その名はテーネ
クラリアは助けた旅人を連れて、急いで花街へ戻る。踊り子や芸人がその技を披露する劇場、酒や料理を楽しむための酒場、ギャンブルに明け暮れる賭場、そして老若男女がその劣情を満たすための売春宿といったものばかりが集まる、非常に爛れた街だ。街並みこそレンガや石畳で整えてあるが、犯罪者の証である烙印を自慢げに見せびらかす柄が悪い男達にだらしなく肌を晒して客を募る女達と街の乱れ具合は誤魔化せない。
そのため、病院や教会、バスターの集まるギルドの様な負傷者を担ぎ込む場所はない。幸いにも自分の属する劇場に手当が出来る者がいたためどうにかなっただけに過ぎない。
「とりあえず一命は取り留めたよ」
「よかった……」
劇場の踊り子たちと取りまとめる歌手の女性がベッドに寝かせた少女の様子を見て告げる。昔は名うての歌姫だったが、劇場の支配人が代わってからはすっかり舞台に立つことはなくなった。喉を自愛する必要もなくなったためかよくパイプをふかしているが、怪我人がいる手前控えるなど気配りの出来る人物でクラリアら踊り子のみならず多くのスタッフに慕われている。
「それよりクラリア、あなたも足怪我してるんだからしばらく舞台は……」
「お酌くらいなら出来るわ」
「働き過ぎは身体に毒だよ」
噂によると働き過ぎで死ぬ、ということがあるらしい。よほど奴隷の扱いが下手な者がやらかすという話なので相当働かないといけない様だが、そういう死に方があると知ってからクラリアは試している最中だ。
「ふぅ、私がどうこう言えるものじゃないねぇ」
「ご厚意は承ります、ミリアムさん」
歌姫、ミリアムはクラリアがここに来てからずっと面倒を見てくれている。自分と同じ様に、行く当てが無い中支配人に買われて働かされている女の子が多い中、自分も愛した劇場が堕落して悲しいだろうに彼女達を支えてくれる。
だが、クラリアの絶望はミリアムの善性一つで覆せるものではない。
「う……ぅ……」
「おや、お早いお目覚めで」
話をしていると、負傷の割には早く少女が目を開け、身体を起こそうとする。
「寝ていなさい、とんでもない怪我だったのよ」
「ぁ……あの……」
ミリアムはバスターを本職にしてはいないが加護を受け、治癒魔法を扱える。さすがにそれだけでは傷を治し切れなかったので薬を塗りたくった後傷口を保護して包帯を巻いてある。出血も多く、まだ意識が混濁している様子だ。
「あの……ご迷惑おかけするのでボクはこれで……いたっ」
まだ傷が治っていないのに、少女は去ろうと起き上がる。上体を起こすのも遅く、非常にしんどそうだ。
「まさか迷惑なんて。うちの子を助けてくれたんだ、傷が治るまで泊めても安いもんさ」
「死にたくないのでしょ? あいつはどうせ気づかないし、他の子もミリアムさんが置いておくなら反対はしないわ」
ミリアムは引き留め、クラリアも同意する。死にたくないし痛いのは嫌なくせに、怪我は治さずに立ち去ろうなど奇妙な行動をするものだ。
原因は顔の烙印だろうか。改めて街の烙印持ちを観察したが、彼らの烙印は腕や肩などに黒字で橙の縁取りが光るもの。少女の顔にあるそれとは違う。長らく花街に留まるミリアムも、この様に赤い縁取りが光る烙印は見たことがない。
「烙印持ちなんてこの街山といるのよ。むしろ隠れるならうってつけ」
加護を受けてバスターになったものが人を殺めると烙印が刻まれる、とは聞いたことあるが、見知らぬ自分を助けてくれたこともありクラリアは烙印に似た何かだと思う様になった。
「あ、ぁ……!」
少女はクラリアの顔を見るなり、赤面して顔を手で覆った。袖から覗く指の隙間から、ちらちらと彼女のことを確認している。適当に見繕った女物でも大きめになる辺り、やはり小さい。クラリアが、必死だったのもあるが一人で運べただけはある。
無骨な義手のくせに、やたら指の仕草は可愛らしい。左腕は生身で比較対象があるから余計にそう感じる。
「その……なんというか……」
「なにかしら?」
少女は消え入りそうな声でクラリアに伝える。なんだかその様子は神妙で、彼女もつい真剣に聞き入る。
「ボク……甲斐性ないしこんなだし……責任取れないけど……」
「なんのこと?」
何の話をしているのか全く見当がつかない。さっき出会ったばかりで責任云々と言い出す理由は、とクラリアがしばらく考えると、薬を口移しした件がふと思い浮かぶ。
「ああ、あれなの? 口移し」
「ぅぅうぅううう……」
さっきまで死にかけていたとは思えないほど悠長な内容に、クラリアは肩の力が抜ける。
