第6話 我が姉
「なんだ。姉さんが心配か? あの赤鬼っつう連中は数は多いけど、それほど驚異じゃないんだ。畑などから物を盗んでいきやがるけど、普段は滅多に襲ってくることはない。まあ、最近はどういうわけか凶暴になっとるけどな」
「ちょっと、それじゃ、慰めてるのか脅してるのか分からないわよ」
ロージーがツッコミを入れた。
「泊めてもらったうえに姉ちゃんを探すのまで手伝ってもらっていいのかな?」
「なんだよ。水くさいな。ここで見捨てたらオレっちの名が泣くってもんだぜ」
「なにカッコつけてんのよ。二人助ければお礼も二倍かもって計算してたくせに」
マールズはロージーの口を押えようとする。
「ちょ、余計なこと言うなって」
ぼくは二人に頭を下げた。
「マールズさん。ロージーさん。ありがとう」
「それじゃ、早く探しに行きましょう」
「そうだ。シュート。これ貸してやるよ。その呪文書を手に持ってるのも大変だろ」
マールズがランドセルぐらいの大きさの袋を差し出してくる。開け口のところをひもで絞って肩から下げられるようになっていた。
「ありがとう」
お礼をいうことしかできないのが歯がゆい。
「でっかいお返し期待してるぜ」
マールズは片目をつぶってみせる。
昨日と逆の道をたどって森に戻った。
ぼくにはどこをどう通ったのかなんてよく分からないけれど、マールズが道案内をしてくれる。
「ここだ。オレっちがシュートに会ったんは。ほれ、この切れ込みが斧の刺さってたとこだ」
マールズが指さした。
「すごいや。一度通っただけなのにちゃんと覚えてるなんて」
「いやあ、それほどでもあるかな」
マールズは胸を張る。ロージーはやれやれという顔をしていた。
辺りを見回すけれど姉ちゃんの痕跡はない。
「さてと、ここからもうちょっと先に行ってみよう。まだ赤鬼たちの住処じゃないけど気をつけてな」
森の中を進んでいく。
二十分ほど歩いたときだった。ロージーが緊張した声を出す。
「あっちで何か物音がするわ。何かがぶつかる音」
マールズも目を閉じてそちらに耳を向ける。
「ああ本当だ。さすがロージー、耳がいいぜ」
ぼくには全く分からない。
「行ってみよう」
マールズを先頭に早足で進んでいった。
しばらくするとぼくの耳にも何かの音が聞こえてくる。そして、聞き慣れた罵声も耳にはいってきた。
「コンチクショー。アタシは腹減ってんだ。お前らなんて相手してられないんだよ」
この殺伐とした声はまごうことなき我が姉上のもの。しかもお腹が空いて相当イライラしているときのものだ。
二人がぼくの顔を見るので、大きく頷く。
「ぼくの姉ちゃんの声だよ」
「よく分からない言葉だが、声の感じからするとどうやらお前の姉さんに危機が迫っているようだな。よし助けるぞ」
二人は背負っていた弓を外し矢をつがえながら声のする方へ走って行った。ぼくもそれを追いかける。
どんどんと物音が大きくなり、木々の影からチラリと姉さんの姿が見えた。
家を出たときと同じスラックスにブレザー姿の姉さんが、少し森が開けたところで元気よく杖を振り回している。
周囲には昨日見た化け物と同じ姿をしたのが群れていた。
マールズとロージーは首から下げていた角笛を口に当てると頬を膨らませて勢いよく吹く。想像していたより大きな音が鳴り響いた。木々に跳ね返ってこだまする。
そして二人は矢を放った。ひゅーと音がする。鏑矢と同じような作りなのかもしれない。
化け物たちはぎょっとして顔を見合わせるとわっと叫んで逃げていった。
ぼくたちが駆け寄ると杖を構えていた姉ちゃんが怪訝そうな顔をする。
「秀斗?」
「姉ちゃん」
「そっちのは?」
「マールズさんとロージーさん。ぼくを助けてくれたんだ」
姉ちゃんは緊張を解いた。
「アタシおかしくなったのかな? 動物が服着て歩いてるんだけど。まあいいや。それより秀斗、何か食べるもの持ってない?」
発言の前半と後半の落差が激しすぎる。
「持ってない」
そう返事をすると姉ちゃんは盛大に落胆して背後の木にもたれかかった。
「ああ。目が回る」
姉ちゃんは体を鍛えているせいかよく食べる。母さんが作るハンバーグも七個ぐらいはぺろりと平らげられる人だった。ちなみにそのハンバーグは、ぼくは二個も食べればお腹が一杯になる大きさがある。ああ、母さんのハンバーグが食べたい。
