丈夫……世界球体説なんてありえない……ありえない……」

 絶対ありえない。そう思ってはいるがどうしても砲弾がアメディスを撃ち抜く光景を拭えない。声は震え、歯の根が合わない。学ぶということは世界の解像度が増すということ。それは、良い意味でも悪い意味でも。

「テーネ」

「……っ!」

 声を掛けられ、彼は咄嗟に起き上がる。そこには学者の男、老人、門番長と見慣れた顔があった。

「少し提案がある。子供達にヒューゲストキャノンが発射されるところを国の外から見せたいんだ」

「え?」

 彼らは意外な案を持って来た。次にキャノンを撃つ時、それは例の式に従って撃つ時だ。

「何もなきゃただのピクニックだ。もしなんかあったら……子供達だけでも助けられる」

「まさか頭でっかちのジジイと同じ意見になる日が来るなんてな」

 普段はいがみ合っている二人も、揃ってテーネの意見を重く受け止めている様だ。

「みんな……ありがとう」

 テーネは三人の想いに感謝し、深く頭を下げた。思えば、こうして誰かに感謝できる様なことをされるのも久しぶりだ。

「おいおいよせよ、何もないかもしれねーんだからさ」

「そ、そうだね……」

 今、テーネに出来るのは世界が丸くないことを願うだけだった。

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