「おバカ! 応急措置でそんなこと言ってたらポックリよ! それに女同士で……」
「ああ、その子男の子だよ」
ミリアムがとんでもない爆弾を投下するも、あまり彼女には影響のないことであった。
「あら、そうだったの。てっきり女の子かと。まぁ、でもどうせ純潔も守れぬ女よ私は。気にしないで」
「ふぁ……」
突然、少女と思われた少年は糸が切れた様に倒れ込む。その時、ベッドの淵に頭をぶつけるといううっかりをしてしまう。かなりの勢いだったので部屋に鈍い音が響く。
「だっ!」
「ちょっと、大丈夫?」
あらゆることがいっぱいいっぱいになっているのか、瞼が閉じそうになっている。このまま怪我を治さずに出していいのか、それどころか快復した後も心配になる有様だ。
「とにかく、怪我が治るまでいなさい。あんたみたいなうっかりさんが怪我も治さずにうろうろしてると思うとそっちの方が落ち着かなくて迷惑よ」
「……ごめんなさい」
「そう言えば名前聞いてなかったわね」
ごたごたしており、クラリアは少年の名前を聞いていなかった。彼は名乗ったのを最後に、目を閉じて寝息を立てた。
「テーネ……」
「そう、おやすみなさい、テーネ」
こんな小心者で律儀な人間がなぜ烙印など持っているのか、ますます謎は深まる一方だ。
テーネをミリアムに任せ、クラリアは部屋を後にする。そこを待ち構えていたかの様に太った中年男が声を掛けた。無暗に高級な布地で仕立てた服を着こみ、金遣いの荒さと品の無さを佇まい一つで伺わせる。
「おやおやクラリア、脚を怪我したそうだね?」
「随分と耳が早い様で、支配人」
この男が劇場の支配人。経営や管理はずさんだが、お気に入りの女の子の様子だけは敏感にチェックする。支配人はクラリアの腰に素早く手を回して抱き寄せる。来たばかりの時は近づかれるだけでさぶいぼが出来たものだが、もう慣れてしまったのか何も感じない。
「よいよい、しばらくはワシの酌だけしておれ。踊った後のお前から香る甘い匂いが好きだ、早く怪我がよくなる様にたっぷり撫でてやろう」
「はい、ありがとうございます」
彼女は支配人に心にも思っていない返事をする。既に我慢できないのか、彼はクラリアの鎖骨辺りを服の上から撫でる。
「石鹸の香りがするな、湯浴みでもしたか?」
「ええ、転んだ時に泥まみれになってしまったので」
「足を痛めては大変だったろう、次からはワシが手伝ってやるからな」
普通の感覚ならその場で張り倒すほど心底気持ち悪い発言だが、クラリアはもう嫌悪さえ覚えない。彼女の純潔はこの汚い男に貫かれたのだから。これ以上ない屈辱を受けたら、それ以下の事は最早些事になる。
(私はこの男の所有物だ。物なら心を無くせ)
高貴な生まれであり、それにふさわしい教育を受け、両親からも寵愛されたクラリアには酷な決断であった。信仰する神は自ら死することを許さず、呪いの様に支配人の所持欲か彼女を絡めとる。わざと粗相をして見ても手放す気は見せず、本当にこの男が娘たちを金儲けの道具、劣情のはけ口程度にしか思っていないことが伺える。
(テーネが心配ね……)
心を無にしようとしたが、どうしてもテーネのことが脳裏に過る。あんな見た目だから見つかれば手出しされるかもしれない。さすがに男まで性欲の対象にはすまいが、男だと分かった途端逆上して何するか分からない怖さはある。
(まぁ、精々利用させてもらうわ)
ふと支配人が知的な大人アピールのため、読みもしない本を持っていることをクラリアは思い出す。装丁の綺麗な本は持っているだけでもステータスだ。
「支配人、よろしければ本棚を拝見しても?」
「おお、お前から部屋に来たがる様になったか」
支配人は嬉しそうに下卑た笑みを浮かべる。言葉通りなら目的は本であり、本を建前にしているのだと思っているのなら随分な自惚れだ。どうせ無理矢理連れ込むくせに、と思いながらクラリアは一言言わずにいられない。
「どちらにせよ、お邪魔するのですから。少し調べたいことがありまして」
「よいよい、恥じらう姿も愛おしいぞ」
支配人は肩を抱いてクラリアを部屋へ連れ込む。どうせ死ぬのだから知らないことを無くそうとしなくてもいいのに、育ちの良さがどうしても隠せない。普段、支配人に寵愛を受けている時は天井を見つめて気を反らしているのだが、しばらくはテーネの持つ見知らぬ烙印のことで時間を潰せそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます