生きていくために

 五十人以上のバスターを殺害する騒ぎになってしまった為、テーネはほとぼりが冷めるまで花街を離れることになった。事件の調査隊が来るまでの間、ギリギリまで療養してから港へ向かい、船に乗って海へ出る。

「……」

 暗い夜の海を進む古い帆船。テーネは少し落ち着きなさげに、ベッドに座っていた。クラリアと二人、同じ船で旅をすることになった。

「船苦手?」

「え、えっと……沈まないか心配で……」

 彼女は悪戯っぽく笑って聞いてみた。やはり、根っこは臆病な少年だと分かり少し安心する。

「それに、お沙汰もまだなのにクラリアさん来ちゃってよかったかなって」

 とはいえ、自分よりも年上なだけありちゃんと心配すべきことも考えていた。

「実家に資料探しって言ってあるから大丈夫。嘘じゃないし」

 クラリアの実家が没落した一連の事件は劇場の支配人が仕組んだことであった。その証拠を改めて探す、と公には言っているが実際のところただの里帰り。何かあればラッキーで基本は心を切り替える為に、見知った土地で休みたいだけだ。

「そろそろみんな寝静まったかな……」

 夜が更け、他の乗客が眠っただろうと踏んでクラリアはテーネの隣に腰かける。ベッドが二人分の体重で軋む。劇場のそれより良い寝台ではないが、彼女らの体重はブクブクに太った支配人のそれより軽く、音も小さい。

「っと」

「わっ……」

 彼女はテーネを抱き寄せてベッドに倒れ混む。そして、彼の上に乗って困惑する瞳を見つめた。

「ねぇ、ちょっとずるいお願いしていいかな?」

「う、うん……なんでも……」

 男達の劣情に晒され、弄ばれた身体を引き摺っていては、気持ちも切り替わらない。どうせ純潔を失った身ならば、この人ならと思える人に塗り潰してほしい。

「私……平気そうな顔してるけど、凄く傷付いてるの」

「うん、わかってる」

「好きでもない人に身体ベタベタ触られるのって、苦痛よ?」

「よく、わかる……」

 テーネは話を合わせてくれているというより、心の底から共感してくれているのがわかった。見た目より長生きしている様なので、経験くらいはありそうだ。

「だから、もしあなたがよかったら……私の嫌な記憶を、幸せで塗り替えて……」

 遠回しな言い方な為か、テーネは目をパチパチさせて困惑する。クラリアははっきり言うのが恥ずかしく、彼の耳元で直接懇願した。そうしてようやく、テーネに意図が伝わる。

「……優しくして、くれたら……」

 テーネは顔を朱に染め、身体を抱いて応じた。そこからは熱烈、というより穏やかで暖かい夜が続いた。劣情のまま求め合うのではなく、互いを思い遣りながら傷を埋める時間。

 生身の左手を、指を絡めて繋ぎ、熱を確かめ合う。テーネの方が不慣れなのか、足をピンと伸ばして目を固く閉じ、湿った声が大きくならないように耐えていた。

「初めてだったらごめんね?」

「初めてじゃないよ……見栄張ってない……」

 心の底から心地いい時間であった。脳の奥から熱い汁の様なものが溢れ、全身を熱に浮かせる。一度果てても、肌に触れ合い他愛もない会話をするうちにまた交わりだす。そうして肌を重ねること、一体何回だろうか。

 いつしか二人は抱き合って眠りについた。クラリアが途中で目を覚ますと、まだテーネは眠っていた。今はどの時間帯だろうか、帆船の客室には窓がなく、外が見えない。

「……」

 ベッドの脇にあるデスクには、クラリアが信仰していた神の印が置いてあった。彼女はそれを手に取ると、甲板へ向かう。まだ起きている者も客室にはいない。二人の夜を知るものは、この世に当の二人だけ。

 外はちょうど朝日が昇るところだ。波も風も穏やかで、彼女の心を表しているかの様であった。

 海の中には魔物がいるのだろうか。だが今は、魔物に殺されるのを待つのも、ましてや自ら命を断つ必要もない。

 クラリアは神の印を海へ、持てる全力を使い投げ捨てた。神はいなかった。だが、明日はある。その未来をくれたのは、皮肉にも神ではなく魔物であった。

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