殺戮のテーネ バスターサーガ
級長
花街の出会い編
運命の歯車
眠らない夜の花街から少し離れたところに、美しい川がある。日の出から時間も経たないうちにそこを訪れていたのは、粗末な衣服を纏った美しい少女。僅かな陽光をも弾いて煌くブロンドを伸ばし、ゆったりとした服の上からでも分かるほど恵まれたプロポーションの持ち主であった。
(……今日も魔物は少ないのね)
仕事の後、ここに水浴びに来るのが彼女、クラリアの日課であった。辺りを見渡すと丸い身体に大きな尻尾を持つ魔物、ナッツイーターがちらほらいる。魔物とはいえ、大きな音を立てたり松明を振り回すだけで逃げていく様な臆病者だ。
(主よ、汚されぬ様に誇りを抱いたまま死ぬことも許されぬのですか?)
クラリアは服の上から、首に下げた信仰する神の印に触れて問う。魔物は人間が敵う相手ではない。各地の神殿で神々から加護を受けた者、バスターによって討伐される。家が没落する前に、家庭教師から習ったこの世界の基本だ。
無防備にも彼女が街の外に出て水浴びなどをしているのは、魔物に殺される可能性を上げるため。しかし花街が栄えるだけあり周囲の魔物は脅威にならない。それでも、加護を持たない人間ではひとたまりもないものもいるにはいるので機会を伺っているところだ。
こんなことをするより自ら命を絶った方が早い。とっくに純潔を失い、未来にも希望を持てないクラリアには生きる理由がなかった。だが、幼い頃より信じた神がそれを許さない。
「はぁ……」
大きく溜息をつき、水浴びでもしようと川に視線を落とす。すると、普段は透き通っている水に僅かながら赤いものが流れていることに気づいた。上流の方から流れているそれを目で追うと、何かが川辺にあった。
「あれは?」
恐る恐る近づくと、乱れた銀髪の小柄な人物が川岸に上がろうとしたのか、力尽きて倒れていた。
「旅人……私が代わってあげられたら……」
行き倒れた旅人か、それとも魔物に敗れたバスターか。クラリアは首から印を外してこの者の冥福を祈ろうとした。だが、微かに声が聞こえる。指先もピクリと動いており、まだ息がある。
「……助け……て」
「まだ生きてる!」
自分が死ぬことに躊躇いはないが、彼女は他人が死ぬをの見過ごせる少女ではなかった。なんとか川からこの人物を引き上げ、木陰で安静にする。見た目通り身軽で、肉体労働をしないクラリアでも何とか運ぶことが出来た。ただ腰に帯びている剣は少し重いので、一回外してもう一往復して運ぶ。
「あら?」
応急措置をしようと旅人の様子を見るクラリア。その旅人は自分より年下の少女の様で、服があちこち焦げていたり口元に血の痕があるなど重傷であることが分かった。瞳もぼんやりと開いてはいたが、焦点が合っていない。
だがそれ以上に、顔の左に禍々しい烙印があった。黒地を赤で縁取った様にぼんやり光る、入れ墨とは違うもの。
「こんな烙印……あったかしら?」
それは花街で用心棒をしている者にも似たようなものがあり、魔物を討ち人を守るべきバスターが、その加護で人を殺めた罪の印、烙印であった。だが花街にいれば嫌というほど目にするそれと違うことにクラリアは気づいた。いつものは縁取りが橙に光るはずだ。
「そんなことはいいわ」
烙印が違う理由、こんな幼げな少女がそれを持つ訳等々気になることはあったが、困った者を放ってはおけない。烙印持ちであっても罪を悔い改め、やり直す機会を奪う資格は誰にもない。たまたま服に入っていた客からの贈り物である薬をクラリアは取り出した。
「これを……」
紙を捻って包んである丸薬は相当な効力を持つらしいが、死にたい彼女は完全に持て余していた。これも主の思し召しか、と飲ませようとしたが、衰弱した少女に飲ませるには丸薬が硬すぎる。
「こうすれば……」
クラリアは丸薬を自らの口に含み、噛んで唾液と混ぜて柔らかくする。言わずもがな良薬であると分かるほど苦く顔をしかめて即座に吐き出したくなるが、これでもあれよりはマシであり人助けの為ならと我慢してどろどろになるまでほぐした。
(お願い、飲んで……)
飲み込むだけの力が残っていること、あまりの苦さに吐き出さないことを祈りつつ、クラリアは口移しで少女に薬を飲ませる。鉄っぽい血の味も広がり、こちらが吐き出しそうになるがやけにこなれた様子で薬を送り出す。
