陰謀、その向こう

 再び重傷を負ったテーネを部屋に運び込み、クラリアとミリアムは手当をした。魔の加護持ちと知れてはここにいられないと固辞するテーネであったが、指一つ動かせる状態ではないので抑え込むのは容易だ。

「知ってたんですね、ミリアムさん」

「教えることでもないし、教えても気持ちは変わるまいて」

 ミリアムは初めから魔の加護、テーネの左頬に刻まれた烙印の意味を知っていた。確かにこれを知ったところでテーネへの印象が変化するわけではない。

「私の見込んだ通り、いい子だよ。ちょっとあわてんぼうで頼りないけどね」

「そうですね」

 支配人は酒蔵の火事が原因で現在、失踪している。ミリアムが生きて返ったのもあるが、監視役の男が持っていた追憶の鏡を彼女が持ち帰り、中の映像にしっかり自白が記録されていることを確認している。支配人も風俗関係を取り締まる役人に賄賂を渡して取り締まりをかいくぐっていたが、バスター絡みの事件となれば他の部署が顔を出す。

 特に加護を管理する加護の神殿は、金で動く組織ではない。魔物という目前の脅威に対処する場所故、そんなはした金で役目を放棄しては結局自分も危ない。

 テーネも追憶の鏡に写っていたが、今回は逆に好都合。魔の加護を持っていても善良である証拠になってくれるだろう。

「この子、どこで加護を……」

 こんな弱虫が自分から人斬りの能力を欲するとはクラリアは考えられなかった。テーネは今のところ、ぐっすりと眠っており寝返りすら打たない。殺していい、と公のお墨付きがあるとなると、眠るのも安心して出来ないだろう。

「加護がある親から生まれると子も魔の加護を持つのさ。そうして人間を分断する……あとは、自分の配下に人間を襲わせて半生半死のところを漬け込んで契約するとか、やり様はいくらでもあるさ」

 魔王が活発だった時期というのは今では考えられないくらい危険があちこちに潜んでいた。それでも三世代以上は昔の話になるのだが。

「魔の加護を受けると老化しないんだってさ。この子、多分一人で長い間苦しんできたんだよ。なんとかしてやれるといいが……」

 加えて、テーネは見た目以上に生きている可能性がある。あの夜、一人で泣いていたのは傷の痛みではない。あの年齢から周りを頼れずに生きていた、その苦痛を吐き出していたのだ。

「支配人もいなくなったし、ここならなんとかなるかも……」

「そうだね。下手に大きな街だとバスターと出くわすだろうし」

 花街も平和になりそうな現在、彼にとって安住の地になれるかはまだ分からない。だが、少なくとも劇場のみんなはミリアムを助けてくれた恩義もあって協力的だ。

「んじゃ、私は報告を上げにいくからこの子のこと頼んだよ」

「はい」

 ミリアムは事件の参考人として、加護の神殿が行う沙汰に出廷することとなっている。そこでどうにかテーネへの恩赦を訴える心づもりだ。上手くいけばいいが、そう簡単にいかないだろう。彼が逃げ回っているから知らないだけで、実は魔の加護を取り除く方法が開発されていた、なんて都合のいい話も出そうにない。


 しばらくしてテーネが目覚めた。回復は加護のおかげで早いのか、身体を起こすことくらいは出来る。

「あ、大丈夫? どこか痛まない?」

「あの……ボクやっぱり……」

 少し傷が癒えたためか、やはりテーネはここを出て行こうとする。魔の加護を持つ、それだけでこの心優しい少年はあちこちで追いたてられ続けたのだろう。受け入れられても、自分が安心し切れない。裏切られることへの恐怖があるのだろうとクラリアは予想した。

「みんなテーネにいて欲しいって。だからいいのよ、ここにいても」

「あの……そうじゃなくて……その……」

 彼の心は頑なで、俯きながら膝を抱える。上手く説明できないが、言いたいこと、不安に思っていることがあったのだ。

「ボク、今までずっと一人だったわけじゃない……人間動物園とか、お姫様のペットとか、楽しかったこともあった」

 お姫様の件は恐らく、魔物扱いをいいことにペットという名目で保護されていたのだろうと予想出来る。しかし人間動物園とは、聞いたことのない概念だ。各地の珍しい動物を飼育する娯楽、及び研究施設があるとは小耳の挟んだが、その対象が人間とはどういう理屈か。

「人間……動物園?」

「あ、他の人達は嫌がってたけど、ボクはそれでよかったんだ……。外だと殺されちゃうし、ご飯も食べられるし……」

 語感から察する通り人道に悖る施設ではあったが、そんな場所でさえテーネにとっては安息を与えてくれた。だがそこにもういないということは、何かがあっていられなくなったのだ。

