第12話 招かれざる客

 丸々と太った魚をぼくは二匹、マールズは三匹、姉ちゃんは八匹食べた。

 どうでもいいけど、全部フィボナッチ数だ。

 フィボナッチ数というのはゼロ、一と書き始めて、一つ前の数字と足し合わせたものを次々と書いていくとできあがる。ゼロ、一、一、二、三、五、八、十三、二十一、三十四、……。

 フィボナッチ数というのを知ってから、ひまなときは頭の中で暗算することにしていた。五桁ぐらいになってくると結構難しい。

 それで、ぼくは魚の頭と背骨は残したけれど、姉ちゃんとマールズは残さず食べていた。きっと、めちゃくちゃおっかない戦国武将の子供として育てられても、鮎を骨ごと食べろと雷を落とされるなんてことはないに違いない。

 やっぱりちゃんとカルシウムを取った方が背が伸びるのかな? 姉ちゃんは僕より背が高い。そうだとしても、この骨はちょっと硬すぎるな。

 ぼくが残った骨をどうしようかと考えていたら、マールズに火の中に入れるように教えてもらった。

 なるほど、こうやって処理するんだ。

 こちらの世界にはごみ焼却施設なんてないだろうし、食べ残しをそのへんに放置してたら衛生上良くないということか。

 食事が終わると火の後始末をしてから、またいかだで船旅を続けた。

 日が暮れる前に適当な場所を見つけて上陸する。

 よく見えない夜のうちだと水の上にほんのちょっと出ている岩に激突する恐れがあるので進めない。それに今日は疲れたし旅の初日なので早めに切り上げる。

 夕飯はマールズが途中で射落とした大きな鳥。毛をむしって、首を落として血抜きをしてあったのを焼いて食べた。もちろん、その間はぼくは明後日の方角を見ていただけ。

 その……、やっぱり見た目がグロいんだもの。

 僕にとって、お肉というのはきれいに切り分けられてパックに入っているという認識だった。焼いてしまえば分からないけど、それまでは正面から見るのはきつかった。

 口に入れてみると、鶏肉と言われればそんな味だけど微妙に違う。

 お腹が膨れたんだし文句をいったら罰が当たる。

 食材を確保したのはマールズだ。

 マールズに出会わなければ、赤鬼に捕まったかどうかは別にしても、ひもじい思いをしたのは間違いない。

 食事をほぼ終えた頃だった。

 マールズが後ろに置いていた弓を持って、ぱっと立ち上がり、姉ちゃんも杖を手にして身構える。

「シュート、オレっちの後ろに。ぼやぼやすんな」

「秀斗。下がって」

 ぼくは肉を手にしたまま慌てて、マールズの影に隠れた。

 マールズが矢筒から矢を引き抜くと弓につがえて引き絞る。

 茂みの中からばっと何か黒いものが飛び出してきた。

 目をらんらんと輝かせて、鋭い牙のはみ出した口からよだれを垂らしている大きな犬が二頭僕らに向かって駆けてくる。

 マールズが矢を放ったと思うと次々と矢をつがえては弦音を響かせた。

 先を走っていた一頭にたちまちのうちに何本もの矢が突き立つ。

 そいつの脚が鈍ったと思ったら次の一頭が前に出て大きく跳躍した。

 姉ちゃんが腰だめに構えていた杖をさっと突き出す。大きく口を開けた中に杖の先端が吸い込まれた。空中で四肢をぴんと強張らせて犬は身動きしなくなる。

 その間に、数歩移動したマールズは残った一頭にさらに矢を浴びせかけていた。犬はきりきり舞いをしてばたんと倒れる。

 その間、僕は棒立ちして見ていただけだった。

 心臓が激しく音を立てている。

 赤鬼に斧で斬りかかられたときとはまた違った恐怖が全身を包んでいた。あのときは妙に現実感がなかったということもある。

 今は自分が夢の中にいるのではないということを実感していた。

 食後のせいか体も頭もうまく働かない。

 ただ血が全身をめぐってカッカとしていた。

 今日はいろいろと魔法で活躍していい気分だったが、そんなものは消えている。

 犬が接近してくるのに全く気付かなかったし、ほとんど何もできなかった。

 マールズと姉ちゃんのどちらかが居なければ、ぼくは今頃大怪我をしていたに違いない。下手をするとさっき食べた鳥のように、ぼくが犬のお腹に収まっていた可能性もある。

 とっさに何も思いつかなかった。

 急には言葉は出てこないものなんだな、という思いが浮かぶ。

「ふう。びっくりさせやがる。おい、シュート、顔色が悪いぜ」

「う、うん。ちょっと、いや、かなりびっくりしたから」

「確かにな。こんな凶暴な山犬がいるとは俺も思わなかったぜ」

 マールズは警戒しながら近づくと矢を回収する。川で血を流してから、ていねいに水気を拭き取って矢筒にしまった。

 姉ちゃんも同様に杖をきれいにして一振りする。

「アタシもまだまだだなあ」

「何がさ? 一撃で倒しちゃっただろ?」

「ほら、うちの近所にでっかい土佐犬いるじゃない? 母さんを見かけたら縮こまってしまうやつがさ。あれ、母さんが昔取り押さえたらしいんだよね。怪我もさせずに。それと比べたら、アタシはまだまだだなって話」

「あっちは一応飼い犬でしょ。こっちは完全に野生の犬だもの。危険度が違うと思うけど」

 そんな会話をしているとマールズが声をかけてきた。

「こいつら二頭だけかどうかが分からない。この場所で夜を越すのは危険だと思う。幸い、まだ日が完全には落ちていないから少し川を下ろう。記憶が確かなら、もう少し行ったところに中州があるはずだ」

 マールズの言葉を姉ちゃんに伝えて慌てて出発の支度をする。

「惜しいな。時間があれば皮をはいで持っていくんだが」

 マールズは名残惜しそうな目で山犬を見ていたが肩をすくめた。

「ま、いっか」

 最後に乗った姉ちゃんが杖で岸をぐっと押す。

 いかだはすぐに川の流れに乗って進みだした。

 マールズは船首に立つと川の先と空を交互に見上げだす。

 姉ちゃんはぼくの顔をのぞきこんできた。

「なに、むっつりしてるのよ?」

「なんでもないよ」

「そんなことないでしょ。夕飯食べてるときまでは機嫌が良かったのに。さっきの犬に驚いた?」

 姉ちゃんは、あっと何かに気が付いたような顔をする。

「秀斗。あんた、さっき何もできなかったから、くよくよしてるんでしょ。あのへんてこりんなダジャレで何かできたはずだって」

「へんてこりん言うな」

「それはともかく、とっさには無理じゃない。アタシは反射で早く体が動くけど、何か考えるのは難しいし。こういうのは普段から繰り返して体に覚え込まさなきゃ」

「そうかもしれないけどさ」

「あ、やっぱ今のは無し。常にダジャレ言われるとか割と地獄だからやめてよね」

「それひどくない?」

「あんただって、父さんにダジャレはやめてって言ってたじゃん」

 まあ、それはそうなんですが……。

 布団で試した時に思いついていた、犬が居ぬ、を試してみたかったな。沈みゆく太陽を見ながらそんなことを思った。

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