心優しき者への烙印 ①

「ん……っ、んん」

 支配人の寝室でまだ暗いうちに目覚めたクラリアは、自分に覆いかぶさる支配人をどけてベッドから降りる。一人分の体重が減り、ギシリと寝台が軋む。この音も随分聞きなれたものだ。彼女はシーツで身体の濡れた場所を雑に拭うと、支配人が着ていたガウンを拝借して執務室に移る。

 脂っぽい匂いが付いており着るのも躊躇われるが、女物の服は着用に時間が掛かる。手早く済ませたい今はこれを羽織るのが楽だ。

「さて……」

 魔法石のカンテラを手にし、石に触れて光を付ける。優しい光が暗い室内を照らす。魔法が使えなくとも魔力の恩恵で作られた品は使える様に製造されており、このカンテラもその一つ。雨などで消えない便利な旅の道具、というのが本来のところだがやはり支配人は流行りの品を並べて自慢したいというだけで持っていることが多い。

 とはいえ、わざわざマッチなどを探す手間もろうそくの長さを気にすることもないので便利なのは確かだ。ここ数日、クラリアもその恩恵にあずかっている。

「相変わらずね……」

 しかし本の並びはめちゃくちゃ。応接机や執務机、果てには直射日光の当たる窓際にまで分散し、インテリア扱いされているが故に探すのは手間だ。夜が明けるまで相手をさせられる晩もあるので、時間を取れること自体貴重。何とか目的の文献を探す。

「あった」

 おそらくこれだろうか。『加護と烙印の基本』というタイトル。クラリアの父は汚職を取り締まる役人だったが、家に仕事を持ち込む人物でなかったためそれ以上のことは聞いていない。基本知識である、魔物を倒す為に加護という力を得たバスターが、その力で人を殺めた場合に烙印が刻まれる程度のものしか知らない。

 彼女は急ぎ足で部屋を後にし、テーネのいる部屋へ向かった。支配人はミリアムのことを避けており、彼女が確保しているエリアは動揺に避けているため使用しない。あまり使われない場所だからこそテーネを匿える。限られた力でもこういうセーフティを設けていることからミリアムが周囲の信頼を集める理由である。

「あら」

 部屋に入るとミリアムはおらず、見知った別の顔がいた。

「どう? 用事済んだ?」

 同僚の少女がクラリアの持つ本を見て聞く。

「ええ、多分これに」

「そう、じゃあしばらく交代ね」

 少女は彼女の肩に手を置き、部屋を後にする。支配人はお気に入りを囲うが、女の子の側から言い寄られると舞い上がってまんまと策に乗る。その単純かつ浅はかな思考を逆手に取り、彼女らは互いに庇い合って生きている。

「ええ、ありがとう」

 死を願ってこそいるが、クラリアは他人の行為を無下にはしない。部屋のベッドではテーネが丸まって布団に潜っているが、耳がどことなく赤い。髪が濡れており、湯上りなのだろうと思われる。まだ傷が治っておらず、動くのも辛いためおそらくあの少女が湯浴みを介助したのだ。

「あの子……」

 多分あの少女の性格から相当からかわれたのだろう。そんなことはさておき、デスクで持ってきた本を読む。

『魔界より押し寄せ、人々に暗雲をもたらした存在、魔物。それを討つべく、神々は人に加護を与えた。加護を受けた魔物を討つ戦士、それはバスター』

 クラリアが信仰しているものとは別の神々のことである。先日、川で彼女らを襲った様な存在が魔物であり、普通の人間は到底太刀打ちできない。加護を受けることで運動能力や生命力の向上、魔法など特殊技能の使用が可能になる。

 半生半死の状態で身体を切り刻まれてもテーネがなんとか生きながらえ、義手から光の刃を繰り出したのも加護によるものと考えられる。

「あの子、ジョブは何なのかしら……」

 定点の守護に適した『門番』、レイピアを華麗に使いこなす『フェンサー』、魔の者を見抜き呪いを浄化する『審問官』など、加護の種類を職業になぞらえて『ジョブ』と呼ぶ。バスター当人が自ら示せば内容は分かる。

(それぞれの素養に合わせてジョブが……ここはいいかな)

 目的のページを探す為にある程度読み飛ばす。当人の素質、加護を得て鍛え上げた能力で受けられる加護は変化することはまぁどうでもいい。しかしあんなゴリゴリに前線で戦う、それどころかそもそも戦い自体向かなそうなテーネが加護を得ているのは不思議なものである。才能と性格が合わないというか、死に脅える普通の男の子でしかない。

(バスターや魔物の能力を客観的に計測したものがレベル……これもいいや。……あった!)