「でもダメなんだ……、なんでだか分からないけど……ダメになっちゃう。動物園はみんな争って巻き込まれるし、お姫様は殺されちゃうし……ボクがいると、ダメみたい……」

 自分ではどうしようもない原因で、さも自分がいたから起きたかの様に不幸が襲う。人間動物園など火種でしかないし、世の中には建前というものを理解できない者がいる。お姫様の件は建前云々以前に革命かお家騒動の切り口に利用されかねない。おそらくテーネがいなくとも早かれ遅かれだったろうが、そういうところしか居場所がなかった。

「テーネ……」

 クラリアは言葉を失う。何を言っても、この悲しみを埋めてやることは出来ない。下手な慰めは無責任でしかない。だから、優しく抱きしめてあげることしか出来ないのだ。

「私ね、死のうって思ってた」

「え?」

 死にたくなくてもがいているテーネには理解できないだろうが、と彼女は話を続ける。

「家族もいなくなって、家も取られて、純潔さえ無くした。だから死のうって。でも、私が信じていた神様は自分で死ぬことを許してくれなかった。だから魔物に殺してもらえる様に、あの川に出かけてた」

 だが、テーネの様な心優しい者が苦しみ続け、支配人みたいな汚い人間がのうのうとしている。こんな世界に神はいるのかと疑問が沸いてきた。

「おかしいよね。私の信じてた神様、世界を作ったんだって。そんな凄いならテーネのことくらい助けてくれてもいいのに。神様は乗り越えられる試練しか与えないって教えられたけど、もう無理よね?」

 彼はクラリアの胸の中で頷く。一個一個は確かに超えられるだろうが、だからといって何百個も試練を与えていいわけではない。もう限界なのだ。彼はその後も泣き続けた。それはすすり泣きから徐々に大きくなり、ある時から堰を切った様に声を上げて泣いた。

 今までは一人で泣いていることしか出来なかった。だが、クラリアはこの悲しみを受け止めて考えを改めた。

(神は、いないのね)

 自分の信じていた神はいない。自身に降りかかるだけの試練なら、何とか信仰を保てた。だがこのテーネという長く生きているだけの子供に課せられた罰は、罪も不明瞭なのに重すぎる。こんな世界を作る神などいない、いていいはずがない。信仰を捨てるのなら自ら命を絶つことも出来たが、そのつもりもない。

 これからはテーネが安心して暮らせる様に、支えていこう。クラリアはそれが今まで屈辱に耐えた意味なのだと信じていた。


   @


 数日でみるみるテーネは回復していった。以前の負傷もそうだが、やはり回復力が段違いだ。

「はぁ、やっぱ賄賂ってたねぇ……」

 ミリアムはテーネとクラリアのいる部屋でお沙汰の状況を伝える。加護の神殿側が烙印持ちを雇っていた咎で支配人を捕まえたくとも、風俗を取り締まる側が反対しているのだ。支配人の失踪は神殿側の刺客から逃げているのだなどとも言っている。

「テーネの件はどうです?」

「芳しくないが、まぁ関係ないねぇ」

 加えて神殿側はテーネの警戒を解く気はないらしい。レベルの高さがそのまま犠牲になった人数の多さを示しているとのことだ。ミリアムも当然、それは殺しに来るからいけないのだと弁護したが、それが通じる相手ではない。だがその程度で彼女らの方針は変わらない。

「……」

「向こうも積極的に戦いたくはなさそうだし、安心しておくれ」

 テーネは居心地悪そうであったが、相手のレベルが高いとなると神殿側も簡単に手を出せないのだろう。近くの大きな街であるエンタールがバスター不足の現在、派遣する人員もいない。

「んじゃ、私は早いとここの劇場と街を立て直すかね」

 ミリアムは支配人という明確な悪の消えたこの街を再生する為に動きだしていた。元々健全な娯楽の街だったので、出て行った人も多いが死に水を取る、骨をうずめるつもりで潜んでいた当時を知る者もいる。そんな人達に声をかけて忙しい日々を送っている。

 彼女は部屋を出て、仕事に向かう。時折ここに来てはテーネの様子を気にかけてくれるのだ。

 クラリアは昨今のことがあって周囲に気遣われているのか、あまり仕事が回ってこない。仕事らしい仕事といえばテーネの看病くらいだ。毎日包帯を変えていると、見違えるほど傷がどんどん治っていくのを目の当たりにする。止血は早いが、青痣は少し時間が掛かるらしい。

 義手と生身の境目を目にすることとなるのだがどういう理屈でくっついているのかはまるで分からない。右腕、肘の少し上まである鋼鉄の腕。金属の部品が上に被さっている様に見えるが、魔法の道具に類するものなのだろうか。