二食抜いたので姉ちゃんは力が出ないのだろう。そうじゃなきゃ、あの化け物が地面にゴロゴロと横たわっているはずだ。
ひょっとすると姉ちゃんが手加減した可能性もあるかもしれない。基本的に弱っちい相手とは真剣に戦わないからね。
とりあえず今は腹をすかせた姉ちゃんの処置が優先だ。
さっきから成り行きを見守っていたロージーが話しかけてくる。
「お姉さん具合が悪そうだけど、あいつらに怪我でもさせられた?」
「ううん。単にお腹が減ってるだけ」
「そう……。まるで死にそうに見えるけど」
「姉ちゃんは食事しないとすぐにああなっちゃうんだ」
ロージーさんは肩からかけていた袋の中を探って煉瓦のような何かを取り出す。
「木の実を花の蜜につけて焼き固めたものだけど食べるかしら?」
姉ちゃんは目ざとく気づいて早くもガルガルとしていた。奪って食べないだけまだマシなんだけど、少し恥ずかしい。
「姉ちゃん。これ木の実だってさ。くれるそうだよ」
「本当? ありがとう」
飢えたハイエナのような表情が引っ込み、花が咲いたような笑顔を見せる。
姉ちゃんは受け取ると少しだけ匂いをかぎ、すぐにガリガリとかじりつき始めた。
ボリボリボリ。派手な咀嚼音が響き渡る。
「うん。このナッツバー、美味しいわよ。クセになりそう」
すでに三分の一ほどを食べた姉ちゃんがやっと感想らしきものを漏らし、すぐにまたかみ砕く行為を再開した。
「凄いな。あれ、油断してると具合が悪くなるほど腹が膨れるんだぜ。あの大きさならオレっちは二日、いや三日は食いつなげるんだけどな」
マールズが感嘆の声をだす。
手に着いていた欠片も丁寧になめとると姉ちゃんはにっこりと笑った。
「いやあ、やっと少しはお腹が落ち着いたぜ」
そこでようやく首をかしげる。
「そういえば秀斗。あんた、変な言葉しゃべってるけどそれなんなのよ?」
「よく分からないけどしゃべれるんだ。お陰で助かってるよ」
「ふーん。で、ここどこ?」
「さあ。ぼくも良く分からないよ。どうも別世界に紛れ込んだんじゃないかと思ってる」
笑い飛ばすかと思った姉ちゃんは意外なことに、そっかと周囲を物珍しそうに眺めていた。
枝葉を立派にしげらせた大木はどう見ても家の近所に生えているものとは異なっている。生命力にあふれたたたずまいをしていた。
「なあ、シュート。お姉さんが元気を回復したなら、ここから早く立ち去った方がいい。あいつらが仲間を連れて戻ってくるかもしれないから」
マールズの提案にぼくたちはこの場所を離れることにする。
歩きながら、ぼくが間に入って通訳し、姉ちゃんと二人であいさつを交わした。
「弟も助けてもらって、食べ物まで頂いて本当に助かったわ。ありがとう。アタシにできることなら何でも言って」
姉ちゃんは屈託がない。割と誰とでもすぐに親しくなれる性格をしていた。
お互いに自己紹介が済むとぼくは姉ちゃんに質問する。
「姉ちゃん。あんまりこの状況に驚いてないね」
「んー。まあ父さんのホラ話が本当だったんだなあ、ってだけだもん」
「なにそれ?」
「そっか。あんたは早く寝させられるから父さんが酔っぱらってくると始める話を聞いたことが無いんだね」
うちの家庭の方針として寝る子は育つというものがある。小学生の間は夜は八時に就寝というルールだった。
「そう言えば、彼らから聞いたんだけど、ここには山田っていう大魔法使いが居たんだって。それってどうも父さんのことらしい」
「あの父さんがねえ……。ここが別世界というのはともかく、父さんが魔法使いだったというのは信じられないや」
森を抜けて小川に差しかかる。
マールズとロージーに続いてぼくはおっかなびっくり丸木橋を渡り始めた。それでも三度目なので多少は慣れて早くなったはずだ。
最後まで向こう岸に残っていた姉ちゃんは少し後戻りをする。
そこから猛然とダッシュするとぴょんと小川を飛び越えた。ずざっと石ころを踏みしめてこちら側の川原に着地する。
小川といっても川幅は五メートルはあった。しかも踏み切った場所も着地点も水際じゃない。それを軽々とジャンプしてのける姉ちゃんの運動神経がうらやましい。
マールズとロージーも驚いて口をあんぐりと開けていた。
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