 しばらく読み飛ばすと、お目当てのページを見つける。烙印に関する記述だ。やはりというべきか、烙印には種類が存在していた。

(加護で得た魔法や特殊技能で悪事を働き、沙汰を受けた者……そして過失によって人を殺めた者の烙印……)

 黒字に黄色の縁取りが光るタイプの烙印。これは沙汰を挟むが人を殺すとノータイムで刻まれるらしい。命を奪わない悪事、もしくは明白な殺意なく事故で殺してしまった場合はこのタイプ。

(ということはこの辺の烙印持ち相当危ない?)

 橙の縁取りは故意に人を殺めた場合の烙印である旨も記されている。花街で用心棒をしている烙印持ちは自分のしっかりした意志で人を殺した危険人物。見せびらかして自慢している時の殺人トークはハッタリなどではなかった。

 話だけは聞いていたが、こうして書籍に記されていると改めて身震いがする。この街はやはり異常だ。ミリアムが歌姫だった時代は烙印持ちも少なかったらしいが。

「殺されるんなら魔物がいいわね……」

 人間の男だとこれ以上穢された上で殺される恐れがある。それならばまだ痛くても魔物の方がいい。

「あれ?」

 読み進めると、テーネにあった赤い縁取りの烙印に関する記述がない。段々黄色から赤みが増しているのでてっきりこの先にあると思っていたが、すっぱりと烙印に関する章が終わっている。本も残りページが少ない。

「えーっと……」

 足音を立てない様にベッドへ近寄り、そっとテーネの顔を見る。見間違いなどではなく、烙印は赤い。

「見間違い……じゃないよね?」

 現実逃避のはずが、ますます気になってしまう。ミリアムはよく知らないと言っていたが、他の女の子に聞く様なことでもないので自分だけで調べていた。

「ぅう……ぐすっ……」

 テーネは本を読んでいる間に眠ってしまった様だが、うなされている。強く閉じた目からはボロボロと涙が溢れ、がたがた震えていた。

「やだ……痛い、死にたくない……」

 この明らかに劇場で働かされている女の子より年下のテーネが命の危機に晒されながら戦っているのかは、顔の烙印以上に不明な点であった。しばらく頭を撫でてやると、ゆっくり呼吸が整い安堵したかの様に震えも止まる。

 サラサラした指ざわりの銀髪だが枝毛が時折指に触れる。本当なら戦う様な子ではないはず。

「えーっと……」

 デスクに戻り本の続きを読むと、加護の種類リストの様な辞書ページに突き当たる。ここに探している情報はないだろう。ページを戻って、改めて烙印の記述を探してみたがあまり有益な情報は得られなかった。

(加護は年齢よりも能力が重要。定められた能力に達していればどれだけ若くても上位の加護を受けられる)

 あの性格だ、きっとテーネは合わないにも関わらず加護を受ける素養があるからと強い魔物に挑んで人々を守り、傷つき続けたのだろう。右腕を失ってもなお、力への責任として戦うことを辞めない。臆病さと果敢さの矛盾を説明するにはこの仮説しかなかった。

「優しい子なのね……」

 最初に会った時も、あれだけ死に脅えていたにも関わらず自分を見捨てず、身を挺して助けてくれた。起き上がるのも困難な傷を負っても周囲に迷惑が掛からないかを考えてしまう。そんなテーネが報われることを願わざるを得ない。

「朝か……」

 本を読んでいると窓に朝日が入り込む。クラリアはテーネが目覚めてしまわない様にカーテンを閉め、仕事に出た。


   @


 この劇場による踊りは、踊り子の技量や伴奏とのマッチを楽しむといった上等なものではない。半裸の踊り子がいやらしく身体をくねらせるのを見て、客は劣情を燃やす。舐める様にその美しい肢体を見つめ、今夜の相手を見定めて『買う』。かつては歌や踊りを純粋に楽しむ大衆の娯楽場であったこの劇場も、すっかり無法者の爛れた欲求を満たす為の場所になってしまった。

(今日も相変わらず……)

 クラリアは支配人の『お気に入り』であるため、客に買われることはない。場を暖めるのが仕事だ。しかし買われないからといってそのしなやかな身体をいやらしく眺める下衆な視線が途絶えることはない。

 鮮やかな布地で胸元と腰だけを覆った衣装、最初は一人で着ているのも嫌悪があったが慣れるものである。薄く施したメイクも、家のお作法で習ったものとは違って戸惑いがあった。だが、思い出の中にある知識をこんなことに使わなくて済むのは最後の尊厳が守られている様な気がした。