 触覚はない様子で、あれだけの攻撃を受けたのに大きく破損もしていない。欠けや擦れもいつの間にか消えている。

「不思議な義手ね……」

「お姫様がくれた、凄いものなんだ」

 例のお姫様が用意したという。王族がその財をつぎ込んで作ったものなのだからやはりそんじょそこらの代物ではない。魔物を裂くことも出来、いなくなった人の愛が彼を助け続けていると思うとクラリアは少し嬉しくなった。

「そうだ、お茶淹れますね」

「大丈夫?」

 時を見てテーネはお茶を持ってこようとする。しかし以前の様子を見るに心配しかない。

「ソーサー、というのを使えばいいんだね」

 砕けた話し方になったのは、少し心を開いてくれたのだろうか。いやそんなことよりソーサーだけではまた砂糖を忘れてしまう。そんな指摘をするより先に彼は扉を開けて部屋を出そうになった。

「え?」

 その向こうには、いなくなったはずの支配人がいた。そして乾いた音がしたかと思えば、テーネが悲鳴を上げて座り込む。

「ぎゃっ……ぁあああっ!」

「テーネ?」

 太ももからはドクドクと血が出ている。支配人の手には煙を上げる、見たことのない物体が握られていた。筒の付いたドアノブらしき、奇怪な存在だ。

「ようやく戻ってきた……最初からこうすればよかったんだ……」

「あんた……!」

 痛みに呻きながらも倒れず、道を開けないテーネ。支配人はクラリアの睨む視線も気にかけず、朗々と自分のことを語る。

「舶来の鉄砲とかいう品だけ持ち出せてよかったよ……。私の邪魔をする役人の娘である貴様を手籠めにして尊厳を踏みにじり尽くす、その腹積もりが全く無関係なところで頓挫するとは」

「どういう……こと?」

 クラリアは自分の家を没落させた一連の出来事が、全て仕組まれていたことに気づいた。だが、信じたくはなかった。真っ当に仕事をしている父への逆恨みが為に、家族を全て巻き込んだ策略を図るなど。

「鈍いな! お前を私の物にして、その大事に大事に保たれた純潔の全てを散らし尽くして、散々邪魔されてきたことへの仕返しが完成するのだ! 一時はどうなるかと思ったが、鉄砲とやらは中々のものらしい。魔物に効く祈祷の弾丸は魔の加護持ちにも効くか」

 テーネの横を通り過ぎ、クラリアに近づこうとする支配人。だが、彼がズボンの裾を掴んで止めようとする。死にたくはないが、かといって誰かを見過ごせるわけではない。このブレこそがテーネを長年に渡り苦しめた。

「まだ動くか!」

 支配人は鉄砲の引き金を引き、その弾丸を彼の右肩に命中させる。後ろにも血が吹き出し、木造の床が捲れた。

「うわぁああっ!」

「お前を殺して名誉を挽回させてもらうぞ、化け物め!」

「がはっ……ぁ」

 立て続けに四回、テーネに弾丸が撃ち込まれる。彼は血だまりに倒れ、浅く呼吸する。血の混じった咳をし、息をするのも苦しげだ。

「テーネ……テーネぇっ!」

 見たこともない武器による攻撃で、みるみる瀕死に追い込まれる彼を見てクラリアは足がすくんだ。支配人は弾を補充しており、まだ攻撃の手を緩めない。

「お願いします……もう、やめて……」

 クラリアは支配人の下に駆け寄り、懇願する。まだ彼は助かるかもしれない。自分さえ我慢して、犠牲になれば。

「私はあなたのものです……だから……」

「いいだろう。ほとぼりが冷めるまで海へ出よう。そこで溜まりに溜まった船乗り共にも可愛がってもらうんだな」

 へりくだるクラリアに満足した支配人は彼女の腕を掴み、部屋を出る。その間際、振り向いて装填された6発の弾丸をテーネに全て撃ち込む。

「い、いやあぁああっ!」

 最後の一発は起き上がりかけた彼の額に命中する。ぴくりともテーネは動かなくなり、瞼さえ閉じようとしない。

(本当に……神はいないのね……)

 真面目に働いてきた父が恨まれ、家族を巻き込んで陥れられる。周囲に命を狙われながらも懸命に生きた少年は無残にも殺される。神というものがいかに空虚な存在かを、嫌と言うほど思い知らされた。信仰を胸に正しく生きても、その果ては汚い悪人の慰み物。綺麗なまま死ぬことすら許されないというのか。

 支配人は部屋の扉を閉じ、劇場を出るべくクラリアを引っ張って足早に歩く。そのせいで聞き逃していたのだ。


 殺戮の音を。

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