「ん、くっ……」
少女は微かな力で薬を呑み込んでくれた。薬の効果で痛みでも引いたのか、安心したのかそのまま目を閉じてかくんと力を抜く。呼吸は安定しており、どうにか峠は越えた様だ。
「ふぅ……」
とりあえず一命は取り留めた。丸薬をくれた客にまた会うことがあれば、彼女に代わって感謝を伝えようとクラリアは思ったのであった。
「う……」
安堵すると、丸薬の苦味と血の味が口に広がり気分が悪くなる。川の水ですすごうと彼女はまた川の方へ歩いていった。すると、また水面に異変が起きる。泡と波紋が広がり、川面から鎌を携えた大人の男ほどもある虫の魔物が飛び出したではないか。
「ひっ……」
魔物を刺激しない為に声を潜めた、というよりは昔から大声を出すのははしたないと教えられていたのでクラリアは悲鳴を押し殺す。だがここでようやく、願いが叶うのだ。魔物に殺されるため、彼女は安心さえ抱いて立ち尽くす。
「あれ?」
が、魔物は思う通りにしてはくれない。触覚を動かすと匂いを辿り、なんと倒れている少女の方へ歩き出したではないか。自分が死ぬのは構わないが、無関係な彼女を殺されてはならない。クラリアは足元の石を拾い、魔物に向けて投げつける。
「この! このっ! こっち来なさい!」
大暴投の末、なんとか数回当てることに成功すると魔物は彼女の方を向いた。どうにか意識を反らすことが出来たので、後は誘導して距離を取るだけだ。
「悔しかったら追いついてみなさい、このへっぽこ!」
煽りこそしたが相手との距離を確認しながら走る余裕はない。温室育ちで踊りくらいしか運動したことのないクラリアは足が遅い上、衣服も運動に適してはいない。昨晩からの疲労もあり、コンディションも良いとは言えなかった。
それでも、自分だけが、無関係な少女を巻き込まずに死ぬには走るしかない。そんな決意も虚しく、ほんの少し走っただけで足がもつれ、転んでしまう。
「きゃっ!」
起き上がろうと魔物の方を向いた頃には鎌が振り上げられていた。それで切り裂かれるのが自分の最期か、とクラリアは目を閉じて受け入れる。せめて魔物がこの殺戮に満足し、少女を逃がしてくれることを祈って。
「ぐ……っ、ぁあああっ!」
だが、鎌は彼女を襲うことはなかった。別の何かが切り裂かれ、生暖かいものがクラリアの頬に掛かる。
「え?」
なんと、あの少女が魔物の前に立ちふさがって鎌を代わりに受けていた。鮮血が吹き出し、膝から崩れ落ちる。だが魔物は残虐にもそれで済ませず、鎌のない二対の腕で彼女の腕を掴み、起こしてからわざと鎌で浅く切りつけて弱らせる。
「うぐぅ、うっ! つぁぁあっ!」
「や、やめて……お願い……」
少女は痛みに悲痛な声を上げ、脚を伝って血が地面に垂れていく。あまりに惨い光景であったが、力のないクラリアには何もすることが出来ない。
「ぅあああああっ!」
少女は苦痛に呻いている、と思われたが右腕から光の刃が飛び出して魔物の腕を切断したではないか。袖を破って腕全体を覆う輝く刃。その根幹となっているのは鋼鉄の義手だ。少女は踏み込みで血が吹き出すのも厭わず。刃で魔物を両断した。
「うそ……」
深い一撃を受け、魔物は倒れる。同時に少女も崩れ落ちた。びしゃりと血だまりに倒れた少女へクラリアは駆け寄る。浅く息をしており、苦しげだがどうにか生きている。
「あなた! ちょっと……」
一体どういうことなのか、なぜ逃げなかったのかなど言いたいことは沢山あったが、少女は助けを求める様に彼女へすがりつく。血が付いてしまうが、それを振り払うことはクラリアに出来ない。目には涙を溜めており、先ほどの決死な姿とは大違いだ。
「い、痛い……たすけ……て、死にたく……な……」
「だったら逃げればよかったのよ、このおたんこなす!」
今はこの臆病だか勇敢だか分からない旅の少女を死なせないことが優先だ。クラリアは彼女を担いで、急ぎ花街へ引き返した。
この選択が彼女の運命の歯車を、狂わせるも外すでもなく、粉々に砕いてしまうということに気づかぬまま。
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