 腰布が揺れ、白い太ももがちらりと覗く。汗ばんだ肌が照明を弾いて輝く。激しい踊りで顔が上気し、濡れた髪が張り付く。

 足の怪我を治して数日ぶりに舞台へ上がったが、妙に客が多く感じた。一番手のクラリアが踊る時は売買の対象でないだけに、開演から少し遅れたタイミングで客が増える。しかし今日は始まりから客が多い。

(ま、いいわ……)

 客の男達が女の子にお酌をしてもらいながら、何やら話をしている。しかし彼女は踊りに集中し、この現実から逃れたようとする。舞台を終えた後に待ち受ける、支配人の寵愛という現実から。


「ふぅ……」

 一通り踊り終えたクラリアは息を乱しつつ舞台袖へ撤退する。そこでは下品な笑みを浮かべた支配人が待ち構えていた。よほど、踊り終えた彼女を抱くのが楽しみだったのだろう。すぐに後ろから抱き着き、汗に濡れた髪の匂いを吸い込む。

「いい踊りだったよ。いくら金を積んでも買えないと知っている客共の悶々とした顔が実に心地よい」

「そう……」

 分かり切ったことだが性格が悪い。クラリアは興味無さげに返すが、支配人はそんな彼女を抱き寄せて歩く。目的地はこいつの私室。ベッドに腰かけ、その膝にクラリアを座らせて宣言通り、丹念に撫でる。何度繰り返しても、険しい顔になるのだけは避けられない。

「甘い香りがするよ、やはりいいものだ君は……」

 支配人は邪魔になる彼女の片腕を持ち上げ、汗でべたつく肌にごつごつした指で触れていく。指の力を跳ね返すみずみずしい乙女の肢体。幾人もの少女を貪ったろうに、よほどクラリアが気に入ったのかなかなか支配人は飽きを見せない。

 ベッドへ転がされ、二人分の重さに寝台が悲鳴を上げる。布地の割に高価な衣装を身に纏ったままだが、支配人がそれを気にすることはない。自身の欲求を満たす為ならば、流麗で犯しがたい繊細な舞の装束を汚すことさえ厭わない男だ。

「っ……」

 支配人は恋人でも気取っているのか、クラリアの手に指を絡めて握ってくる。彼女のことを考えていない力加減のため、痛みに顔をしかめる。基本的にベッドで行われる全てが自分本位だ。


「やっと寝た……」

 そして満足するとさっさと寝てしまう。いつまでも拘束されないだけありがたいことではあったが。ベッドに横たわり、息を吐くクラリアの口紅は滲んでいる。

 案の定、衣装は汚れてしまった。洗えるほど強固なものでもないのだが、使い捨てにでもするつもりなのかと毎度思っている。肌の汚れと崩れたメイクを乱れた衣装で拭いつつ、せめてもときっちり着直して部屋を後にする。物音で支配人を起こさない様に、ゆっくりと。

 月明りが差す廊下を歩く。女の子を買った客も一通り楽しんで眠りについた頃だろう。初めての日は、あまりの惨めさにこの廊下を泣きながら駆け抜けたものだ。もう今はそんなことさえ考えないほど諦観の底に沈んでしまったのだが。

「ん?」

 ある窓に差しかかったところ、誰かのすすり泣く声が聞こえた。この境遇は辛いものばかりだ。信仰する神がいなければ自ら即日、命を絶っていると断言できる程度には。自分はどうなってもいいが、他人までぞんざいに扱う気はクラリアになかった。誰だろうかと窓を開けると、壁の近くで蹲って泣いていたのはテーネであった。

「テーネ?」

「……え? ぁ、あ……」

 声をかけると、彼は強引に目を擦って涙を拭う。

「どこか痛むの?」

「あ、あの……大丈夫……」

 それだけ言うと、テーネは立ち上がって去ろうとする。怪我のせいか動きはぎこちなく、千鳥足だ。

「辛いなら、無理しないでね」

 詳しい事情は知らないが、過酷な経験をしているに違いない。自分達と違ってミリアムの様な出来る範囲で支えようとしてくれる人も、同じ境遇の仲間もいる様には見えない。

「い……いえ、みんなも辛いのにボクだけ……甘えられないから……」

「そんな、困った時は……」

 クラリアの言葉を最後まで聞かず、テーネはどこかへ行ってしまう。彼女の中に、ある疑心が生まれていた。自分のことはいい、だがなぜ他の女の子達が、そしてテーネの様な心優しい者が傷つかねばならないのか。神がいるのなら、こんな残酷な運命を見過ごしているというのか。

 テーネの烙印は一体、何を示すもので何のためにあるのか。ふとした現実逃避が彼を助ける手がかりを得たいという、目的を持ち始めた。

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